宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2021.12.28

中華圏ゲームの発展史:1980〜90年代編|古市雅子・峰岸宏行

北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第10回。
中華圏におけるオタク文化全体の中でも特に大きく開花することになったゲーム分野に光を当て、その発展の軌跡を辿っていきます。今回は1980〜90年代編。大陸に先駆けて日本コンテンツの流入窓口になっていた台湾でのパソコン産業の勃興を起点に、中華圏独自の人気エンタメジャンル「武侠」ものの取り込みを経て、いよいよ大陸でもオリジナルのPCソロゲームが隆盛を始めるまでの流れを概観します。

古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究
第10回 中華圏ゲームの発展史:1980〜90年代編

これまで9回にわたって、中国では日本のアニメ・コミック・ゲームを、テレビ・雑誌・インターネットなどのメディアや、個人・サークル・字幕組といった人々のムーブメントがリレーして繋げてきた歴史を紹介してきました。そうして日本のコンテンツを受容していくなかで、自国のオタク文化が形成され、オンライン小説を中心に独自の同人文化が発展し、同時に独自のプラットフォームが発展して、いよいよ独自のコンテンツ制作が軌道に乗る兆しを見せ始めます。それは、ゲームから始まりました。

そこで今回からは、どのように現在のゲーム産業が発展していったのかをひもといていきたいと思います。具体的には、まず今回は1980年代から1990年代まで、台湾を起点とした中華圏におけるゲーム発展史、および日本のPCゲームの流入経過を分析します。そして次回以降は、様々な中国オリジナル作品が登場し、政府による様々な政策に翻弄され、最後に海外へと流れていく過程をまとめつつ、今後の中国におけるオタク層のゲーム消費について展望を述べたいと思います。

台湾ゲームの黎明期

大陸のゲームについて語るには、まず台湾に触れなければいけません。台湾と日本は1972年、国対国としての国交が断絶されて以降、民間レベルで往来があり、日本から様々な情報や産業、そして漫画や小説などコンテンツが流入しました。

台湾は中華圏においては大陸に先駆けて日本コンテンツに触れた場所であり、のちに中華圏におけるその一大拠点となっていきます。
しかしこれはあくまでも、ファンによる私的な行動であり、企業の経済行為ではありませんでした。そのため、香港、台湾には多くの非正規の日本漫画出版社や音楽出版社が生まれました。1990年代に台湾はWTOに加盟するために複数回マラケシュ協定に基づく著作権法の改定を行うと同時に、漫画出版社である東立出版社が日本の版元から正式な許諾を受けた正規版書籍の出版を開始、台湾全土の非正規業者に対する「殲滅戦」を展開したため、追い詰められた非正規業者は対岸の中国大陸に渡りました。大陸が海賊版の温床といわれますが、実際は台湾非正規業者の影響もあるのではないかと推測します。

そうした背景も踏まえつつ、1980年代から2000年までの中華圏のゲーム史を全体的に俯瞰してみると、始まりは1982年に設立された台湾の「第三波文化事業股份有限公司」に遡ることができます。これは台湾パソコン業界の雄で、パソコンやモニター等のデジタル機器を取り扱う企業、acerのメディア部門が独立した、中華圏最初のゲーム会社です。

1982年といえば、有限会社シンキングラビットから発売されたコンピュータパズルゲーム『倉庫番』が登場した年です。1973年にセガとタイトーが日本初のコンピューターゲームを発表してから、1980年に『パックマン』(ナムコ)、『ウルティマ』(Origin Systems)、『ミステリーハウス』(Sierra Entertainment, Inc.)、PC初の3Dゲーム『3D Monster Maze』(Malcolm Evans)などが登場し、各国でコンピューターゲーム雑誌が創刊され、空前のPCゲームブームが到来した時期でした。

第三波はacerの3つ目の子会社で、当時流行っていた情報革命を唱えた書籍、『第三の波』(アルビン・トフラー・1980)から名前を取ったと言われています。設立当時は家庭用コンピューター市場で上場を目指しますが、市場が思ったように伸びず、90年代にはゲームコンテンツの販売代理、ソフトウェア販売代理、雑誌、図書出版業務だけを残し、ハードウェア開発を諦めます。

第三波は台湾だけではなく、中国大陸のゲーム業界にも大きな影響を与えました。『ヒーローズ・オブ・マイト・アンド・マジック』(ニューワールドコンピューティング・1995~)、「大航海時代」シリーズ(コーエーテクモゲームス・1990~)、「三国志」シリーズ(コーエーテクモゲームス・1985~)などの海外有名作品の代理店として活躍しています。これによって、日本の多くのゲームが台湾・香港を中心に広まっていきます[1]。

1984年には「第三波金軟件排行榜」(第三波・ゴールデンソフトランキング)という自主制作ゲームのイベントを開始し、ゲーム開発の促進を目指します。のちに台湾のゲーム業界をけん引する企業「智冠科技」と「大宇資訊」は、第三波のイベントが会社設立のきっかけのひとつだったといいます。
この年には、中華圏初の商業ゲームを発売する企業「精訊資訊」(せいじんしじん)が設立されます。精訊が発表した「如意集」は欧米や日本などのゲームに比べると全体的なボリュームが小さかったといわれており、現在では当時のゲームのスクリーンショットや関連情報はほとんど出てきません。ですが、中華圏で始めて制作されたゲームとして、中華圏のゲーム史を語るときには必ず語られるタイトルであり、制作会社でもあります。
1990年代に入ると、台湾のゲーム黄金期とも言うべき時代に入りますが、「第三波」「精訊資訊」のほかに前述した「智冠科技」「大宇資訊」を合わせた四大企業がしのぎを削り、業界を拡大していきます。

