堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2021.01.18

堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。
『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。

成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉
堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編)

1999年の『ケイゾク』

堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクターたちに大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像を書き換えてしまったと言っていいだろう。しかし堤は現状に満足していなかった。

 彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。(1)

堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田は、TBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。
しばらくして、植田はプロデューサーに復帰することとなり、1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。

 TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(2)

視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたものの、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗というイメージが強かった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。
そんなTBSの社員ということもあり、植田に対しても、自分とは違う世界を生きるエリートだと感じ、どこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。

画像1

▲『ケイゾク

ミステリーに対する醒めた視点

『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・警視庁捜査一課弐係に配属されるところから始まる。

この記事の続きは、有料でこちらからお読みいただけます!
ニコニコで読む >> noteで読む >>

関連記事・動画