碇本学「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」 第3回 劇画作家としての挫折と80年代カルチャーの胎動
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。第3回では、70年代の劇画作家時代のあだち充について論じます。原作付き作品を大量に手がけながら、ヒット作に恵まれず苦しむあだち充ですが、実は彼のすぐ側で、80年代カルチャーの胎動は始まっていました。
劇画作家・あだち充と編集者・武居俊樹
今回は、あだち充が劇画作家として大量に作品を発表していた70年代と、その文化的な背景について触れていきたい。
あだち充は1970年のデビュー作『消えた爆音』以降は、佐々木守ややまさき十三などの漫画原作者と組んで作品を発表していた。この時期の絵柄は、当時流行していた劇画調寄りなものであった。
1978年にあだち自身のオリジナル作品であり、少年漫画に少女漫画のテイストを持ち込み新しい風を吹かしたと賞賛された『ナイン』でブレイクするまでの間は、原作ものやコミカライズ(『レインボーマン』(1972年)、『おらあガン太だ』(1974年))などを手がけていた。
また、『中一コース』などの学習雑誌で連載していた『ヒラヒラくん青春』(1975年スタート)シリーズなども当初は原作があったが途中から自由に描くようになり、この作品が当時の主な収入源になったと語っている。
▲『ヒラヒラくん青春』(1975)[引用]
あだち充の人生を大きく変えた編集者としては、最初の担当編集者だった武居俊樹の名が挙がるだろう。彼は赤塚不二夫の担当編集者として知られている人物である。
1963年に設立されトキワ荘出身の藤子不二雄、つのだじろう、石ノ森章太郎、赤塚不二夫たちが共同で作った「スタジオ・ゼロ」というアニメ製作会社が当時西新宿にあった。この「スタジオ・ゼロ」は1970年末に事実上解散することになるのだが、同フロアには「フジオ・プロ」「つのだプロ」があり、そのつのだプロで手伝いをしていたのが石井いさみだった。
1969年に武居は赤塚から「この人、絶対、明日のスターだよ、サンデーに描かせな」と石井を紹介された。武居は石井の担当にはなれなかったが、石井は『少年サンデー』で『くたばれ‼︎涙くん』(1969)の連載を始め、二人は同志のような関係になっていく。そして、ある日、石井いさみが武居に紹介したのが彼のアシスタントをしていたあだち充だった。
武居は石井からあだちを託される形になったが、あだちの絵を見た時に「こいつが『サンデー』のエースになる」と確信したという。だが、当時のあだちは他の新人作家のように持ち込みもせず、ネームも見せず、打ち合わせをしても一言も話さないで文庫本を読んでいるような青年だった。そんなあだちに武居は根気強く付き合ったし、さまざまな原作者と組ませて漫画を描かせたのも彼だった。
デビュー後は『巨人の星』の原作者・梶原一騎劇の弟である真樹日佐夫と組んだ『裂けた霧笛』などの劇画調の不良ものだったり、『無常の罠』(1971)や『リングに帰れ』(1971)、原作・夏木信夫と組んだ『劣等生しょくん!』(1971)、『ゴングは鳴った』(1972)、原作・井上和士と組んだ『鮮血の最終ラウンド』(1973)などのボクシング漫画をあだちは手がけていた。
ボクシング漫画は、このあとに一度『ケン』(1978)を描くが、1973年以降に原作者の佐々木守とやまさき十三と組むようになってからは離れていく。その後、あだち充がボクシングを作品で扱うのは、ブレイク後の『タッチ』(1981)、 『スローステップ』(1986)、『KATSU!』(2001)だが、実はこの頃に原型があると考えられる。
あだち充作品と言えば野球漫画とボクシング漫画というイメージがあるが、これは70年代に少年漫画で人気があったジャンルと実は同じであり、いわゆる少年漫画の王道であった。
1973年に原作・佐々木守と組んだ『リトルボーイ』、1975年にやまさき十三と組んだ『命のマウンド』など、次第にあだち充は野球漫画をメインに手がけるようになっていく。しかし、佐々木守ややまさき十三などの原作者と組んでも、あだち作品の人気はなかなか出なかった。
▲『リトルボーイ』(1973)[引用]
佐々木守は当時すでに少年サンデーで水島新司と組んで『男どアホウ甲子園』をヒットさせていた。佐々木は映画監督・大島渚と映画の共同脚本を何作も書いたり、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮作品にも関わりのある、実績のある原作者だった。
やまさき十三は大学卒業後に契約社員として東映東京制作所で助監督をしていた。また、山崎充朗名義で『キャプテンウルトラ』『キイハンター』の脚本を手がけていたが、監督に昇進という際に労働組合の委員長に選ばれ、会社側と団体交渉する立場になってしまう。三年後に解決したものの、彼の監督昇進の話が流れて退所してしまった。まったく仕事がない時に、大学時代の親友だった編集者の武居俊樹から、「映画の脚本が書けるなら、漫画の原作も書けるだろう」と誘われ、漫画原作者の道を歩み始めることになった。
