碇本学 ユートピアの終焉ーあだち充と戦後日本の青春 第6回 あだち充と少女漫画の時代(後編) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.06.11

碇本学 ユートピアの終焉ーあだち充と戦後日本の青春 第6回 あだち充と少女漫画の時代(後編)

ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。第6回では「花の24年組」以降を追いかけます。萩尾望都らのSFが少女漫画で隆盛する一方、少年漫画のSFは衰退。『仮面ライダー』と永井豪にその可能性が継承されます。そして、コミックマーケットの開始、耽美系雑誌JUNの創刊など、現在に繋がるオタク文化の土台が着々と準備されていきます。

SFの衰退と特撮の隆盛

萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子という「HOT時代」あるいは「別コミマニア御三家」と呼ばれるスター少女漫画家と、彼女らを含む「花の24年組」が時代を変えていくのと同時に、70年代は少女漫画の読者層にも大きな変化が起きていた。彼女たちによって拡大された少女漫画の世界は男性の読者も増やすことになった。これは彼女たちが描く作品が、歴史ものだったりハードSFだったりすることも、要因のひとつになったかもしれない。
米澤嘉博著『戦後SFマンガ史』によれば、70年代に入って少年サンデー、少年マガジンから長篇SFマンガが消えたのは、少年SFマンガに好意的だった週刊ぼくらマガジンが休刊したためだという。以降は少女漫画で描かれるSFに多くの男性読者が惹かれていくことになるが、少年漫画は最後に二つの道(可能性)を残したと語っている。

そのひとつが、現在まで特撮番組として続く石ノ森章太郎『仮面ライダー』だ。漫画で発表されてすぐにテレビで特撮番組として大ヒットし、「変身ヒーローもの」のブームを作り、後の低年齢層向けの特撮作品のパターンを生み出すことになった。ある意味ではこの作品が、少年SF漫画の最終段階だったと語っている。
宇野常寛著『リトルピープルの時代』の第二章「ヒーローと公共性」に書かれていることもここに結びつくだろう。この章では「ビッグ・ブラザー/リトル・ピープル」とは「ウルトラマン/仮面ライダー」であり、それぞれ「60年代/70年代」に社会現象化することで、国内のポップカルチャー全般に決定的な影響を与え、前者は「政治の季節」、後者はその終わりに誕生していたことに言及している。
「政治の季節」の終わりが明確になっていた1971年4月2日、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に続く待望のシリーズ最新作『帰ってきたウルトラマン』の放映が始まり、その翌日に放映がスタートしたのが『仮面ライダー』だった。
仮面ライダーの主人公である本郷猛は改造人間であり、彼を改造したショッカーは世界征服を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人々の自由のために悪の力を用いてショッカーと戦うヒーローだった。一方、ウルトラマンにおける巨大ヒーロー、宇宙人や巨大怪獣は事実上、「軍隊」の比喩として機能していた。これらは脚本家や製作者たちが戦争の体験者だったことも多く関係していた。

当初、週刊ぼくらマガジンで石ノ森章太郎が連載していた漫画版『仮面ライダー』は、バッタの改造人間である仮面ライダーが象徴する「正しい自然」と、ショッカーの「誤った科学」の対立といった文明批評的なモチーフが前面に押し出されていた。テレビ版の第1クールでは、異形の存在に改造された本郷猛の孤独な生をめぐる葛藤が物語を牽引していたが、本郷猛を演じていた藤岡弘のオートバイ事故による一時降板を機会に、石ノ森章太郎の原作を引き継いだシリアス路線を早々に放棄し、新主人公である一文字隼人(仮面ライダー2号)を迎えた第二クールは、勧善懲悪の娯楽活劇が全面展開された。また、『ウルトラマン』は戦意高揚映画をルーツに持っていたが、『仮面ライダー』は時代劇、浅草東映のチャンバラ映画をルーツに持つという、宿命的に非政治的な存在であった。
突然起きた主役の降板劇を発端にした、シリアス路線から子どもにもわかりやすい勧善懲悪への転換が、現在まで続く長寿番組であり、変身ヒーローものを牽引する特撮の代表作が生まれたきっかけだと考えると、歴史というものはやはりおもしろく、不思議な運命を感じずにはいられない。

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▲石ノ森章太郎『仮面ライダー』

もう一つの可能性は、永井豪による「『ガクエン退屈男』で物語のダイナミズムを主人公の早乙女門戸の闘争エネルギーをにおわせた『魔王ダンテ』だ」と米澤は書いている。補足すると石ノ森章太郎『仮面ライダー』も永井豪の2作品も、週刊少年マガジンの弟分として刊行されていた週刊ぼくらマガジンで掲載されていた。当時の週刊少年マガジンは大学生に読まれるほど高年齢化が進んでいたために、週刊ぼくらマガジンは低年齢層向けの雑誌として発行されていた。
週刊ぼくらマガジンでは、梶原一騎『タイガーマスク』、さいとう・たかを『バロム・1』、吉田竜夫『ハクション大魔王』、赤塚不二夫『天才バカボン』、藤子不二雄『モジャ公』、ちばてつや『餓鬼』などが連載されていたが、創刊された1969年から一年半で『週刊少年マガジン』に統合される形で廃刊となった。
永井豪が描いた『ガクエン退屈男』『魔王ダンテ』は、後の『デビルマン』に繋がっていくが、それは神と悪魔の立場を逆転させた暴力や殺戮を描くことになり、少年SF漫画とは多く違う方向性を持っていた。
この頃の男性SFファンが漫画に求めていたSFは、もはや少女漫画の中にしか残されていなかった、引き継がれていなかったという見方ができるかもしれない。

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▲永井豪『ガクエン退屈男』『魔王ダンテ』

コミケと「やおい」のはじまり

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