宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.04.30

ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春 第12回 『タッチ』①:『タッチ』はなにからのバトンを受け取ったのか? 碇本学

ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。今回から、いよいよあだち充を国民的漫画家に押し上げた代表作『タッチ』の分析に入ります。漫画史に衝撃を与えた「上杉和也の死」をめぐる編集サイドの葛藤、そしてその背景にある戦後文化の転換と「劇画」の時代の終焉について、光を当てていきます。

上杉和也が死んだ日

あだち充の代表作でもあり、野球漫画の金字塔のひとつである『タッチ』。老若男女いろんな世代に知っている「野球漫画」を聞けば、多くの人が挙げるのがこのタイトルだろう。
1970年に漫画家デビューしたあだち充が1981年から1986年まで「週刊少年サンデー」で連載をした作品であり、野球漫画において『タッチ』以前、以後という概念を作り出した漫画の歴史に燦然と輝く作品だ。

主人公の双子の弟の上杉和也が死んだ回「ウソみたいだろ…の巻」が掲載された「少年サンデー」’83新年1•2合併号が発売された日、編集部には非難轟々の電話が鳴り続けていた。その時、電話番として編集部に残されていたのは『タッチ』の二代目編集者の三上信一だった。
三上は一日中、「人殺し」「許さない」など罵詈雑言を浴びせ続けられることになった。罵られるよりも、受話器の向こう側で何も発さずに聞こえてきたすすり泣きを聞き続けた時に胸が張り裂けんばかりに締め付けられたという。

この和也の死が決定的になった「ウソみたいだろ…の巻」は、あだち充と三上とわずかな理解のある編集者を除いてはなんとか阻止したいものだった。人気漫画の主人公の一人を殺すことで人気が下がってしまうことを恐れていた編集部は、何度も担当である三上を通じて、あだちにそれだけはしないでほしいと伝えていた。

主人公がふたりいて、ひとりが亡くなるという設定だけを最初に決めて。適当に打ち合わせしながら、ふたりのうち才能があるほうがいなくなって、残されたでき損ないの話をやろうと考えた。「タッチ」というタイトルも、かなり早くから決めてたと思う。その他に決まってたことは……ないかな。何しろ「どうなってもいいや」で始めた連載ですから。
 高校1年の夏、地区大会決勝戦の当日に和也が死ぬということは、早い段階から決めてました。
担当編集者以外、ほとんどの人間が反対でしたよ。でも、今さら引き返せない。この漫画はそこから始まると、最初から思ってたんで。もちろん先のことは考えてないけど、それをやらないと、この漫画を始めた意味がない。
もう少しラブコメを続けるという選択も、もちろんあったかもしれない。でもこれを描いてた頃は、「守り」の気持ちがまったくなかった。このままやっていけば人気がずっと続くだろうとか、別に攻めてたつもりはまったくなくて、こうしなくちゃダメだと思ったし、こういうことがやりたかったんだよね。
自分の選択に確信もなかったんですよ。やってダメだったら、それはそれでいいや。その程度の覚悟ですけど。とにかく、そのまま続けるのだけは嫌だった。
担当の三上からも、一度も和也を「殺すな」とは言われなかった。担当がそういう覚悟なら、編集長から言われることは気にしなかった。このことに関して、当時編集長と副編集長が事務所に来たことも一度あったような気がする。「転校させ」だの、「外国に行かせろ」だの言われるのを黙って聞いてました。でもこっちとしては担当編集者を信じてましたので。

あだち充がインタビューで語っているように、連載を始める最初から上杉和也を殺すことだけは決めていた。『タッチ』は主人公の一人である上杉和也が死んで、ほんとうの物語がはじまる。その後のことは決めていなかったが、そうすることでしか描けないものをあだち充は本能で嗅ぎとっていた。

「少年サンデー」編集部の多くの編集者の反対や心配をよそに、『タッチ』二代目編集者の三上はこの号の原稿をあだちから受け取り、校了をこっそり隠れて行い、編集部から二日間姿を晦ます暴挙に出た。携帯電話もない時代に、ほかの「少年サンデー」編集部の誰も逃げた三上を捕まえることはできずに、ましてや校了された原稿を差し替えることもできなかった。同時にあだち充も姿を晦ました。三上ではない編集者に見つかってしまえば、和也が死なない原稿を描かされる可能性があった。
編集部から逃げていた三上は最悪の場合は異動になるだろうと覚悟していた。しかし、編集部から命じられたのは、異動でも担当替えでもなく、「ウソみたいだろ…の巻」の回が掲載された「少年サンデー」発売日に編集部の電話の前で待機しろというものだった。

のちに「ヤングサンデー」編集長になった三上は、連載漫画だった浅野いにお『ソラニン』で主人公のひとりである種田が死んでしまったことに関して、「主人公のひとりを殺すことはほんとうに大変なことなんだぞ」と浅野いにおを怒ったというエピソードがある。『タッチ』連載時の和也が死んだ回の発売日の電話のことが脳裏に浮かんだに違いない。しかし、三上は描いてしまったものは仕方ないので、死んだ後の再開一話目は明るい感じで、葬式シーンはやめようと浅野いにおに提案したという。

三上のファインプレーによって成されたもう一人の主人公である「和也の死」がなければ、『タッチ』という漫画は「野球漫画」として始まることができなかった。そのためには、あだちとはある意味で正反対な初代担当編集者の白井康介と、二代目担当編集者の三上信一という「熱血」好きな編集者が必要不可欠だった。

「熱血」編集者が繋いだ「野球漫画」へのバトン

もともと「みゆき」に関しては、主人公にスポーツをやらせない、と最初に決めてたんですが、「タッチ」の場合、初めての週刊連載ということもあって、日常ドラマだけだと持たなそうだなと思って、保険として野球の要素も入れただけの話なんですけどね。

今では「野球漫画」の代表格である『タッチ』の「野球」の部分が、このように保険でしかなかったことを知ると驚きは隠せない。では、なぜその保険であった「野球」の部分が前面化して「日常系ラブコメ」から「野球漫画」になっていったのだろうか。

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