宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2021.03.17

読書のつづき [二〇二〇年十月] 一寸先は闇|大見崇晴

会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
第二波の感染も落ち着き気味で、読書の捗る秋だった二〇二〇年十月。日本学術会議の任命拒否問題やGo To キャンペーンのような利権誘導型政策への懐疑など、発足したての菅内閣がさっそくやらかしを重ねて支持率を落とすなか、『いだてん』にも登場した昭和政界のフィクサー・川島正次郎が残した「政界、一寸先は闇」の名言が令和の世に刺さります。

大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年十月] 一寸先は闇

十月一日(木)

朝方の電車で眠り込けていたら、うっかり胸ポケットに挿していた万年筆(ペリカンのM600)を列車の中に落としてしまっていた。駅に降りて気づいたあと慌てて問い合わせをする。調べてもらうと遺失物管理のデータベースに登録されていたので、ゆうパックで届けてもらうことになった。

レーモン・クノーの『サリー・マーラ全集』を買おうかと思っていたのだが、うっかり忘れてしまった。この小説でもって世界文学におけるモダニズムと少女偏愛が語れるような気がしているのだが、クノーの『地下鉄のザジ』のような希望がある──世の中には多様な生があり、歳をとることは成長だと肯定できそうな面もある──物語はよいけれど、ナボコフのような文学技法の一部として取り扱うのは感心しないというか、あれは何が面白いのだろうかという気が、わたしにはある。ナボコフの小説は仕掛けが大袈裟になればなるほど、白々しくなってしまって、わたしは読んでいる途中に飽いてしまう。短編集と『賜物』ぐらいしか楽しく読めた記憶がない。

いわゆる「冷蔵庫の女」(物語を作動させるために被害者となる女性)を、さも当然の如き存在として取扱う作家というのは、どうにも信用ができない。倫理観であるとかフェミニズムであるとか、そういったこととは関係なく、物語も人物も定形でしか描けない作家というのは技術的に未熟ではないかという疑いを持っているのだ。そうした意味では、ハメットやチャンドラーを再読してみたい気持ちはある。被害者(候補)から依頼を受けて仕事をする受け身の男性を多く描いた作家たちではないか、という印象を持っているのだが、そのような印象が正しかったかの確認作業なのではあるが。

それにしても万年筆が欲しい。車内に落とした喪失感からの反動なのだろうか。アウロラのオプティマもパイロットの漆塗りも欲しい。

十月二日(金)

文章を書くのに手間取っている。本業でも日記でも、である。折りたたみで使いやすい文机でも欲しいものだ。そうでなければ、井伏鱒二のような文机が欲しい。陽のあたる場所に正座をして向かい、原稿用紙と万年筆ぐらいしか物が置かれてないような文机。しかし、そういう間取りで生活をしたことがない。卒論を書いたころから、わたしは坂口安吾を収めた著名な写真のように、資料が氾濫したところで文章を書き続けた気がする。それでも憧れるのは井伏鱒二である。

集中しやすい環境が欲しいという意味では、AppleのAirPodsも欲しい。外部からの雑音をシャットアウトしたい。

帰宅をしてテレビを点けると日本学術会議への入会が拒まれた研究者の名前が明らかになっていたのだが、宇野重規・加藤陽子と、学問的実績は万人が認めるところで、政治的なスタンスとしては保守中道としか言いようがない穏健なひとたちだったので驚いてしまった。こうなると、政権が研究者たちに難癖をつけているようなものだ。選ばれたひとらの政治的なスタンスが要因で学術的な業績を認められないというのであれば、政治的なことを口にする研究者はみな日本学術会議に参加できないようなものだ。しかし、政治というのは人間が生活を送っていればどうやっても拘らざるを得ないもので、そういう意味では死んだ人間か政権が好意的な人物以外は参加できなくなってしまう。だからこそ世界中で学問の自由というものが認められているはずだが、そうしたものを無視する政権というのは、学問の自由など屁とも思っていない国家(たとえば中華人民共和国)にそっくりになってきている気がする。

「ぼくらはカルチャー探偵団」編集の『短編小説の快楽』を久しぶりに読んでいたのだが、はからずも、わたしの短編小説の趣味は金井美恵子に近づいていると気づいた。まあ、悪いことではないのだけれど。深沢七郎の『東京のプリンスたち』のような、他の国のひとに読まれて恥ずかしくない短編小説というのは、なかなか書かれないものなのだ。

