丸若裕俊 ボーダレス&タイムレス――日本的なものたちの手触りについて 第11回 (いまだからこそ)「一服」の価値を再考する
工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて』。今回は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて丸若さんが始めた、茶のプレゼントをめぐる対話です。先行きの見えない今だからこそ、茶が提示することのできる可能性を探ります。
贈り物としての茶が持つメッセージ
丸若 最近、新型コロナウイルスの影響でなんだか人と会いづらくなっているじゃないですか。このタイミングに自分もなにかできないかと考えて、ぱっと浮かんだのが「炊き出し」なんですよね。災害が起きる度にどこよりも先に、その土地にあらわれるような存在ってすごいなと思っていて、それに近いことができないかと考えていて……。
そして最近1パックずつの茶を、近しい方々へまとまった数をセットしてプレゼントするということをやっているんです。もらった人は、自分で飲む以外にも、仕事先とか会社とかに渡すのも自由にしてくださいという形で送っています。正直、このご時世なので何をやっているんだとお叱りを受けることもあるかなと思っていたんですが、実際に送ってみると「はっとした」「そういうことだよね」と言われたという反応が多くて、ほっとしています。
宇野 これは面白いですね。というか、久しぶりに「粋な話」を聞いたな。いま、たしかに新型コロナウイルスの影響で人と会いづらくなっているけれど、多くの人はその埋め合わせを、インターネット上での過剰なコミュニケーションによって行っていると思う。寂しさを埋め合わせるために、とにかくインターネットでコロナウイルスについて話すことに夢中になっている。けれど、そういった寂しさの埋め方というか、不安の誤魔化し方僕はあまりいいことだとは思わないんですよね。そういったコミュニケーションが、デマやフェイクニュースの温床になってしまうことを、僕らはあの震災でさんざん思い知ったはずですから。
でも、このやり方ならちょっと違う人間同士のつなぎ方ができるように思う。インターネットを使って言葉だけで過剰につながろうとすると、目の前の不安から逃げ出したい気持ちに負けてしまうけれど、言葉じゃなくてモノを渡されるとちょっとそこが違ってくる。しかも、iPhoneとか宝石とかじゃなくて、茶が送られてくる。それってモノのプレゼントじゃなくて、実は時間のプレゼントなんですよね。「一拍間をおいて、一服しませんか」というメッセージになっている。このタイミングだからこそ、このメッセージはとても意味がある。不安から安易な言葉のつながりに逃避するのではなくて、一服してきちんと不安を受け止めようということですよね。
丸若 たとえば、こんなご時世だから宅配サービスみたいなサービスを利用しようという人も増えていると思います。でも、ああいうサービスは良くも悪くもですが、人と人との関係を切ってしまいがち。でも、同じ遠隔のコミュニケーションでもこういうかたちなら、遠隔のコミュニケーションだからこそ伝わる真心があると思うんです。だから今回は、茶のプレゼントを通じて、みんなを共犯者にしようと思って……。