宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.12.17

読書のつづき [二〇二〇年七月]『MIU404』を慰めにする夏|大見崇晴

会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
新型コロナ第二波対策のパフォーマティブな喧伝と既定路線の結果しか見えない東京都知事選が進行する一方で、「Naverまとめ」のサービス終了や「ほぼ日」の本社移転など、ネットメディアの曲がり角を印象づける報で幕を開けた二〇二〇年七月。
ゲリラ豪雨が相次ぐ不安定な気象と心身の不調に苛まれつつも、民放ドラマの久々の快作『MIU404』を慰めに、論理と修辞をめぐる書々の耽読は進みます。

大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年七月]『MIU404』を慰めにする夏

七月一日(水)

昨夜それなりに眠ったはずなのだが、眠い。目を開いていても閉じていても、世界が靄がかっているような気がする。

週末にはトランクルームに積み上げられた本を処分しなくてはいけない。トラスコ中山の台車でも買おうか知らん。

少しは日程管理をしたほうがいいと思ってTrelloをインストールしてみたが性に合わない。

岩波書店から出ている『〔新増補版〕ギリシア・ラテン引用語辞典』が無性に欲しくなったのだが、よく考えたらギリシア語もラテン語も読む機会がないことに気づいてしまった。とはいえ欲しい。ほしいが置く場所もない。

NAVERまとめ[1]、本年九月三〇日でサービスを終了するとのこと。今年はもともとイベントが多い一年で、アメリカ大統領選[2]ぐらいまではサービスが存続するかと思ったが、PVを稼げないと判断したのか、それとも上期でちょうど良いと思ったのか、という時期でのサービス終了である。これはCGM(消費者生成メディア)でのマネタイズが困難になったということなのだろう。インターネット上のメディアは再編成が始まる。

「ほぼ日」[3]の本社が移転するとのこと。青山から神田神保町への移転だそう。創刊したばかりという「ほぼ日」のメルマガに掲載されていた。これで小物屋さんからカルチャースクールに業態が変わっていくのだろうか。企業の立地というのは奇妙なもので、場所が変わるとそれだけで色が変わる。企業理念といった言葉が軽く吹き飛ぶぐらいに、場所や建物といった環境に人間は左右されるのだと思わされることがしばしばだ。前に「ほぼ日」が移転した前後は、吉田カバン[4]やBEAMS[5]とのコラボ商品が増えた時期だった。NORTH FACE[6]とのコラボ企画もあったのではないか。建屋が青山にあれば、そうしたブランドのひとたちとの打ち合わせもしやすかったことだろう。そんな青山から神田神保町に移転するというのだ。岩田宏が人間の悲哀を詩にした、あの神田神保町にである。店舗の多さから考えれば、「ほぼ日」は古書のイベントやカルチャースクール的な面が自然と強くなるような気がする。するが、さて。

これまで「ほぼ日」というメディアは、業界人の賄い飯のような楽屋裏をタダ同然でインターネット上にリリースし、その内容に共感した読者が手帳を買ったり、イベントのチケットを買ったりして、企業らしい体裁を整えた。朧げな記憶では、株式上場まではたまに読むこともあったが、上場後といえば、なんといったら良いか、むかしながらの広告事業と手帳販売で成り立っているような企業に見えた。博文館の末期もこんなかんじだったのだろうかと思ったりもしたが、事業としてはこれまで以上に大きくなっているはずなのである。

それでも「ほぼ日」に驚かされるというか、感銘を受けるようなことと言うのは、なくなってしまった。どんな香具師めいた口説きで落としたかはわからないが、ボサノヴァの創始者であるジョアン・ジルベルトを銀座有楽町は東京国際フォーラムに引っ張り出して歌わせたのは、「ほぼ日」だったのである。まあ、それだって十七年前、二〇〇三年のことで、それ以降わたしは「ほぼ日」に案外驚いていないのかもしれない。ギター一本で世界の音楽を変えたお爺さんを引っ張り出したことが偉いというのも呆れる話で、本当はもっと、みながギター一本でも良いから革命を起こしてもよいのかもしれないし、その当たり前にわたしが気づいてしまっただけかもしれないが。

そして困ったことに、わたし自身はこの数年「ほぼ日手帳」を使っていないのだ。いま書いている日記でも明らかな通り、文章量が多い日には何ページも亘ってノートに文字を書き付けている身としては、一日一頁しか書き込めない制限自体が使い勝手の悪さに感じられるのだ。わたしはその日の予定など気にならない。それよりもその日に何が起こったかが気になる人間で、そういう人間には手帳という体裁は相性が悪いのだ。ノートとカレンダーがあれば大抵のことは事が済んでしまうのは、良いのか悪いのか。