大宇資訊は「精訊資訊」創始者の一人、李永進が独立して起こした会社で、1990年にオリジナル武侠RPG「軒轅剣」(けんえんけん)シリーズの第1作を発売します。軒轅剣シリーズの最新作は2020年にPS4で発売された『軒轅剣 閻黒の業火』(けんえんけん えんこくのごうか・2020年)で、30年で12作という長寿作品となりました。1995年には『仙剣奇侠傳』を発表し、こちらもオリジナル武侠ゲームとして大ヒット、1999年にセガサターンへ移植されたほか、漫画、テレビドラマ、舞台などマルチメディア展開され、最新作『仙剣奇侠傳7』が2021年10月15日に発売されました。フィギュア会社のグットスマイルカンパニーからもヒロイン・趙霊児等のフィギュアが発売されています。

智冠科技は1993年、金庸(きんよう・1924-2018)の武侠小説原作RPG『笑傲江湖』を制作し、中華圏における武侠ゲームの歴史が開きます。その後『倚天屠龍伝』、『鹿鼎記之皇城争覇』、『金庸群侠傳』といった大ヒットゲームを発表していきます。

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▲図1 『笑傲江湖』パッケージ

武侠とは

こうした台湾産ゲームのベースとなった世界観が「武侠」(ぶきょう)と呼ばれる中華圏オリジナルの伝統的なエンターテインメントジャンルで、中華圏、つまり中国語圏に人々にとって日常生活にまで染み込んでおり、中国のゲーム、ひいてはコンテンツの発展を語る上では欠かすことのできない存在です。武侠は、ルーツを辿れば唐代まで遡ることのできる大衆小説のジャンルでしたが、近年は映画やドラマ、アニメ、ゲームなど中華系コンテンツにおいて非常に重要なジャンルとなっています。日本でも著名な「水滸伝」はこの武侠というジャンルの小説に位置づけられます。そのほか、『グリーン・デスティニー』や『セブンソード』、『片腕必殺剣』など香港、台湾映画のタイトルを見るとなんとなく雰囲気がわかる方もいるでしょうか。
簡単に言うと、「俠」、つまり己の信じる正義のために行動しようという精神、そしてその正義を「武」で表すという意味で、「武俠」と呼ばれています。中国の歴史的背景で描かれる群像時代劇といってもいいかもしれません。もともと、さまざまな武術の流派の使い手が、それぞれ得意な技や武器を引っさげて戦ったり、冒険したりするストーリー展開であったため、現代のエンターテインメント、特に二次元とは親和性が高く、今ではそこにファンタジーの要素もからませ、流派間の争いであったり、秘伝書をめぐる陰謀、正統、正義を司さどる正派と、悪、恐怖を代表し、異国から来たおかしな術を使うことも多い魔教との戦い、魔教内部のクーデター、正派どうしの併呑など、数々の事件が巻き起こるエンターテインメント作品となっています。

たとえば、もっとも有名な武侠小説のひとつである『笑傲江湖』では、剣術の流派と魔教の戦いが描かれます。例えば主人公が属する五岳剣派や少林寺派、武当派の各流派は正派として描かれますが、五岳剣派内の内部闘争も重要なストーリーとして描かれますし、魔教も一つではなく、日月神教や五毒教など、それぞれの正義をもって行動します。五毒教の教主の娘が主人公と行動を共にしたり、五岳剣派の一派が主人公を殺そうとしたり、正派は絶対的な正義ではなく、魔教も絶対的な悪ではない、複雑なストーリーが展開し、見せ場がこれでもかと詰め込まれた一大エンターテインメントです。

こうして武侠が中華圏に欠かせない現代的なコンテンツとして大きくなった背景には、大陸が大躍進運動や文革など国内が不安定な状況にあった1950年代以降、香港、台湾を中心に作品を量産した新派と呼ばれる作家の活躍があります。彼らが伝統にとらわれず、現代的な視点や表現方法を積極的に導入したことにより、武侠は現代のエンターテインメントとして、映画、ドラマなどいわゆるマルチメディア展開が始まり、香港を起点に東南アジアや世界各国のチャイナタウンまで、大きく羽ばたきます。

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▲図2 武侠御三家の金庸、梁羽生、古龍

新派作家の代表であり、武侠小説の御三家とも言われる、金庸、梁羽生、古龍の作品は、中華圏の映画やドラマ、ゲーム、アニメなど幅広いジャンルに多大な影響を与えています。誤解を恐れず、その作風をわかりやすく日本の漫画に例えるなら、起伏は大きくないが長く楽しめる梁羽生は『ナルト』。一動作ごとの描写は少なくとも、とりあえずカッコいい古龍は『ブリーチ』。独特なキャラクター性やストーリーの仕掛けが非常に秀逸な金庸は『ハンター×ハンター』と言えるでしょうか。
なかでも金庸は、飛び抜けて人気と影響力がある作家で、現在の武侠の基本的な設定はほとんど、金庸の作品群がベースになっているといっても過言ではありません。金庸小説原作のドラマ・映画は現在までに150本以上、古龍は180本以上あることから、彼らの影響力の大きさがうかがい知れます。

1990年代台湾ゲームの躍進と凋落

1990年代、台湾産ゲームの黄金期では、智冠が金庸作品シリーズを出し、大宇がオリジナル武侠作品である「軒轅剣」シリーズと「仙剣奇侠傳」シリーズを出していることから、武侠というジャンルとゲームの親和性がわかります。

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