『モロッコ、彼女たちの朝』── 密室劇が描いた「生きづらさ」とニューノーマルへの視線|加藤るみ | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2021.09.08

『モロッコ、彼女たちの朝』── 密室劇が描いた「生きづらさ」とニューノーマルへの視線|加藤るみ

今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第20回をお届けします。
今回ご紹介するのは『モロッコ、彼女たちの朝』です。女性監督作品として初のアカデミー賞モロッコ代表に選ばれた本作。密室劇とイスラム社会に暮らす女性の閉塞感がリンクした演出から、加藤さんは何を考えたのでしょうか。

加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage
第20回 『モロッコ、彼女たちの朝』── 密室劇が描いた「生きづらさ」とニューノーマルへの視線|加藤るみ

おはようございます、加藤るみです。

この前、実家の掃除をするタイミングがありました。
現在の私の実家の部屋は、大阪に引っ越すタイミングでダンボールに詰めた、“いらないと思うけどなんだか捨てられない物”が大量に置いてあって、ほぼ物置き状態。
実家に帰るたびに父親に「片付けろ!」と口うるさく言われていたんですが、めんどくさいのもあってずーっと放置していたんですね。
しかし、ついにこの前「もう業者に頼むぞ!」と、なんだかヤバそうな言葉を放たれたので、重い腰を上げ物置き部屋を片付けることに。
といっても、物が大量にありすぎるので、捨てたり、リサイクルショップに持っていったり、メルカリで売ったり、少しずつ進めていくつもりなんですけど。
それで、こつこつと掃除をしていたら幼稚園のころ使っていたクーピーペンシルを発見して、「うわー、クーピーっていう言葉自体、何年ぶりに発したんだろう!」って感じで、懐かしさが込み上げて手が止まってしまいました。
これだから実家の掃除は進まないんですよね。

そのクーピーは、何本か折れてたりなくなっていたりしたんですが、金色と銀色は綺麗に健在していて、「そういや金色銀色はなんかカッコいいから、特別な時にしか使わないでおこう」と結局もったいなくてあまり使ってなかったのを思い出しました。
それと、もう一本綺麗に残っていたクーピーが、「はだいろ」と表記されていたクーピーでした。
思えば、「はだいろ」はとても使いづらい色でした。

あのころの私は、「人を描くときにしか使えないじゃん」って思っていたし、潜在的な意識で「はだいろ」は肌しか使いどころがないと思っていたから、あんなに綺麗に残っていたんだと思います。

あのころの私に声をかけれるのなら、もっといろんな色で肌を人を描いてほしいと言いたいです。

今は、うすだいだいやペールオレンジと表記されていますが、あのころは当たり前に表記されていた言葉だったし、私も最近になるまで当たり前に発していた言葉だったと思います。
この小さいころに植え付けられた固定概念みたいなものを、しっかり塗り替えていかなくちゃなと、思いました。
意識しないと消えないくらい、今まで当たり前に発していた言葉なので、それが苦しいです。
もし日々のなかで、うっかり発してしまったら、ひとつひとつ反省しなくちゃと思います。
その言葉で誰かが傷つく可能性があることを忘れてはいけない。
私たち大人がこれからの時代にちゃんと伝えていかなくちゃいけないことだと感じました。

「はだいろ」のクーピーは平成で時が止まったまま、完全に過去の遺物として私の部屋の片隅に眠っていました。

そんなことを思っていたところで、今回は本題に入る前に先に一本紹介したい映画があります。
8月27日に公開された『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』というドキュメンタリー映画です。

1969年にニューヨーク・ハーレムで開催された、ハーレム・カルチュラル・フェスティバルの映像が、50年の時を経て初公開。
スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ニーナ・シモン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどのブラックミュージックのスターが出演し、伝説と呼ばれた音楽フェス。
ただ単にフェスの映像を流すのではなく、当時の参加者のインタビューも織り込まれていて、ドキュメンタリーとしての構成力も見事です。
この時代を知らなくても、出演しているアーティストたちを知らなくても、人種差別というものに向き合い、考えることができる、非常に胸を打たれる内容となっています。

キング牧師やロバート・ケネディが暗殺されるなど革命的な雰囲気が生まれていた時期で、映画『シカゴ7裁判』(’20)で描かれる、警察と群衆の衝突が発生した翌年。
1969年7月20日、人類が初めて月に降り立った日に行われていたのがハーレム・カルチュラル・フェスティバルです。
この辺りのアメリカの歴史を見ると、いかに激動の時代だったかがわかります。
差別が横行し、ドラッグが蔓延し、希望を失っていた人々の心を救った音楽の力。
“アーティストはその時代の代弁者”と語る、ニーナ・シモンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Everyday People」など、圧倒的パフォーマンスに自然と涙が溢れました。
そして、ここで起きている問題は、過去の問題ではなく、今現在の問題でもあるということ。
『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は、過去の歴史をしっかり見直し、今を見つめるドキュメンタリー映画でした。
この夏のイチオシ。
一人でも多くの人に観てもらいたいです。

さて、次に紹介するのも、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』と同じく、一人でも多くの方に観てもらいたいと思った作品です。

タイトルは、『モロッコ、彼女たちの朝』です。

こちらは、現在公開中の作品です。(7/23時点)

おそらく商業映画としては、本邦初公開の長編モロッコ映画です。
最近、日本でもアラブ圏の作品の上映が増えてきました。
レバノンの『判決、ふたつの希望』(’17)は、パレスチナ難民や宗教、民族間の問題をテーマに、国民のささいな喧嘩が国中を巻き込む大喧嘩に発展するという極上の法廷エンターテイメントに仕上がっていましたし、イスラエルの『声優夫婦の甘くない生活』(’19)は、ロシアのペレストロイカ後にイスラエルへ移民したユダヤ人老夫婦の関係性を描いた、実に秀逸なオフビートコメディで私のお気に入り。

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