これは想像力の要らない/必要な仕事だ――2012年12月衆議院総選挙から日本を考える 宇野常寛コレクション vol.11【毎週月曜配信】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

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  • 2020.03.02

これは想像力の要らない/必要な仕事だ――2012年12月衆議院総選挙から日本を考える 宇野常寛コレクション vol.11【毎週月曜配信】

今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回は2012年12月に行われた衆議院総選挙を取り上げます。民主党政権が敗北を喫し、現在まで続く第二次安倍政権の始まりとなったこの選挙と同じ時期に、都市部のホワイトカラー層の間で胎動し始めた「夜の世界」の思想と、その背景について論じます。
※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。

二〇一二年一二月の衆議院総選挙は自由民主党の歴史的な大勝に終わり、三年に及ぶ民主党政権は終わりを告げた。この結果を開票速報のニュースで知った僕は、ひとこと「末法の世だな」と思った。この国がいま、とてつもなく大きな暗礁に乗り上げてしまったと感じたからだ。ただ誤解しないで欲しい。僕は安倍晋三政権そのものを否定する気はない。当然のことだが、個別の政策や決定に是々非々で考えている。たとえば僕は安倍政権の掲げるリフレーション政策は基本的に支持しているし、改憲し自衛隊を国軍とすること自体にも賛成だ。しかしその一方でたとえば安倍晋三のナショナリズムについての考え方──「美しい国」という言葉が象徴するそれ──にはひどく時代錯誤なものを感じるし、その改正憲法草案に見られる人権思想の希薄さにはひどい嫌悪すら覚える。しかし、僕が問題にしているのは安倍政権の是非ではない。今回の選挙を通して僕が痛感しているのは、この国をほんとうに分断している争点が選挙という回路においてはまったく機能していないこと、なのだ。

新聞の政治面やテレビの社会面に呼ばれるたびに繰り返し述べていることだが、この国はコンピューターにたとえるのならその基本的なシステム(オペレーションシステム=OS)がその耐用年数を過ぎても放置されてしまっているような状態にあると思う。たとえば「標準家庭」という概念がそれだ。これは総務省が発表している「家計調査」という報告で用いられている言葉で、戦後日本では年金や保険、税、保育園の数などの社会制度、さらには住宅や電力・給湯設備、家電の規格、車のサイズなど、いろいろなものが標準的な家族形態を基準にして企画され、作られてきた。そしてこの「標準家庭」のモデルはいまだに「夫婦と子ども二人の合計四人で構成される世帯のうち、有業者が世帯主一人だけの世帯」──つまり「正社員の父+専業主婦の母+子ども二人」というモデルなのだ。
女性の社会進出、少子化、晩婚化……二一世紀の現在、この国でこうした「標準家庭」が現実から解離し始めていることは誰の目にも明らかだろう。そう、この国はいまだに「戦後」のシステムで動いているのだ。冷戦も、バブル経済も二〇年前に「終わった」にもかかわらず──戦後的システムを成立させていた基礎的な条件が変化したにもかかわらず──そのアップデートを拒否してきたのだ。その結果、経済は停滞し、政治は不安定になり、出口のない閉塞感がこの国を覆っている。
では、どこに突破口があるのか。友人である批評家(濱野智史)は、僕との共著に寄せた文章でこう述べている。

〈この国の希望を考えるというとき、ずっと気にかかっていた言葉がある。「私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」。一九七〇年七月、三島由紀夫が自決する直前に書きつけた言葉である。
この三島の予言は見事に当たっていた。そう多くの人が考えるだろう。たしかに、表向きはそうである。だが、私はまったくそう思わない。それはどういうことか。日本社会の「裏面」を見ればよいからだ。それは政治や経済といった「昼の世界」に対し、社会的に陽の目を浴びることのない「夜の世界」としての、日本のサブカルチャーやインターネット環境である。この十数年、そこでは異様なまでの生成・進化が絶えまなく起こってきた。そこにはいままで誰も発想しなかったような、多様で数奇なアイデアとクリエイティヴィティがある。熱意がある。しばしばその領域は引きこもりのオタクたちが集まる「タコツボ」だと批判されるが、「タコツボ」に棲み分けるからこそ、そこでは異様な進化と洗練が起こるのだ。〉(宇野常寛 濱野智史『希望論』NHKブックス 二〇一二年)

そう、行き詰まり、閉塞した日本はこの社会の半分でしかない。活力に満ちた、クリエティブなもうひとつの日本が、この「失われた二〇年」に既に生まれていたのだ。それが「夜の世界」だ。

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