日本アニメのグローカリゼーション ── アジア国際共同製作の現場から(後編) | 三原龍太郎
中小企業の海外進出が専門の明治大学・奥山雅之教授とNPO法人ZESDAによるシリーズ連載「グローカルビジネスのすすめ」。地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践から学ぶ研究会の成果を共有していきます。
今回は、アジア地域を中心とした日本アニメのグローバルビジネス展開について、文化人類学者の三原龍太郎さんが、数々の国際共同製作プロジェクトへの参与調査を通じて得られた知見にもとづく分析と提言を、前後編に分けて行います。
後編では、実際にアジア地域でのアニメ作品の国際共同製作プロジェクトにフィールドワーカーとして参与する中で見えてきた「ブローカー」役の重要性と、今後の海外での創造産業の振興に向けて必要なアプローチを展望します。※本記事は、去る2021年4月7日に誤配信した同名記事の完全版です。著者ならびに読者の皆様には、多大なご迷惑をおかけしましたことを改めてお詫び申し上げます。
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グローカルビジネスのすすめ
# 05 日本アニメのグローカリゼーション ── アジア国際共同製作の現場から(後編)
アニメのグローバル化を理解する視角
前編では、日本アニメのアジア地域へのグローカリゼーションに関する私自身の研究についてご紹介しました。それでは、このような研究は、アニメのグローバル化に関してどのような新しい視角を提供できるでしょうか? 未だ探究の途中ではありますが、現時点で暫定的に考えていることをご紹介したいと思います。
私の研究は、「誰が、どのようにしてアニメをグローバル化させたのか?」という文化人類学的な問いに対しては、以下の新しい視角を提供できるのではないか、と考えています。すなわち、前編でご紹介した通り、これまでの研究では、当該の問いに対して「ファンとクリエイターの利他的な情熱がアニメをグローバル化させた」という趣旨の議論を展開してきました。それに対して、私の研究──イケヤマさんのインド市場向けアニメマーチャンダイズベンチャーの奮闘や、日本のアニメ業界人が中国やインドをはじめとしたアジア諸国のパートナーと共同でアニメ作品を作ろうとしたときに生じる様々な軋轢とそれを解決しようとするプロデューサーの努力に関するフィールドワーク──は、「ビジネス主体が関係者の商業的利害を仲介し、対立を乗り越えることでアニメをグローバル化させた」という全く別の視角を提供できるのではないか、ということです。
これまで議論してきたこととの関連でもう少し別の言い方をすると、要は、アニメのグローバル化はブローカーの活動によって推進されるという構造があり、それはアニメのグローバル化のビジネス面に焦点を当てることで初めて見えてくるのではないか(逆に言えば、クリエイターやファンだけに焦点を当てていると見えにくくなってしまうのではないか)、ということです。そしてそのことを、アニメのアジア地域へのグローカリゼーションに係る私のフィールドワークが示している、と。
イケヤマさんのベンチャービジネスや、日本とアジアの国際共同製作プロジェクトにフィールドワーカーとして関わらせていただく中で実感(というか痛感)したのは、「アニメのグローバル化は、放っておいてもひとりでに起こるようなものではない」という、ある意味当たり前の事実です。
日本でのアニメビジネスのやり方と、ほかのアジア諸国におけるアニメ関連ビジネスのやり方は大きく異なるケースが多いので、日本のアニメ業界人はそういう「馴染みのない」海外の相手とは基本的にビジネスをやりたがりません。そういった相手と不用意に組んでしまえば、いくらアジア地域が有望と言っても、お互いの流儀が相容れないものであれば結局プロジェクトが空中分解してしまう可能性が大きいので、そんなリスキーなプロジェクトに時間とお金を費やすくらいなら、自分たちにとって「馴染みのある」国内の相手と日本国内でビジネスをやっておく方が無難だ、というわけです。お互いに異なる彼我のアニメの商習慣に関する「俺たち」対「奴ら」という二項対立的な軋轢がアニメのグローバル化を阻む障壁となっている、と言い換えることもできるかと思います。
アニメのグローバル化とは、誰かが汗をかいてこの軋轢を乗り越え、「俺たち」と「奴ら」との間を取り持ち、両者をつなぐことで初めて成立するものである、ということを私は自身のフィールドワークを通じて知ることができました。要は、アニメのグローバル化とは「起こっている」ものでなくて「起こす」ものだということです。
これはある意味(特に現場で日々アニメのグローバル化に取り組んでいる実務家の方々にとっては)言われるまでもないほど当たり前の話だろうと思いますが、これまでのアニメ研究のように、つながっていることが所与のインターネット空間におけるファンやクリエイターの和気藹々とした協働だけを見ていると、この「当たり前」には気づきにくいのかもしれません。お互いの利害がむき出しでぶつかるアニメのビジネス面を直視することで、初めて見えてくるものなのかもしれません。
実際、イケヤマさんのマーチャンダイジングベンチャービジネスも、日本とアジアのアニメ国際共同製作も、それを進めるにあたっては軋轢の連続でした。プロジェクトを進めるうえでのあらゆるマイルストーンで、商習慣上の軋轢が生じたと言っても過言ではないと思います。
例えば、何らかの売買契約を結ぶときに、まず最初に高い金額を吹っかけてから現実的な金額に落とし込んでいくという交渉スタイルは受け入れ可能でしょうか? また、金額を値切ろうとしたり、納期をどんどん遅らせたり、前もって計画を立てずに泥縄式にものごとを進めるような仕事の仕方はどうでしょうか?
イケヤマさんのケースでは、インド側プレイヤーのこのようなビヘイビアが何度も問題になりました。これらの仕事の仕方は、日本のアニメ産業界の相場観からすると「信用ならない」し、場合によってはとても「無礼」なものに映ります。日本側とインド側が協力して日印間のアニメマーチャンダイジングプラットフォームを構築しようとする中で、インド側がこのような態度を取るたびに日本側との軋轢が生じ、決裂の危険にさらされましたし、実際に決裂したインド側プレイヤーも出ました。