コスプレカルチャーの中国独自進化|古市雅子・峰岸宏行 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

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  • 2021.06.03

コスプレカルチャーの中国独自進化|古市雅子・峰岸宏行

北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第7回。
今回は、2000年代半ばごろから独自進化を遂げた中国のコスプレ文化について。アジア最大のゲームショウ「ChinaJoy」を頂点に、中国全土でトップ・コスプレイヤーを競うコンテストが開催されるほか、大がかりな創作演劇やライブパフォーマンスなども上演。閉じた場でこっそり楽しむ趣味という印象の強い日本とは異なり、オープンなショービジネスとしても発展していきます。

古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究
第7回 コスプレカルチャーの中国独自進化

ここまで、日本のマンガやアニメがどのように中国で受容されていったのか、時系列に述べてきました。2000年代、パソコンとインターネットの普及により、各地に点在していたファンがインターネットを介してコミュニティを形成し、インターネットを通して日本のオタク文化に触れ、「アニメファン」からいわゆる「オタク」へと変化したわけですが、今回はその「オタク文化」の一つでもあるコスプレに注目し、今や独自の文化を持つ中国のコスプレについて、その歴史と今後の発展についてお話ししたいと思います。

1.コスプレの最高峰「ChinaJoy Cosplay嘉年華(カーニバル)」とは

中国でコスプレといえば、まず触れなければいけないのは中国最大のゲームショウ「ChinaJoy」で開催される「ChinaJoy Cosplay嘉年華(カーニバル)」です。

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▲ChinaJoy Cosplay Carnivalの様子

「ChinaJoy」は正式名称「中国国際数碼互動娯楽展覧会」といい、国家出版総署と上海市人民政府が主催、全国の映像デジタルメディア運営事業者が集まって結成された「中国音像与数字出版協会」が共催する国営のイベントで、2004年第1回は北京、同年に行われた第2回以降は上海で開催しています。
会場である上海新国際博覧中心は室内展示面積10.35万㎡と東京ビックサイト(総計9.5万㎡)を上回るほどの規模で、来場者数も第1回こそ1.5万人だったものの、2019年の第17回にはのべ36万人となり、アジア最大のゲームショウと呼ばれています。日本の「Tokyo Game Show」(以下TGS)と同じように、ビジネス向けと一般ユーザー向けの公開日がそれぞれ分けられ、ビジネス向けはビジネスエリアでの商談が主ですが、一般公開日には30万人に及ぶ来場者とオンライン配信を見る無数のユーザーに自社のゲームや会社の勢いを広く宣伝する絶好の機会となります。その「ChinaJoy」において、「ChinaJoy コスプレカーニバル」(以下「ChinaJoy」)は、特に注目されるメインイベントのひとつです。
「ChinaJoy」はコンテスト形式で行われますが、2007年からは北京・上海・広州を始め、中国全土10を超える都市で予選を行い、海外からの参加者も増えています。コンテストにはサークル単位での参加となり、金、銀、銅賞からなる優秀団体賞、そして演技賞、脚本賞、道具賞、ビジュアル賞、アクション賞、またその時々の状況に合わせたいくつかの賞によって構成され、受賞者には賞金が出ます。
コスプレのコンテストは今も大小様々、各地で行われていますが、この「ChinaJoy」で優勝することは、中国全土のコスプレイヤーの頂点に立つことを意味するのです。

2.中国におけるコスプレの始まり

マンガやアニメと同じように、コスプレもやはり香港、台湾から伝わってきました。香港では1993年、「四百尺」というサークルが『銀河英雄伝説』の同盟軍の制服を着てアートフェスに参加したのが最初だと言われています。その後、徐々にコスプレをするサークルが増え、1998年には香港初のコスプレ大会が開催されました。また台湾では、1995年に台湾南部にある高雄市のSEGA WORLDという現地最大のゲームセンターで行われたイベントが、初のコスプレイベントと言われています。台湾、香港で徐々に広がっていったコスプレは、両地に親戚や友人がいたり、地理的に近い環境にあった中国のアニメやゲーム好きに少しずつ広がり、中国大陸にもコスプレイヤーが少しずつ出現していきます。