チャールズ・テイラー[9]『今日の宗教の諸相』、ネット上の感想を見かけていると面白そうだ。借りるか買うかしよう。

寝際にロラン・バルト『旧修辞学』を読む。

[1]NAVERまとめ 韓国のIT企業NAVERが二〇〇九年七月一日開始したWebサービス。インターネット上の記事などにリンクを張り、情報を整理した「まとめ」をユーザーが公開できるサービスだった。二〇二〇年九月三〇日にサービスを終了した。

[2]アメリカ大統領選 二〇二〇年十一月三日に実施されたアメリカ大統領・副大統領を選出する選挙。民主党からはバイデン、共和党からはトランプが立候補した。十一月七日ごろにはアメリカ中西部やラストベルトと呼ばれる工業地帯での支持を取り返したバイデンが勝利したという情勢認識が一般となり、十一月二三日にはGSA(一般調達局)がバイデン陣営への政権移行に関わる予算を執行したことにより、実質的な勝利認定が済んだ。

[3]「ほぼ日」 株式会社ほぼ日。コピーライター糸井重里が一九九八年六月に開設した「ほぼ日刊イトイ新聞」が企業化され、二〇一六年に株式会社化、二〇一七年三月十六日にJASDAQに上場。物販販売(おもに手帳)で収益を上げている。

[4]吉田カバン 日本の鞄メーカー。一九三五年に創業。社名よりも自社ブランドであるポーター(PORTER)が人口に膾炙している。BEAMSとのコラボ商品でも知られる。縫製が頑丈なことに定評がある。

[5]BEAMS 段ボール製造業だった新光株式会社が、一九七〇年代に輸入雑貨を取り扱う店舗を開業後、セレクトショップ・輸入雑貨店として人気を博す。一九九〇年代の裏原宿ブーム前後でブランドとしての知名度を上げ、現在に至る。

[6]NORTH FACE 一九六六年にアメリカのカリフォルニアで創業されたアウトドア用品と衣服を主としたブランド。

[7]岩田宏 一九三二年生、二〇一四年没。日本の詩人、翻訳家。翻訳家としては本名の小笠原豊樹名義で発表していた。翻訳家としての仕事は手広く、かつ定評があり、マルチリンガルだったこともあって多岐にわたる。イリヤ・エレンブルグ、ソルジェニーツィン、マヤコフスキーといったロシア文学、ロス・マクドナルドとマーガレット・ミラー夫妻のミステリー小説、ブラッドベリやスタージョンなどのSF文学、ジョン・ファウルズのような村上春樹らにも影響を及ぼしたであろうオカルト文学などを手掛けており、海外文学を手に取ったひとで岩田宏の訳業に接しないことのほうが難しい。

[8]ジョアン・ジルベルト 一九三一年生、二〇一九年没。ブラジルの歌手、ギタリスト、作曲家。ボサノヴァの創始者。一九五八年にアントニオ・カルロス・ジョビンと録音した楽曲がボサノヴァで初めて録音された曲とされる。一九六三年にスタン・ゲッツと録音した『ゲッツ/ジルベルト』がヒットし、今日でも演奏される「イパネマの娘」が世界的なヒットとなる。気難しいことでも知られており、二〇〇三年に初来日してライブ演奏をしたことは驚かれた。

[9]チャールズ・テイラー 一九三一年生、カナダの政治哲学者。政治的にはコミュニタリアン(共同体主義者)と呼ばれる保守的な立場をとるが、コミュニタリアンと呼ばれる知識人が、もともと反原子力の運動に晩年を費やしたことでも知られるE・P・トムソンなどと創刊した雑誌「ニュー・レフト・レビュー」のメンバー(他にアラスデア・マッキンタイア)が少なくないように、リベラル・コミュニタリアン論争は単なる革新と保守による論争ではなかった。二〇〇八年に稲盛財団より京都賞「思想・芸術部門」を受賞。

七月二日(木)

急に晴れだしたからなのか、腰が痛む。ヘルニアの再発でなければよいのだけれど。

今更ながら自分の文章が読みやすいかどうかが気になってきた。不安解消にノートをつけながら以下の本を読んでいる。

・福沢一吉『論理的に読む技術』
・福沢一吉『論理的思考』
・井田良、佐渡島紗織、山野目章夫『法を学ぶ人のための文章作法』
・ロラン・バルト『旧修辞学』

七月三日(金)

