「ゲッサン」創刊とあだち兄弟を彷彿させる『QあんどA』​​(後編)| 碇本学 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2022.05.30
  • 碇本学

「ゲッサン」創刊とあだち兄弟を彷彿させる『QあんどA』​​(後編)| 碇本学

ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
一種の「ループもの」のような結末を迎えた『QあんどA』。かつては戦後日本の精神性を独特な形で描いたとして評価されたこともある「ループもの」ですが、本作で描かれたあだち充なりのループからの脱却にはどんな意味があったのでしょうか。
前編はこちら

碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第22回 「ゲッサン」創刊とあだち兄弟を彷彿させる『QあんどA』​​(後編)​​

亡き兄と繰り返される日常

 そんなに意識はしてないけど、兄貴について描こうとしてたんだろうね。それについて描くには、このかたちしかなかったかな。〔参考文献1〕

今作は主人公の厚と亡くなった兄の久を中心に物語は展開していく。あだち自身もインタビューで答えているように、あだち兄弟のことを知っている人が読めば、庵堂兄弟はあだち兄弟のことを描いているように読める内容になっていた。
もともと今作であだち充に兄弟の話を描いて欲しいと提案したのは「ゲッサン」を立ち上げて、新連載の打ち合わせをあだちとしていた市原だった。

「死んだ兄貴が幽霊になって帰ってくる話を描いてください」
「あーん、なるほどね。じゃ、それで行くか」
ただ、あだちはこう続けた。
「勉のことなんか描かねえからな」
実兄、あだち勉が亡くなったのが、市原が担当になる半年前、「KATSU!」連載中の2004年6月。一周忌に市原は出席している。その時に撮った写真を現像した時のことだった。あだちが、嬉しそうに写真を市原に見せる。集合写真には、オーブのような大きな光の玉が写っていた。
「来たんじゃねえの、勉!」
あだちの嬉しそうな顔を見た市原は、あだちに描いて欲しいネタをメモしておくノートに「死んだ兄貴が幽霊になって帰ってくる話」と書き留めた。〔参考文献1〕

ラストページにあるコマで厚の部屋に浮かんでいる人魂のような久はまさにこの時のオーブのことを描いているのではないかと思ってしまう。また、あだちが市原のことを信頼していたとわかるのは今作で、厚たちの担任の名前が市原という名前であり、わりとガタイのいい姿で描かれていて実際の市原がモデルになっていることがわかる。『タッチ』の2代目担当編集者の三上信一は度々作中で「三上」という先生などで登場させられてきたが、あだちは自分が信頼している編集者は作中に出すというちょっとひねくれた性格をしているため、市原もかなりあだちから信頼を得て、気に入られていたのがよくわかる。

久にあだち充の亡くなった兄のあだち勉が投影されているように感じるのは、周りの人たちからは人気者として愛されていたが、イタズラ(ばか騒ぎ)ばかりしており、度々弟に迷惑をかけていたという部分である。あだちは「意識はしてないけど」と言っているが、やはり亡くなった兄貴が幽霊になって帰ってくるという設定であり、市原も勉について描いてほしいと考えていたのだろう、それらが形になったと考えるのが妥当だ。
現在「サンデーうぇぶり」でありま猛が連載している『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男~』はあだち勉が「赤塚四天王」だった時代にことが中心に描かれており、久のキャラクター造形にあだち勉の要素がかなり入っていることがわかるものであるので、『QあんどA』と一緒に読んでみてほしい。

 バカバカしい話を一席、という感じでしょうか。夢落ちは初めてですね。うまくいったな、と思います。最後にもう一度物語が始まるというのも、最終回までは全然考えてませんでした。ラストの余韻は良いはずです。楽しく描けた漫画ですね。〔参考文献1〕

前述した物語の流れでも書いたように、この『QあんどA』は第1話と最終回が円環のようになっており、あだち充は「夢落ち」だと答えている展開になっている。そのため、繰り返される日常を描いたようにも見える。

「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。〔参考文献2〕

久しぶりに『QあんどA』を読み終えて最初に浮かんだのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズとそのリブートが発表された際の庵野秀明総監督の所信表明だった。また、ゼロ年代以降には、『ひぐらしのなく頃に』『魔法少女まどか☆マギカ』など大ヒットした作品で共通していたのは「終わらない日常」を繰り返しながら、「TRUE END」へ向かうために何度も主人公たちがその運命や世界を経験していくというものだった。
1990年代中盤以降にはエルフの『河原崎家の一族』などのいわゆるエロゲーでは、フローチャート式に主人公が選択したことによりルートが分岐していくものがあった。真のエンディングとしての「TRUE END」に行く唯一のルートを選べなかった場合以外は基本的には殺されてしまう(トラップなどで死んでしまう)などの「BAD END」になりゲームオーバーになってしまう。コンティニューしてリスタートすると最初からまたプレイヤーが選んだルートを進んでいくというものになっていた(その際に前にプレイしていたフローチャートが表記されるものもあった)。まさに宮台真司が提言した「終わりなき日常」をゲームにしたような内容であり、この流れがサウンドノベルとして始まった『ひぐらしのなく頃に』に引き継がれていった部分もあった。

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