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▲「電子遊戯軟件」1997年12月号に掲載されていたコスプレ写真

興味深いのは、コスプレにおいては早くから日本のマンガ、アニメの枠を超えていたということです。香港ではすでに現地のマンガが育っていたこともあり、初期の段階から現地のマンガ作品のコスプレも一定数存在していました。擬人化コスが最初に現れたのも香港だと言われています。また台湾は、最初のイベントがSEGA WORLDだったこともあり、その会場ではゲームキャラクターのコスプレがほとんどだったと言われています。
中国のコスプレは、ゲームと切っても切り離せない関係にあります。中国初のコスプレイベントがいつどこで行われたのか、記録がないので正確な情報はわかりませんが、2000年には広州でコスプレコンテストが開かれたのが最初だという説が多く聞かれます。現時点で、最初の大型イベントであると認識されているのは2001年、台湾のゲーム会社が行った中国初のオンラインゲーム『石器時代』のPRイベントであるゲームキャラクターのコスプレ大会です。
『石器時代』とは、日本サプライシステムが1999年に開発したオンラインゲーム『ストーンエイジ』のことです。日本では認知度も低くヒットに至らなかった作品ですが、台湾のゲーム会社、華義国際が『石器時代』として台湾、中国で発売し、爆発的にヒットしました。今も中国ではオンラインゲームを切り開いた作品として記憶されています。そのヒットの要因の一つが、コスプレコンテストを含んだPR戦略でした。
『石器時代』はオンラインゲームですが、この頃はまだ雑誌も主要な情報源の一つで、華義はゲーム雑誌でコンテスト出場者の募集を出し、ゲームを楽しむ新しい方法としてコスプレコンテストを開催しました。ここから、コスプレは急速に広まっていきます。2003年、大手検索サイト「百度」がBBS「百度貼吧」のサービスを開始したことで情報交換が劇的にスムーズになり、コスプレ専門サイトも開設され、3年後の2004年には「ChinaJoy」第1回が開かれるにいたります。その後、1997年創刊のマンガ・アニメ情報誌「漫友」が2005年に増刊号「漫友COSPLAY100」を出版、日本のコスプレ雑誌の海賊版なども多数出ていたようです。こうしてコスプレは急速に広まり、「ChinaJoy」の出場者も加速度的に増え、2006年に行われた第4回で8000人を突破しました。驚くほどの熱量とスピードで、コスプレは広まっていきました。

3.独自の文化を持つ中国のコスプレ

当初、コスプレは「角色扮演」と翻訳されていました。「角色」はキャラクター、「扮演」は演じるという意味で、『石器時代』を通して使用された台湾の訳語です。「ChinaJoy」も最初の数年は「角色扮演カーニバル」と題していました。香港に近い広州などでは、香港の訳語「服飾扮演」を使用していた人が多かったようです。ところがRPGの訳語としても「角色扮演」が使用されるようになり、2007年あたりからコスプレの訳語は「COSPLAY」として定着しました。英単語が漢字表記に翻訳されず直接使用されるのは非常に珍しいことで、コスプレに関わる人たちが、ある程度の教育を受けている人たちだということが推察できます。そして「COSPLAY」のCOSを動詞として捉え、「COS」という言葉も単独で使われるようになりました。台湾を通して日本語の影響を受けているのかもしれません。そこから、コスプレをする主体、コスプレイヤーのことを「Coser」と呼ぶようになりました。
本稿では以降、中国のコスプレイヤーは「Coser」と表記します。現在、中国のWikipediaである「百度百科」で「角色扮演」を検索すると、「Roll Playng」の訳語であるという解説が出てきます。

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