水沢腹堅(さわみずこおりつめる)|菊池昌枝
滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。滋賀県もいよいよ冬本番。今回は冬至から元旦にかけて、厳しい寒さを乗り切るため菊池さんが手掛けたさまざまな試みをお届けします。
菊池昌枝 ひびのひのにっき
第7回 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)
冬と暮らす
これを書いているのは七十二候でいう「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」である。
つまり沢の水が凍ってしまう一年で最も寒い時期。二十四節気では「大寒」だ。
12月に入り冬至を中心にして「小雪、大雪、冬至、小寒、大寒」と続くこの期間が日本の冬である。この時期の自然の移ろいや行事を見て、聴いて、味わって、触って全身を使って享受すると頭や理屈だけの蓄積だけでないことがストーンと落ちてくるのがわかったのだ。
冬ってなんだろう。
12月に入り小雪(11月下旬から12月上旬)に入ると、だんだんと日も短くなり寒さも増す。夕暮れになると寂しさも増して個人的には好きではない。都市の気密度の高いマンションでは感じられないのは、ちょっとした風の動き、日差し、虫もほとんどいなくなった庭に鳥たちが降り立つ頃。対して古家にいると、冬の匂いがするような毎日の変化がわかる。自分の立っている地点から全ての自然を相手にして暮らしているのだ。田舎びとにとっては人づきあいも自然の一部。「寂しいなぁ」なんて言って何もしないと、自然に飲み込まれてしまうのだ。この感覚は東京にいるときにはなかったものだ。人が住まなくなった家や地域は、植物や動物すなわち生物の進入度が高くなる。そして長い時間をかけて取り込まれ自然の一部になって(戻って)しまう。それだけ強烈なものがそして毎日の自然の営みなのだ。
それを感じる生活を送っていると、自然との関わりを保っていくのが日々の暮らしだとわかってくる。冬はそれを最も感じる時期だ。
▲冬の青空は平ったい感じ
▲もう夜が来たとやるせなくなる日々
そこで、冬眠生活を始める前に、庭の片付けをして少し先のことをする。
庭の落ち葉をかき集めて土中コンポスト(堆肥)を試してみた。肥料を使わずに庭を植物や他の生物をその土に戻す作業だ。土を少し掘って、分解しやすそうな柔らかい枯れ葉を収めて滋賀県の無農薬の農家さんからもらった米糠を混ぜて土を被せる。それだけ。引っ越す前に納屋があった場所は土が建物の重さで固まっているためか雑草すら遠慮がちなので、そこで試してみる。春はどうなっているかな、と楽しみにしつつ、イチゴの苗を植えてみた。これから雪も降るのに枯れないのだろうか? 答えは枯れない。1月25日の今日でもガッツリ生きている。
▲12月1日に植えたイチゴ
▲落ち葉米糠を加えて土に埋めるだけ
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