やまさき十三とあだち充が組んだ作品に大ヒットはないが、あだち充が少女漫画誌から少年漫画誌に戻っていく時期に、やまさき十三は後に映画化やドラマ化される大ヒット作『釣りバカ日誌』の連載を始めることになる。
あだちは当時、他の原作者とも組んで漫画を描いているが、彼はまったく自己主張をせず、文句も言わず、素直に原作通りに漫画を描いていたので重宝されたという。幼少期から兄のあだち勉のキャラが濃かったこともあり、人には逆らわない、大人しい性格だった。また、漫画家になってからも自分の漫画を描きたいという欲がなかった(正確には「自分が描きたいものを見つけようとせず、きちんと考えていなかった」と自身のインタビューで答えている)。
佐々木守と組んだ作品に関しては、当時は劇画調の熱血モノばかり描かされていたので、原作を渡されて「好きに描いていい」と言われて楽になった、とあだちは発言している。また、やまさき十三と組んだ作品については、熱血モノやストレートな内容が多く、自分には熱血モノは向かないと気付かされたと語っている。ただし、後に週刊少女コミックにやまさき十三原作で連載した『初恋甲子園』は、「恥ずかしいような恋愛モノを描かせてくれた」こともあって、ここで野球と恋愛を不可分に描けたことが、のちの『ナイン』につながっていく。
その頃から野球漫画を手がけていた理由は、武居があだち充を週刊少年サンデーのエースにしたいということもあり、エースと言えば野球、そして、週刊少年マガジンで人気を誇っていた『巨人の星』に対抗させようとしたからだったとインタビューで語っている。
『巨人の星』は1966〜1971年までの連載であり、同じく少年マガジンで連載していた『あしたのジョー』は1967〜1973年の連載だった。この二作品が劇画の時代を牽引したが、70年台前半にはどちらも完結しており、その後に続く野球漫画やボクシング漫画のヒット作を出そうと、各漫画誌の編集部は模索していた。
前述したように、1970年に少年サンデーで原作・佐々木守と水島新司が組んだ『男どアホウ甲子園』がヒットした。これは水島新司にとっての最初のヒット作品となり、水島は1972年からライバル誌である少年マガジンで『野球狂の詩』を不定期連載、同年に少年チャンピオンで『ドカベン』の連載を開始し、1973年にはビックコミックオリジナルで『あぶさん』の連載を始めている。
同時期には、1973年に月刊少年ジャンプで連載が始まったちばあきおによる『キャプテン』も人気を博していた。
ポスト『巨人の星』となった水島新司作品や、ちばあきおの『キャプテン』を、少年サンデーの編集者だった武居が意識していないはずはなかっただろう。だからこそ彼はあだち充に、『巨人の星』のような一大ムーブメントとなる漫画が描ける漫画家になってほしいと期待し、原作者と組ませてどんどん作品を描かせていた。
このとき武居が蒔いた種は、80年代の『少年サンデー』で芽を出すことになる。武居がいなければ80年代の漫画界は、まったく違ったものになっていたかもしれない。
赤塚不二夫と〈プレ80年代〉の文化人たち
あだち充が劇画全盛の少年漫画誌で苦戦をしていた頃、すでに一部では80年代を牽引する、新しい文化の萌芽が生まれていた。それはあだち充のごく近くで胎動していた。その中心にいたのは、武居とあだち充が出会うきっかけを作った漫画家・赤塚不二夫だった。
赤塚不二夫という存在は漫画家としてだけではなく、文化人として後世に非常に大きな影響を与えている唯一無二の存在でもある。
赤塚不二夫は戦後に上京して働きながら漫画を描いていた。彼が寄稿していた『漫画少年』に掲載された漫画を石ノ森章太郎が目に止めて、彼が主宰する「東日本漫画研究会」に所属することになった。また、その漫画をプロデビューしていた漫画家のつげ義春が興味を持ち、赤塚と遊ぶようになった。『漫画少年』が突如休刊した際には、つげからプロへ転向するように勧められ、書き下ろし『嵐をこえて』で赤塚不二夫はプロデビューする。その後に石ノ森章太郎を手伝う形でトキワ荘に移ることになった。
60年代には代表作として知られる『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』などの大ヒット作品を世に出すことになる。1967年には漫画家でありながら、テレビ番組『まんが海賊クイズ』で異例のテレビ司会を黒柳徹子と務めたことでお茶の間にも顔が知られるようになり、芸能界での交友も広がることになっていった。
そして1975年、赤塚は、後の日本の芸能界を大きく変えることになる人物と出会う。
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