宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.12.13

宇野常寛 いま・ここに・潜る~宮藤官九郎、再生のシナリオ(PLANETSアーカイブス)

今朝のPLANETSアーカイブスは、2013年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』についての宇野常寛の論考です。宮藤官九郎の「地元」「サブカルチャー」という主題は、NHKの朝ドラが描いてきた伝統的な社会像をいかに刷新したのか。日本の戦後史を射程に収めた本作の「家族」再生の目論見を読み解きます。(初出:「調査情報」2013年9-10月号,TBS)
※本記事は2013年9月6日に配信された記事の再配信です。

放映中のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の勢いが止まらない。
岩手県の三陸地方を舞台にした本作は、母親の離婚を機に当地を訪れたヒロイン・アキが祖母の後を継いで海女になり、そしてやがてそこで知り合った親友・ユイの影響でアイドルを志して行く、という物語だ。
放送開始と同時に「面白い」という声がインターネットを中心に殺到し、はやくも劇中で登場人物が頻繁に用いる方言「じぇじぇ」は今年の流行語大賞の有力候補だとささやかれている。もはや人気朝ドラ・大河ドラマでは恒例行事になりつつあるTwitter上での二次創作イラスト投稿(通称「あま絵」)も盛り上がっている。話題になっている割に振るわないと言われていた視聴率も20%を超えることが多くなり、9月末の最終回に向けてその熱狂はクライマックスを迎えつつあると言えるだろう。9月には劇中で東日本大震災が発生する予定で、主要登場人物の死亡も十二分に予測出来る。震災後の日本をこの物語がどう描くのか、注目が集まっている。
本稿ではそんな「あまちゃん」について、8月10日前後までの内容に基づいて分析を試みてみたい。

■宮藤官九郎はなぜ「地元」にこだわるのか

本作の脚本を担当する宮藤官九郎は劇団「大人計画」所属の作家兼俳優である。同劇団の若手としてカルトな人気を博していた宮藤は2000年放映のTBS系ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」以降、連続ドラマの書き手としてドラマファンの認知を受け、それまでとは異なる広いファン層を獲得していった。特にTBSのプロデューサー磯山晶とのコンビでは、ジャニーズ事務所所属俳優を主役にすえた作品を定期的に発表し、視聴率こそ特に目立った成果を残していないものの内容面に対するドラマファンの評価は極めて高く、映画などの続編展開やソフト販売においても良好な結果を残している。まさに、先の10年(2000年代)を代表するドラマ脚本家が宮藤だったと言えるだろう。
宮藤×磯山コンビのドラマのキーワードは「地元」だ。「池袋ウエストゲートパーク」の「池袋」、「木更津キャッツアイ」(2002)の「木更津」、「タイガー&ドラゴン」(2005)の「浅草」、そして「吾輩は主婦である」(2006)の「西早稲田」など、特に2000年代前半~半ばには舞台となる土地が明確に設定されており、その土地やコミュニティに対する登場人物の思い入れ、拘泥がドラマを牽引することになる。
しかしその一方で宮藤がこれらの作品で描く「地元」は、それこそ数多くの「朝ドラ」がこれまで描いてきたように「消費社会で忘れ去られようとしている人間の温かみのある歴史と伝統の街」といった物語をストレートに引き受けたものではない。むしろその逆で、こういった「物語」が実のところまったく意味をなさないもの、機能しないもの、嘘であるという認識からスタートしている。
たとえばこれは有名な話だが、「木更津キャッツアイ」は企画当初「柏キャッツアイ」だったという。要は、東京のキャストとスタッフを前提としたロケ事情が許す範囲の郊外都市であれば「どこでもよかった」のだ。
北は北海道から南は九州・沖縄までロードサイドにファミレスとパチンコ屋とマクドナルドとブックオフと、そしてイオンのショッピングセンターが並ぶ……。消費環境の画一化が地方の風景をも画一化し、その文化空間をも画一化していく。三浦展のいう「ファスト風土化」を「前提」に宮藤はその「地方」への「地元」へのアプローチを行ってきたのだ。
したがって宮藤の描く「地元」は歴史や伝統が個人の人生を意味づける空間ではあり得ない。たとえば「木更津キャッツアイ」で、主人公の無職青年たちのグループがあの「ファスト風土化」した、「何もない」木更津という空間を愛するのは、そこが「仲間内の記憶」にとって重要な場所であるからであり、そして同様に仲間内で愛好されるサブカルチャーに由来する場所(劇中には氣志團や加藤鷹、哀川翔が実名で登場し、木更津の何でもない場所に記念碑を刻んでいく)だからだ。つまり自分たちで捏造した偽史を流しこむべき器として「地元」は機能しているのだ。
「土地」やそこに紐づいた歴史ではなく、今、ここに生きている仲間たちの記憶とサブカルチャーの生む「偽史」で地元での日常を彩ること。これが初期作品における宮藤のアプローチだった。

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