べんがら塗り〜鴻雁北(こうがんかえる)|菊池昌枝 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2022.05.24
  • 菊池昌枝

べんがら塗り〜鴻雁北(こうがんかえる)|菊池昌枝

滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。
人類が初めて使った無機塗料「べんがら」での塗装を通じて人類史の壮大さに思いを馳せながら、「古いもの」を使い続ける豊かさを噛み締めます。

菊池昌枝 ひびのひのにっき
第9回 べんがら塗り〜鴻雁北(こうがんかえる)

外壁の品格

これまで何度かお伝えしたが、私の家は古民家だ。玄関周りはおそらく最近──それでも昭和50年代に修繕されたと推定できるものの、側面の窓は無用心だということで工務店さんが格子を新たに作ってくださったのだ。
玄関先の板塀の色は褪せて薄赤く変色し、側面の格子は生木のままだったので1年も経つと色はくすんでいる。
それが少し気になっていたところ、お隣のおじちゃまがご自身の玄関先を自分で塗装していた(おじちゃまのお宅も古民家)ので、「この塗料はどこで手に入れるのですか」と尋ねてみたのだ。そうしたらおじちゃまが言うには、これは「べんがら(弁柄)」という塗料で、この地域でよく使われているものだとのこと。聞けばおじちゃまの弟さんもべんがら塗り教室に通ったので、そこから教えてもらっていたということで、その時は「そういう教室があるのか!」と小耳に挟んでおいた程度だった。
翌日、毎朝のお散歩でお向かいの別のおじちゃまに「私もべんがらしてみたいねん」と適当な滋賀語を使って話したらその時は「そうかぁ」くらいの反応だったのに、数日して町の「まちなみ保全会」の担当者さんからメッセージがきたのにはびっくりした。お向かいのおじちゃまが頼んでおいてくれていたのだった。しかもその保全会の方とは、家の改装中に打合せでここにきていた時、県知事がたまたま町にいらしていた時に町側の同行者として参加していたとのことで、私のことを覚えてくれていた。この町は本当に狭い……。
ところでべんがらは人類が最初に使った無機塗料で、フランス南西部のラスコー洞窟やスペイン北部のアルタミラ洞窟での赤色壁画は、約17000年前(後期旧石器時代)で知られているそうだ。日本では縄文時代に土器などに施した赤色彩色がベンガラ使用の最古の事例らしく9500年前にまで遡り、高松塚古墳(7世紀末)の゙人物像に極彩色が用いられているべんがらの赤色には、魔除や再生の意味があったのだって。

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▲色あせた状態の外塀

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▲調色されたべんがら缶、養生セットと刷毛

おせっかいといういい文化

それと並行して、隣のおじちゃまから連絡が来て、外に出てくるようにという指示。出てみるとおじちゃまは私の家の玄関側の板塀の色に合わせて、表側からだと見えない角の板塀に試し塗りを始めていたのだ。「試しにな、塗ってみたんや」と(笑)。べんがらが何かはわからなくても、それとなく雰囲気を醸し出したべんがらを自作して塗ってみる。頼まれなくても人の家のこともする──これが町内なのだ。東京なら騒動になったり、景観条例が云々とか言われそうなことだが、ここではそんな面倒なことは不要である。
都会の人は町内の人間関係が嫌で都会は楽だということを聞くが、都会だってそんなことばかりではないと思う。生きている間に生活空間の中で良い時間を過ごしたい。そうなると交差する人は大事なのだ。人のためになるだろうということをする人、その気持ちを汲む人、汲まない人。社会はそれぞれだが、私はお互い様があるところで暮らしたい。そのためにも相手のことを知る必要がある。してもらうだけではそんな関係はできない。そのためにも自分の感覚でおせっかいを焼くことが必要だ。そうしないと自分の実体験にならないし、私という人がどういう人かも理解してもらえない。

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▲おじちゃまが試し塗りした赤の強いべんがら。

べんがらの色

このメッセージから数日くらい経って、保全会から色を調合したべんがら(液体)が届いた。届けてくださったのはかなりマニアックな雰囲気を醸し出している調合家の方で、都会住まいの長かった私に塗装ができるのかを疑っていた(はず)(笑)。べんがらというのはWikipediaによると、酸化第二鉄を主成分にした顔料で江戸時代にベンガル産のものを輸入していたため、べんがらという名称になったそうだ。着色力・隠蔽力が大きく、耐熱性・耐水性・耐光性もあって安価な上、無毒で人体にも安全という現代にはぴったりの物質で、それに色調整をしたり油などを混ぜて液体にしているようだ。最初は濃いめの赤褐色なのだが、経年でだんだん赤が強くなっていくのが特徴である。家によって色が若干違うので、この調合家は事前に我が家の古くなった板塀の赤い部分を見て判断し、調合して一缶持ってきてくださったのだ。
べんがらはペンキと違ってテカリなくマットな仕上がりで、しかもすぐには乾かない。これが注意ポイントで湿度にもよるが乾くまで1週間は軽くかかる。その間板塀や玄関に寄りかかった日には大変なことになる。

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