十月三日(土)

そろそろ加湿器を設置して暖房を効かせたほうがいいような季節であるように思うのだけれど、十月になっても秋めいた気もしないし、冬の寒さというものも余り感じない。

バジル・ウィリー『十九世紀イギリス思想』が届く。面白い。著者の他の著作にも当たったほうが良さそうだ。唯美主義に連なる芸術運動は、ワーズワースに端を発するという見方には納得する。レズリー・スティーヴンの『十八世紀イギリス思想史』と併せて読みたい。ふと思ったが、坂田靖子の名作『バジル氏の優雅な生活』のバジル氏は、バジル・ウィリーから名前が採られたのだろうか。

薄めのMDノートが届いたのでバレットノートを取りやすくなった。

NTTとKDDIが災害対策で協業するとの報道。

ダイエットに二時間ほど散歩。今日一日は蒸し暑かった。途中にブックオフに寄る。買ったのは以下の本。

・辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』
・ハンチントン『分断されるアメリカ』
・大沼保昭(聞き手:江川紹子)『「歴史認識」とは何か』

ハンチントンの『分断されるアメリカ』は二〇〇〇年ごろの刊行物なので、十何年経過して分断が誰の眼にも明らかなほど前景化されて、その事態そのものを統治(というよりは権力維持)の手段として用いる為政者(トランプ)が登場することになったのだろう。その間に解決がなされなかったとも言えるのかもしれない。そう考えると、世界中で失われた何十年を送っていたのだろうかと溜息をつきたくなる。

十月四日(日)

郵便局でエリアス『文明化の過程』下巻を受け取る。

千葉市美術館に足を伸ばし、「宮島達夫クロニクル」展を観た。「地の天」、大変素晴らしかった。この作品で宮島がオマージュした榎倉康二「予兆──海・肉体」であること、さらに両作品とも展示を見れたことは収穫だった。

ブックオフで以下を買う。

・桂文楽『あばらかべっそん』
・小島貞二『高座奇人伝』
・山下勝利『芸バカ列伝』
・立花隆『アメリカジャーナリズム報告』
・双葉十三郎訳/レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
・鮎川哲也『下り”はつかり”』
・梶山三郎『トヨトミの野望』
・アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)
・浅田彰・島田雅彦『天使が通る』

梶山三郎『トヨトミの野望』は、日本で一番有名な自動車メーカーの内情が明かされた企業小説、という評判を聞いて買った。しかし読むのが億劫になって、まだ一頁も読んではいない。梶山三郎という筆名で、古い小説の読者であるわたしは、ほう力みなさって、と思う。

戦後日本の経済小説といえば、大まかには三つぐらい大きな潮流があり、ひとつは会社員たちの悲喜こもごもを描いた源氏鶏太、もうひとつは小説仕立てでありながら実名報道が憚れるため小説扱いにした面もある梶山季之、最後にはどちらかといえば企業という組織の内部にドラマを見出した城山三郎といったあたりになるだろう。梶山季之がプリンス自動車(のちに日産に吸収される)の内幕を描いた『黒の試走車』を意識しながら、城山三郎ばりにトヨタという組織を描いたというあたりが筆名ひとつで伺える。文学史に残る(それどころか、梶山季之は「噂の真相」のスタッフが憧れた「噂」という雑誌を刊行していた大出版人である)作家たちの名前を拝借して小説を書くという意気込みは、いまどき珍しい。噂によると中京圏では実録ものとして読まれているとかいないとか。

トヨタは小説にするに足る企業であるとは思うが、個人的には、みずほ銀行のような、十年に一度ぐらい大規模システム障害を発生している企業の内幕を面白おかしく描いてほしい。そこにはトヨタ以上の権謀術数の世界があるはずである。梶山や城山といった同時代の作家と張り合うようにして、バルザック的な大ロマンを企業のうちに求め、そして誰よりも成功した山崎豊子という巨大な存在もいるのであるから。日本の社会派小説で、戦後で残すに足るのは、間違いなく松本清張と山崎豊子である。昨年(二〇一九)に何度目かのリメイクを果たした『白い巨塔』は、岡田准一の好演と小林薫の怪演も相まって、十分に堪能させてもらった(山崎豊子の作品は、『不毛地帯』の大門一三もそうだけれど、関西弁の主要人物が怪気炎を上げれば上げるほど、映像的に面白くなる)。

