宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.06.26
  • 與那覇潤

與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第12回 「近代」の秋:2011-12(後編)

今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第12回の後編をお送りします。
挫折した民主党政権に替わる、トップダウンで改革を進める小泉路線の新たな担い手として維新の会の橋下徹に注目が集まっていた2012年。その「橋下旋風」の下、意識を経由しない「直観」によるスピーディーな決断が支持されるようになっていきます。
混迷する国内の政治状況の中、わずかに残っていた「自公民」三党での大連立の可能性は、東アジア体制の変動と、歴史を軽視しナショナリズムを煽る「自分を抑えない」政治家によって打ち砕かれてしまいます。

與那覇潤  平成史──ぼくらの昨日の世界
第12回 「近代」の秋:2011-12(後編)

機動戦幻想の蹉跌

2012年の4月、研究室で献本の封筒を開けた私は、文字通り椅子から転げ落ちました。入っていたのはPHP研究所の論壇誌『Voice』で、特集名はなんと「橋下徹に日本の改革を委ねよ!」。橋下氏の盟友である松井一郎氏(当時、大阪府知事)や、かつて「平成維新の会」を組織した大前研一氏(第3回)はいかにもな人選ですが、前月放映のテレビでご一緒したばかりの意外な名前が混じっていました。

宮崎哲弥さん(評論家)を司会役にした鼎談で、萱野稔人さんは行財政のスリム化のためには「『ポピュリズム』以外に有効な手法があるかといえば、疑問」。当時、大阪維新の会が国政進出に向けて検討中の公約案(維新八策)でうたったフラットタックスについては、飯田泰之さん(経済学)いわく「経済学者は全員、賛成でしょう(笑)」[24]。全体を通読すると、手放しの礼賛ではなく懸念の指摘も見られるとはいえ、挫折した民主党政権に替わる「新たな改革」の担い手として、橋下維新に期待する基調があることは拭えません。

もっとも世の中には上手がいるもので、同誌が再度同様の特集を組んだ11月号には竹中平蔵氏が登場。いわく、取締役会がCEOを解任できるように「独裁を制御する仕組みさえあれば、強いリーダーの登場を期待しても、まったく問題はないはず」で、バラマキ政策ではなく国民の自立を促しているから、「小泉〔純一郎〕さんも橋下さんも、ポピュラーですが、ポピュリズムではありません」[25]。さすがにこれは本人も恥ずかしい論法ではと思いますが、それだけ橋下氏を通じた小泉路線の再生に期するところがあったのでしょう。

同じ年の9月9日、国政政党樹立に向けた維新の公開討論会には北岡伸一氏が出席。「一部の教科書には自衛隊や安保条約には(憲法問題で)問題が多いとゆがんだ例をあげている」と戦後教育への批判を展開し[26]、まるで「つくる会」のような口吻だと歴史学者の界隈で波紋を呼びますが、個人的には少子化問題を「ナショナリズムで解決する」「日独伊で少子化が深刻なのは敗戦国で、国のプライドが未回復だから」なる発言の方に[27]、これが一流の政治学者の構想かと哀しくなります。

なぜこうまでして、学者が「時の政治家」に近づきたがるのか。ヒントになる思想家に、イタリアの社会主義者だったアントニオ・グラムシがいます。ロシア革命のみが成功して西欧の共産化は挫折し続けた戦前、グラムシは「東方では国家がすべてであり、市民社会は原初的でゼラチン状であった」から、機動戦で中央政府の権力を奪取するレーニン主義が成功したが、「国家が揺らぐとただちに市民社会の堅固な構造が姿を現」す西ヨーロッパでは、むしろ長期的に左派系の中間団体を育成し、文化や価値観の面でも支持を調達していく陣地戦が必要だったと反省しました[28]。この発想は戦後、イタリア共産党のユーロコミュニズムに受け継がれ、日本でも革新自治体を支える理論になりました(第11回)。

ところが平成期には、1993年の──北岡・竹中氏らが支えた──小沢一郎氏のクーデター、2001年からの小泉純一郎政権という形で、「一気に首相官邸を握って、上から改革を進める」手法こそが有効に見えてしまった。ロシア革命に比せるかはともかく、結果として国民の政治意識も「非・西洋民主主義的」な方向へと、大きく傾いた側面があります。2012年10月に刊行した池田信夫さんとの対談本では、当時邦訳書が刊行され注目の集まっていたダニエル・カーネマン(2002年のノーベル経済学賞受賞者)の概念を踏まえて、こうした政治情勢を論じました。

與那覇 橋下さんは政治というものを徹底して『勝つか、負けるか』のモデルで捉えているわけじゃないですか。
池田 やっぱり彼はそういう庶民のシステム1のところを捉える本能的なマーケティングを知っているんですよ。
與那覇 逆に、橋下さんがツイッターで連日罵倒している、リベラルと呼ばれる人々が考えてきた政治は、まさしくシステム2だったわけです」[29]

システム1・2とは、心理学者でもあるカーネマンが命名した人間の脳機能の二層構造を指すものです。システム1は、意識を経由しない「直観」による判断で、反射神経や動物的な本能に近いスピーディな決定を下すもの。対してシステム2は自覚的に行う「推論」による思考法で、幅広い情報を対照することで先入見を抑制し、合理的な結論を出そうとするもの。「西洋近代のすごかったところは、条件反射的なシステム1の作動を『抑制する機構』をかなりがっちりと作って、それがいわば社会的なシステム2なのではないか」と述べているとおり(発言者は與那覇)[30]、橋下旋風の下で起きているのは日本の西洋化の終焉だというのが、当時の私の判断でした。

──「近代」の秋、だな。

三島由紀夫の盟友と呼ばれた批評家の村松剛が、三島の自死にまで連なる日本人の死生観を探究した『死の日本文学史』(1975年)に、「『中世』の秋」と題する章があります。歴史家ホイジンガの名著として知られる『中世の秋』(1919年)を意識しつつ、「中世ということばには、ヨオロッパ時代区分のにおいがしみついていて、室町時代を中世の後期と呼ぶことには多少のためらいが感じられる」ので[31]、応仁の乱を描く際にはカギカッコをつけて「中世」の秋。そのひそみにならえば、そもそも日本史上に十全な近代化があったかといえば怪しいが、それでも一応は近代を範としてきた時代がおわるという意味では、いまはカッコつきの「近代」の秋なのだろう。

ホイジンガの著書はルネサンス期を扱うフランス/オランダの文化史ですが、タイトルが『近代の春』ではないことがポイントです。新しい何かが始まろうとするポジティヴな時代としてではなく、むしろ既存の体制が爛熟するとともに煮詰まり、限界に直面し、滅びの予感に包まれてゆく。脱原発デモの高揚や個性派首長の挑戦に「日本が変わる」との期待が託されていた時期、こうしたメランコリック(鬱的)な視点で同時代を描く識者は少なかったのですが、その後の展開は私の正しさを証明したように思います。

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