與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.01.24
  • 與那覇潤

與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第1回 崩壊というはじまり:1989.1-1990

今朝のメルマガは、昨日に続いての連続配信、與那覇潤さんによる「平成史」の第1回をお届けします。昭和最後の年となった1989年は、奇しくも「昭和天皇の崩御」や「東西冷戦の集結」といった歴史的事件が重なった1年でした。それは、保守革新の両陣営における擬制的な「父」の死と、それにともなう抑圧なき時代ーー「平成」の始まりを告げるものでした。

ツヴァイクの「ダイ・ハード」

「昨日の世界」ということばをご存じですか。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクがアメリカ大陸での亡命行のさなか、ナチス台頭により崩壊しつつあった「古きよきヨーロッパ」への郷愁をつづった回想録の標題です(1942年に著者自殺、44年刊)。近年ではウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)が、同著をモチーフに作られていますので、ご覧になると雰囲気が伝わるかもしれません。

みずからが生きていると思っていた「同時代」が、いつの間にか決定的に過去のもの――「昨日」へと反転してしまう。そして(亡命作家のような繊細さを欠く)多くの人は、そのことに気づかない。そうした体験は、必ずしもツヴァイクの時代に特有のものではないと思います。否むしろ、全体主義と世界大戦という「誰の目にも衝撃的な」できごとによって時代が書き換わっていった1930年代と比べて、秘かに、しかし確実に社会のあり方が変わっていった21世紀への転換期をふり返る際にこそ、直近の過去を「昨日の世界」として見る視点が必要ではないでしょうか。

たとえば1988年、つまり冷戦終焉の前年にして昭和63年のヒット作である『ダイ・ハード』(監督ジョン・マクティアナン)。舞台となるのが当時、米国市場を席巻中だった日本の企業や商社をモデルに造形された「ナカトミ・プラザ」であることは、ご記憶の方も多いかもしれません。しかし何人が、同ビルを占拠した武装集団の目的が金だったと知った時に発せられる、以下の台詞を覚えているでしょうか。

What kind of terrorists are you? (君らはどんな種類のテロリストなのかね)

イスラム国(IS)ほか宗教原理主義の武装組織による「身代金目的の誘拐」が日常茶飯事となった今日、ハリウッド大作に登場するテロリストの目的がお金なのは、むしろ当たり前だと思われるでしょう。しかし共産主義の理想が生きていた冷戦下では、テロとは「富裕層が私腹を肥やす資本主義や帝国主義を倒すために、損得を度外視した『純粋』な青年が起こすもの」――過激化した学生運動のようなものとされていました。だからこそ、上記の問いかけに対するギャングの首魁(アラン・リックマン)の答えも「テロリストを名乗った覚えはないね(Who said we were terrorists?)」だったのです。

『ダイ・ハード』はシリーズ化されて2013年の5作目まで続いているので、相対的には「いまも現役」の映画ですが、こうした目でふり返ると、モチーフのひとつひとつが「昨日の世界」の息吹のように見えてきます。ポリティカル・コレクトネス(PC)が進展した現在では、たぶんヒロイン(主人公の妻)はもっと聡明で、主体的に事態の解決に乗り出す女性として描かれているでしょう。高層ビルの奪還にむけて主人公をサポートする黒人警官にしても、閑職の巡査ではなく知性派の上級職が割り振られる気がします。

そしてなにより、同作はキャリアウーマンの妻に愛想を尽かされていた凡庸な刑事(ブルース・ウィリス)が、武装集団との死闘を通じてその愛情と社会的な名声を取り戻す「男性性の回復」の物語でもありました。かつクリスマスが舞台なために、みごと勝利して迎えるエンドロールでは、劇中でもスコアの各所に旋律が埋め込まれていたベートーヴェンの「第九」(歓喜の歌)が鳴り響きます。

60年代後半以降、外にはベトナム戦争の敗北、内には公民権運動とフェミニズムの高まりでゆるやかに衰弱しつつあったアメリカという国家のマチズモ(男らしさ)は、1989年の冷戦の勝利によってまさしく映画と同様の、奇跡的な復権をとげることになります。同年11月にはベルリンの壁が崩壊、高まる東西ドイツ統一への熱気(90年10月に実現)のなかで、両国の統一歌として愛唱された「第九」のファンファーレは世界中に響き渡りました――しかしそうした現実もまた、虚構としての『ダイ・ハード』の復活譚と同様、いまやリアリティを追体験しえない「昨日の世界」の一挿話にすぎません。

「昭和の崩壊」と「ソヴィエト崩御」

世界史には「冷戦終焉の年」として刻まれるその1989年の1月7日、昭和天皇が亡くなります。前年9月の吐血以来、連日のように病状が報道されていたため、その死はあらかじめ予想されたものであり、その点では2016年7月に「退位のご意向」が突如報じられて始まった「平成の終わり」のほうが、より衝撃的だったとも言えます。しかし「終わり」の後に遺されたインパクトに関して、昭和は平成の比ではありませんでした。

「平成元年」となった89年1月8日以降に、ポーランドでの自主管理労組「連帯」の選挙圧勝(6月)、ハンガリーの社会主義放棄(10月)、チェコスロヴァキアのビロード革命(11月)、米ソ両国の冷戦終結宣言とルーマニアの独裁者チャウシェスク処刑(12月)と、国際政治でも劇的なニュースが続きます。ソヴィエト連邦自体の解体はもう少し後(91年12月)ですが、実質的にはこの年に「社会主義が終わった」ことは、広く認められていると言ってよいでしょう。

かくして平成は「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意義を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。

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