宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2021.02.09

読書のつづき[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち|大見崇晴

会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
すっかり亜熱帯化した夏の終わりから秋にかけての気候のしんどさに大見さんも体調を狂わされているなか、ほとんど熱量の感じられない菅義偉内閣が発足してしまった二〇二〇年九月。またも起こってしまった有名女優の自死の衝撃で、日本の作家たちの生き様・死に様の対比に自らのロールモデルを求める気分が引き出されます。

大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち

九月三日(木)

この数日、体調が優れていない。熱があるわけでも何でもないのだが。疲労がたまって、何もする気が起きない。

九月五日(土)

疲れで眠りっぱなしの一日だった。

ウィンチ[1]『倫理と行為』を少し読む。

すなわち、実在が有り、そしてそれが言語に意味を与える、という事情ではない。何が実在的であり、何が非実在的であるか、これ自体も言語が持つ意味の中で示される。更に、実在と非実在との区別、及び実在との一致という概念、これら自身も我々の言語に属している。といっても、これらが言語の他の諸概念と同列である、と述べるつもりではない。これらは明らかに言語においても要の位置、ある意味で限界づけをする位置を占めているからである。(p.16)

にも拘らず、実在的なものと非実在的なものとの区別は、この区別が言語の中でどのような仕方で働いているかを理解せずには、実際には不可能だろう。それ故、実在的、非実在的という概念が用いられている時にもどのような意味が与えられているかを理解しようとすれば、我々はそれらが現に──言語の中で──持っている用法を調べなければならないのである。(p.16 – p.17)

なるほど、ある特定の科学的仮説が実在と一致するか否かを問い、これを観察と実権でテストすることは可能である。即ち、実験の方法と、仮説に登場する理論語の確定した用法が与えられれば、仮説が正しいか否かという問は、私や他人の思いから独立なものに訴えて決着がつけられる。しかし実験が明らかにするデータの一般的性質は、実験で用いられる諸方法にうめこまれた基準によっての特定であり、またこの基準は基準で、それを用いるような科学活動に精通した人にとってのみ意味を持つのである。(p.17)

なるほど、神秘的な力が働いているか否かを決定する方法は確かに存在するが、この方法は我々が「経験的」確証ないしは反駁として理解しているものと同じではない。このことは実は同語反復なのである。というのも、「確証する」手続きにおけるこのような相違こそ、まずもってある事柄を神秘的な力として分類する主たる基準だからである。(p.26)

[1]ピーター・ウィンチ 一九二六年生、一九九七年没。イギリスの哲学研究者。社会科学の研究に貢献した。『社会科学の理念』は名著とされる。

九月七日(月)

この数日はスランプだったけれど、ピーター・ウィンチを読んでから、すこしやる気が出た。それとは別にデューイについて読書を進行させないといけないのだけれど。

今年の九月は中旬から関東の台風シーズンになりそうとのこと。昨年は電柱が倒れて停電に三日間も困らされた。まいった。

そういう意味では、今年の秋はいつから始まるのだろうか。二〇〇七年そっくりの天候だと説明が気象予報を調べるとなされているが、二〇〇七年も二〇一〇年も何も二一世紀になってから、ずっと猛暑が続いているから、何がどう似ていて、何がどう違って今年の夏の特徴なのかもわからなくなってきつつある。日本は温暖化で亜熱帯になりつつあるとわりきらなくてはいけないのだろうか。暑さ寒さも彼岸までと言われていた時代は遠い昔のことになってしまいそうだ。

映画『マトリックス』にも出演していたコーネル・ウェスト(彼がインタビューに応える形の著作『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ: 現代を照らし出す6つの魂』(原著刊行は二〇一四年)は、W・E・B・デュボイスの再評価に関する記述など、大変勉強になった)の著作が好きなのだが、『人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生』が出ているとは知らなかった。

[2]コーネル・ウェスト 一九五三年生。アメリカの哲学研究者。プリストン大学教授。過去にハーバード大学に勤務していたが、アメリカ財務長官を務めたローレンス・サマーズが学長に就任したのち、対立し退職している(なお、サマーズはその後に女性蔑視発言を起因として学長不信任案を可決され辞職している)。映画「マトリックス」シリーズに「ウェスト評議員」として出演していることでも知られている。

[3]W・E・B・デュボイス 一八六八年生、一九六三年没。アフリカ系アメリカ人として博士号を取得した初めての人物。『黒人のたましい』のような文学史に残るエッセイ、『フィラデルフィアの黒人』で後のシカゴ学派を先取りした社会学の著作などあり、非常に多作であった。近年再評価の機運が高まっている。

九月九日(水)

結局昨日は忙しく、寝るのも遅くなった。今日は早く眠りたい。

そろそろ読書に時間を費やせそうな目処がたってきたので、以下の書籍を注文した。

・古田暁訳『アンセルムス全集 改訂増補版』
・ジョエル・ウィリアムソン『評伝ウィリアム・フォークナー』
・オーガスティン・ブラニガン『科学的発見の現象学』

今年は買っても使わないデバイスを増やさないようにと心がけてきた。万年筆は買ったとしても、あと一本ぐらいで済ませたい。PCはMacBookがほしいが、現状のPCで用が足りるので買う必要はなさそうだろう。iPhoneは買い換えないといけないはずだけれど、5Gに対応した端末と設備が整うのは来年になりそうだから、今年は見送ることにしよう。

伊勢谷友介が大麻の所持で逮捕。しかし遅きに失した気がする。わたしは別に芸能界のことに明るくないが、伊勢谷友介の薬物に関するスキャンダルは週刊誌で何度か報じられていた。そうした悪評と見栄えの良さと成功者然とした振る舞いが、宮藤官九郎脚本のドラマ『監獄のお姫さま』で悪徳社長に起用された理由だったのではないかと、わたしはてっきり思っていたのだが(ゆえに、高杉晋作や吉田松陰といった長州藩出身の人物を伊勢谷友介が演じるのは、大麻解禁運動で知られる安倍昭恵氏との交流があってのものではないかと錯覚したほどだ)。それにしても、これで『龍馬伝』と『花燃ゆ』などの大河ドラマは再放送がなされなくなってしまうのだろうか(「いだてん」に対する社会的制裁はそのようなものだった。わたしはそのような制裁とは異なる制裁や、ドラッグからの再起支援策の拡充のほうが重要と思うので、マスコミの騒ぎ方もインターネットの騒ぎ方も、自分たちの社会のことではなくて、他人事と思いすぎているように見えて、時折この社会で生活することに不安を覚えてしまう)。

この日記は手書きでMDノートないしツバメノート(ともに方眼)で書いたものを、Markdown文法でデジタル化しているのだが、CSSを上手に設定すれば出版用やWebサイト用の出力がしやすいから、それに取り組むべきな気もする。しかし、わたしはヴィレッジセンターのHTML教本でWebページを作っていたものの、肝心のCSSが普及する前にWebページを作ることを止めてしまったので、技術的な蓄積はほとんどない。その道は険しい。

九月一〇日(木)

熊田陽一郎『美と光』を注文する。システム手帳用のパンチが届く。

この記事の続きは、有料でこちらからお読みいただけます!
ニコニコで読む >> noteで読む >>

関連記事・動画