高見浩[10]によるヘミングウェイ『老人と海』の新訳が新潮文庫で出るとのこと。これは読みたい。仕事が慌ただしかった。「脱力タイムズ」を視て寝る。

[10]高見浩 一九四二年生、日本の翻訳家。ヘミングウェイの全短編、主要な作品の翻訳で知られる。他にも福祉国家化していくスウェーデンの社会を背景に描かれた警察小説「マルティン・ベック」シリーズ、サイコホラーを流行させたトマス・ハリス、映画・文学ともに一九九〇年代に流行したノワール物の作家エルモア・レナードなど、その後の文化・文学に大きな影響を及ぼす作品の翻訳を多く手掛けている。

七月四日(土)

部屋片付け。バルト『旧修辞学』を読む。ノートを取りながらだったので肩が凝った。

七月五日(日)

都知事選は小池氏が再選。政策を抜きにすれば、巧みな選挙戦術だった。二位になったのが宇都宮健児で、これで久しぶりに都知事選が保革の争いに戻りつつある。都知事選で医療や福祉のような社民的な論点に眼が向けられるようになったことは、COVID-19の影響があるとは思うが、そうだとしても潮目が変わったように思う。準国政選挙とも言えそうな都知事選での論点は、ここ何年も五輪と再開発ばかりだった。

しかし、より驚いたのは、維新から出馬した候補が、ギリギリになって出馬した山本太郎よりも下位に沈んだことだった。他の候補よりも早く宣言して、熊本県副知事を辞職して──台風被害で大変なのに──準備万端での立候補となったのに、あっという間に抜かれていた。これはもう、維新という政治集団の鮮度が落ちきったのではないかと思えるような、深刻な敗北に見える。

そんな維新の候補に投票しているのは、どの層の人間であるか調査がテレビで放送されていたのだが、三十代四十代の男性からだそうだ。わたしの同世代である。要するに維新には一部中年男性に対して強力な訴求力があるということなのだと思うが、そこに中年男性であるわたしは、見たくない思想的現実を見てしまう。

維新的なものの埋没というのは、与党の補完勢力(自民党の別働隊)として機能する野党が求められなくなっている、ということである。言い方を換えれば、大きな流れに身をすべて任せる気はないが軽く棹をさす程度は反発をしたという自意識を政治行動に移すという投票行動を起こすのは、現在の日本では主として中年男性であるということなのだろう。この都知事選の結果を受けて、来年秋には任期満了となり自動的に選挙となる衆議院では、一層と野党再編の動きが進むだろう。それは社民的なものや立憲主義(法治主義)の価値を再発見してのことだろう。その線で国民民主党は解体してしまうのだろう。党をまとめる求心的な課題というものがなく、是々非々で政策を論じ合いたいという程度にしか見えない政党はただでさえ脆いのに、この小選挙区制度では耐えうるとは思えない。維新と国民民主は、いつものメニューに飽きた中年男性が気まぐれに注文する季節のメニューみたいなものになりつつある。

七月六日(月)

腰痛と肩こりが辛い。気象と連動しているのかもしれない。大荒れの天気だ。

佐々木健一『美学辞典』を横に置いてバルト『旧修辞学』を読み進める。丸善オアゾ店で以下を買った。

・アレン・ギンズバーグ[11](柴田元幸訳)『吠える』
・ロマン・ヤコブソン[12]『ヤコブソン・コレクション』
・ポール・グライス『論理と会話』

『吠える』以外は修辞学に関連した書籍としての購入だが、『ヤコブソン・コレクション』は彼の主要な論文を一冊の本で読めるようになっていて、大変にありがたい。わたしが学生のころは古書店を回って何冊もロシア・フォルマリズム関連の本を買わないと、これらは揃わなかった記憶がある。

[11]アレン・ギンズバーグ 一九二六年生、一九九七年没。アメリカの詩人。ビート文学の代表的な詩人。ボブ・ディランがギンズバーグに影響を受けており、ディランのライブでギンズバーグが出演したことなども有名。ゲイであることを隠さなかった。

[12]ロマン・ヤコブソン 一八九六年生、一九八二年没。構造主義と呼ばれる思潮に大きな影響を及ぼした学者。研究対象は範囲が広いが、もともとは詩の構造分析を行っていた。第二次世界大戦下にアメリカに亡命。この地でレヴィ・ストロースと出会い、知己となる(ストロースはユダヤ人の受け入れが活発だったニューヨーク知識人の一員となっていた)。ヤコブソンとの交流は、ストロースに『親族の基本構造』を執筆させるきっかけとなった。

七月七日(火)

七夕。電車内が混雑していて、日常に戻りつつある。しかし、そもそも日常とはなんなのだろうか。

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