與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(前編) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.03.24
  • 與那覇潤

與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(前編)

今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第10回の前編をお届けします。自民党から民主党への政権交代への期待が高まっていた2007年〜2008年。小泉ブームの中で後継指名を受け、順風満帆に船出したはずの第一次安倍内閣が失速します。その後継であった福田康夫内閣では民主党に「大連立」を持ち掛けますが、その大連立構想も挫折。その背景には、二大政党化にともなう「中間派の消滅」という大きな課題が横たわっていました。

現在の鏡のように

平成19~20(2007~08)年ほど、いま私にとって懐かしく、また多くの人には「理解しがたい」時代も珍しいに違いありません。平成の最末期からの安倍長期政権下、「安倍さんを好きでもないけど、野党がダメすぎるから支持せざるを得ない」有権者は少なくありませんね。2007年夏から09年秋までの2年間は、ちょうど鏡像のように正反対の「野党(民主党)を信じるわけではないが、自民党がオワコンなので期待するしかない」とする気分が、国民のあいだに満ちていました。

すべては、安倍晋三という宰相の「子供っぽさ」が招いたつけでした。前任の小泉政権の五年半にスキャンダルで去った大臣は2名のみでしたが、第一次安倍内閣(2006年9月~翌年同月)では約1年で5名が交代(うち1名は改造後)。それも現職閣僚として史上二人目の自殺となった松岡利勝農相、「原爆投下はしょうがなかった」の失言で引責した久間章生防衛相など[1]、あぜんとさせる体たらくは学級崩壊にたとえられたほどでした。直後に行われた07年7月の参院選で、自民党は30議席減の大敗を喫し、公明党と足してもなお過半数を割る「ねじれ国会」に追い込まれます。おまけに安倍氏が当初続投を表明し、内閣改造の後に「官房長官(与謝野馨)すら会見で初めて知る」前代未聞の投げ出し辞任を行ったことで[2]、政権政党としての信頼は地に堕ちました。

なにがまちがっていたのか。小泉自身の後継指名もうけて順風満帆に船出したはずの安倍政権を躓かせたのは、直接には争点形成の失敗でした。憲法改正につながる国民投票法の制定や、戦後初めての教育基本法の改正は、コアな保守層にはアピールしても国民全体の関心とはずれていた。くわえて親しい保守系議員の多かった「郵政造反組」の大部分を自民党に復党させたことで、民営化を応援してきた小泉改革の支持層が離反。「小泉はかつて革新と呼ばれていたような『野党的』な層を多く惹きつけていたが、これらの人々は安倍政権の方針や政策とは相容れなかった」[3]というのが、鋭い同時代のデータ分析で知られる菅原琢さん(政治学)の総括です。

しかしその小泉氏の郵政民営化への執念も、合理的な政策というよりは多分に私怨だとみられる以上(第7回)、安倍さんについてだけ「幼さ」を嗤うのはフェアではないでしょう。小泉・安倍の両氏が属した自民党の派閥である清和会(現・細田派)の前身は、佐藤栄作の後継となることを期して、福田赳夫が1970年に旗揚げした紀尾井会。しかし72年の総裁選で田中角栄に敗れ、角福戦争と呼ばれた熾烈な抗争に突入するのですが、平成前半の1995年に福田が著した回顧録を読むと、その独自の思想は派閥の後継者にも影響していることに気づきます。

「東京中のあちこちがオリンピック施設や道路建設のため取り壊され……代わりに補償金がころがりこんだ『にわか成金』たちが、そこら中に誕生した。セックス映画が氾濫し、朝から晩まで『お座敷小唄』など浮かれ調子の流行歌が流れている。どこもかしこも物と金の風潮に覆われて、『謙譲の美徳』や『勿体ない』という倹約の心掛けといった古来からの日本人の心が失われかけていた。」[4]

福田は主計局長まで勤めた大蔵省の大物OBですが、こうした描写に見られるのは「よき戦後」のシンボルとされる高度経済成長の否定(!)です。省の先輩にあたる当時の池田勇人首相を、「池田氏の消費美徳論は、私に言わせればまさに暴論」・「池田さんの『物と金優先』の考え方は、私には到底受け入れ難いもの」と酷評している点からみても、単なるレトリック上の詠嘆ではありません。安倍さんは最初の首相への就任直前、流行中だった『ALWAYS 三丁目の夕日』を「東京タワーが戦後復興と物質的豊かさの象徴だとすれば、まぼろしの指輪はお金で買えない価値の象徴である」[5]と、中学生の感想文のように評論してインテリの嘲笑を浴びますが、実はそれは戦後史の裏面で脈々と流れてきた情念だったのです。

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