與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(後編) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.03.25
  • 與那覇潤

與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第10回 消えゆく中道:2007-08(後編)

今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第10回の後編をお届けします。ソーシャルメディアが普及し、インターネットに新しい可能性が期待されていた一方、リーマンショックが世界経済を直撃。政治や社会の様々な領域で歴史的な文脈が失われていってしまいます。

セカイから遠く離れて

いよいよ世の中が本格的に壊れてきたなぁ――。2007年7月、ちょうど安倍退陣をもたらす参院選のころに博士号をとり、10月から准教授として地方の公立大学に赴任した私は、ずっとそんな風にひとりうめいていました。

『論座』の同年1月号に載って話題を席巻したのは、当時フリーターだった赤木智弘さん(1975年生)の「『丸山眞男』をひっぱたきたい。 31歳フリーター。希望は、戦争」。特集「現代の貧困」の一環をなすもので、掲載号では表紙にタイトルの入らない地味な扱いでしたが、あまりの反響の大きさに4月号には福島瑞穂(社民党首)、若松孝二・森達也(映画監督)、佐高信(評論家)など錚々たる左派論客による反論が掲載。赤木氏が6月号で応答した際には「続『丸山眞男』をひっぱたきたい」と堂々表紙に刷られたあたりに、同時代の空気が反映されています。さらに翌2008年6月には、元派遣工の青年(1982年生)が通り魔で7名を殺害、10名を負傷させる秋葉原事件が発生。これがなんと「格差社会に対する怒りの叫び」として奇妙な共感を呼び、岩波書店は3か月後、大澤真幸氏を編者とする論集まで緊急出版するほどでした[20]。

ここから見ていくように、これらの出来事にはそれぞれ、論ずるべき意味や価値があるものです。しかし歴史学という専攻も災いしてか、博士号をとり常勤の研究職となってもなにひとつ社会的に発言する機会が訪れず、教室では「高校までの日本史と違うから、あの先生はオカシイ」と嗤われていた当時の私(1979年生)にとって、レトリックで戦争待望を叫んだり、じっさいに人を殺したりする営為の方が「メッセージ」として機能するメディアの状況は、異様そのものに映っていました。私がいま、リベラル派の諸氏の反知性主義批判に冷淡なのは、彼らがこのとき示した、格差社会を叩くためなら「反知性主義でもなんでもありだ」とする態度をずっと覚えているからです。

赤木さんの論旨はシンプルです。新卒採用と長期の正規雇用を中軸に置く日本的雇用の体系のもとでは、大学を卒業した時期が「好況か、不況か」でその後の人生が決まってしまう。彼のような就職氷河期世代――文中の表現では「ポストバブル世代」――は最初から、非正規の道しか選べないハンデを負わされていたのに、目下の論壇で展開される「格差社会論」はそうした世代の差を無視して、「リストラで失業した人はかわいそうだが、ずっとフリーターなのは自助努力の不足だ」といった扱いさえしてくる。本稿でも先に触れた佐藤俊樹『不平等社会日本』なども引用され、中途までの論の運びはむしろ理性的です。

もっとも反響を呼んだ最大の理由は、苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』(2006年)で知ったという、戦時下で徴兵された丸山が農村出身の兵卒に殴打された挿話に「中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など、戦争が起こらない限りはありえなかった」[21]とコメントし、世代間の不平等が放置される現状が続くなら、自分はむしろ新たな戦争を望むとする結論でしょう。丸山眞男といえば「戦後知識人の頂点であり、絶対善」だとする感覚がある程度通用した、最後のタイミングで偶像破壊を――それもリベラルな朝日新聞系の媒体で――行ったことが[22]、衝撃を与えたわけです。しかし今日再訪したとき引用に残るのは、むしろ左派論客からの批判に応答した続編の末尾にある、以下の一節です。

「戦争は、それ自体が不幸を生み出すものの、硬直化した社会を再び円滑に流動させるための『必要悪』ではないのか。……成功した人や、生活の安定を望む人は、社会が硬直化することを望んでいる。そうした勢力に対抗し、流動性を必須のものとして人類全体で支えていくような社会づくりは本当に可能だろうか?」[23]

もういちど戦争を始めて丸山を殴ってやりたいという「反・戦後」的な煽りとは異なり、ここで表明されているのは、①「戦争か平和か」は実際には疑似的な命題にすぎず、本当の対立軸は②「硬直化か流動性か」にあるのだとする価値観でしょう。同じことを裏からいうと、社会の硬直性を解きほぐすことさえ可能なら、もちろん平和なままでいいし、逆に戦争のようなカタストロフへの待望が生まれる理由は、いまの日本が硬直化しきって身動きできないからだというわけです。翌2008年は宇野常寛さん(1978年生)が『ゼロ年代の想像力』、濱野智史さん(80年生)が『アーキテクチャの生態系』でそれぞれデビューした年ですが、これらはともに期せずして、上記した赤木さんの「真意」のほうを引きとって発展させる内容を持っていました。

前者は2000年代初頭にマンガやアニメを席巻したセカイ系――「凡庸な主人公に無条件でイノセントな愛情を捧げる少女(たいてい世界の運命を背負っている)がいて、彼女は世界の存在と引き換えに主人公への愛を貫く」[24]タイプの、自己承認を引き立たせるために世界像の崩落を描く諸作品を内向きのナルシシズムだと批判し、別個の想像力を対置する評論。後者は、すでに触れた2004年のFacebookから07年のiPhone(ともに日本版は08年から)にいたるソーシャルメディアの台頭を総括しつつ(第8回)、日本独自のIT環境がもたらした新しい「人とのつながり」の形を探る研究です。言い換えれば、宇野さんの本は「もう①の問題系に引きずられるのはやめよう」と主張し、濱野さんの方は「②の命題をテクノロジーで解決しよう」と呼びかけている。

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