それはさておき、寝不足のためか空間認識が狂っている気がする。かといって、どうしたらよいものか。さっぱりわからず。参った。

毎週愉しみにしている『麒麟がくる』だが、足利政権の中枢に明智十兵衛が入り込むに至って、『太平記』じみてきた。脚本を担当しているのが同じ池端氏なのだから当然といえば当然なのかもしれない。それにしたって面白い。どこを切っても面白く、演劇的に、史劇的な伏線の張り方も、いい。来週の日曜日がもう待ち遠しい。

ゆうパックで配送を頼んでいたペリカンのM600が届く。

十月五日(月)

COVID-19に感染しているトランプが、一時病院から抜け出して、支持者を前に自動車から手を振るパフォーマンス。治癒したからといって、他人に伝染させるリスクがあるから即復帰できないのが、この病気の厄介なところだ。そうした厄介さなど大したことではないようにトランプは振る舞っているが、それがアメリカの感染者大幅増を招いている気がする。テレビに映っている有名人がマスクをしているかいないかを見て、同じようにマスクをつけたり外したりしている人間が、わたしの家族にもいる。世界中そんなものだろう。そんななかカメラに映りたがる国のトップがマスクをしていないのだから、医療関係者にとってみれば厄災以外なんでもないだろう。

一昨日・昨日と以下の本を注文。

・中川純男編『哲学の歴史3 神との対話』
・T・S・エリオット『エリオット全集』全五巻

ダイソーで新作のマルチケース(三三〇円)を買ってみたが、よく考えたら使う場面がなかった。

十月六日(火)

病院から人間ドックの結果について連絡があった。おおむね悪いところはなかったとのこと。二〇分ほど電話で説明を受ける。心配をしていた血糖値も問題なかったのでほっとした。

Amazonで注文していたOrobiancoの野帳カバーが届いていた。大変良い。MDノートの新書判を入れて使っている。

十月七日(水)

病院からメール。今後はWebとメールで食餌の管理をしていくとのこと。新しい時代の到来を感じる。電話診察というのが広まっていくのだろうなあ。

今日は夕方頃から雨が降り冷え込むとのこと。体調に気をつけたい。

COVID-19の感染が気になるので加湿器をダイソーで買ってみたが、二%程度しか加湿されない。もっとも、個人用でUSB給電するタイプでは、このぐらいでも上出来なのかもしれない。

ようやく秋めいてきた。寒くなったからか、身体が強張って肩こりがでるようになった。疼痛もある。

ほぼ日手帳カズンのカバーの大きさで、ちょうどよいノートカバーを探しているが、なかなか見つからない。マスキングテープ専用のカッターとテープ(灰色と水色)を買った。

エディ・ヴァン・ヘイレン死去の報。随分前から癌闘病の報道が伝えられてきたから、ついにその日が来てしまったか、というかんじだ。わたしの世代はヴァン・ヘイレン再評価世代(グランジ・ロックがブームになった際に、ボーカルのカート・コバーンが彼のアイコンとしてエディを取り上げた)なのだが、まさかオジー・オズボーンよりも先に死ぬというのは想像もしていなかった。ジャンルで言えば同じヘヴィ・メタルのアーティストであるが、ギターの名手として知られるエディと異なり、オジーは目立とう精神のあまりに生きた鳩やコウモリを食べたりしていたわけで、コウモリからCOVID-19が発生したのではないかと言われている昨今、ひとり世界に先駆けて感染症のデパートになろうとしていたのである。そんなオジーよりも先に逝くとは、である。

十月八日(木)

ANAの賞与カットが話題になっていた。世の中伝染病で不景気だ。

最近、電車内で人口密度が高くなってきている。これは「GoToキャンペーン」の効果なのだろうか。しかし、こんな調子でひとびとが観光をして大丈夫なのだろうか。気温と湿度が下がってきたので、飛沫感染のリスクは確実に上昇している。それに対応する医療制度や体制の構築が進んでいるというのは、さっぱり報道されていない。報道されていないというより、政府は何もしていない。こんなことだと冬本番になったら感染者が爆発的に増えてしまうのではないか。

家計簿を探したが、好みのものがみつからない。

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