猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第5回「アートには正しさがないから、人類を新しい方向に“導ける”」 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2016.02.02
  • 宇野常寛,猪子寿之

猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第5回「アートには正しさがないから、人類を新しい方向に“導ける”」

今朝のメルマガは、チームラボ代表・猪子寿之さんによる連載『猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉』の第5回です。
浮世絵の登場以前、西洋絵画には現在の「雨」のようなビジュアルはなかった――そんな話題から始まった対話は、アートが人間の認識をいかに変えるか、そして猪子寿之の「超主観空間」は人間に何をもたらすのか、という議論に発展していきました。


 

◎構成:稲葉ほたて

■ かつて雨は「雨」らしく描けていなかった

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▲『パリ通り、雨』ギュスターブ・カイユボット(出典)

猪子 これは1877年の『パリ通り、雨』というタイトルの絵画なんだけど、傘は差しているし、濡れているのに、雨が描かれてないんだよね。それは当時の人にとって、少なくとも現在のようには「雨」が見えていなかったからじゃないかと思うんだよ。

宇野 それは、雨粒がいま我々がイメージするように降っているとは認識できなかったということ?

猪子 ゴッホなんかも浮世絵の雨の絵を模写しているんだよ。面白いよね。今や3歳くらいの子供でも雨なんてスラスラ描けるのにね。でさ、きっとゴッホにとってさえも、浮世絵の雨は衝撃的だったんじゃないかな。

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▲『大はしあたけの夕立』歌川広重(出典)

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▲『雨中の橋』フィンセント・ファン・ゴッホ(出典)

でも、本当はこの雨の見え方だって、ひとつの物の見え方でしかない。だって、落ちる雨粒は速いし多すぎて、肉眼でそんなにしっかり追えるはずないからね。世界にはきっと腐るほどたくさん正しい見え方があって、そのひとつが画家によって提示されたにすぎないんだけど、なぜか人々がそれを真似し始めたら、この雨の見え方が定着してしまったんだと思う。

宇野 奥行きにおける見え方と遠近法の関係もそうだろうね。

猪子 これって脳が物理現象を補足して認識しているということだと思うんだけど、実はサイエンスにも同じことが言えると思うの。例えば、スーパーボールをここで投げてポンポンと飛んでいるとき、実はこれも速すぎて見えないはずなんだけど、物理の原理をなんとなく知っているから、脳がそれを補足してるはずなんだよ。
とすれば、アーティストもサイエンスも同じくらい、人間にとって世界をより見えるようにした側面があると思う。

宇野 そうだね。

猪子 ただ、アートとサイエンスには決定的に違うところがあると思う。それはサイエンスはある種の正しさを証明できるのだけど、アートは違う。
アートって例えば絵画で言うと、四次元みたいな複雑な情報を、二次元に変換する行為だと思うの。でも、四次元情報を二次元に変換する方法は無限にあって、その全部が正しいわけじゃない。そうなると、その見解を広めるときの説得の仕方が、正しさというよりは「雨をこう認識すると脳が気持ちよかった」みたいなことでぶわーっと広がる気がするんだよ。

宇野 逆に「醜い」と感じたりすることもあると思うね。

猪子 そう考えると、浮世絵の雨はいわば人類が3歳の子供でも描くくらいに「良い!」と思った表現なんだよね。逆にピカソみたいな二次元の表現は、実はピカソ以外の人はあんまり描かないでしょ。つまり、ああいう二次元化を人類は受け入れなかったんじゃないかな。

宇野 でも逆に言うと、アートは可能性の問題を扱っているとも言えるよね。

猪子 そうそう。サイエンスは正しさが証明できるものだけど、アートには絶対的な正しさがない。ただ、どうにも上手く言葉にはできないような、ある種の脳の気持ちよさみたいなものによる「人類への説得力」の度合いだけがある。
とすれば、それは複雑なものを、ものすごく偏った見せ方をさせているわけで、あるアートによる提示を人類が受け入れた瞬間、人類の見え方は極めて偏るんだと思う。

宇野 偏らせることが「できる」とも言えるよね。サイエンスは「正しさ」があるから、偏らせることはできない。

猪子 そう、アートには絶対的な真理がないゆえに、それが可能なんだと思う。
たぶん、雨を現在のように我々が認識するようになったとき、僕たちはハンパなく世界をすごく偏らせてしまい、そして失ったんだと思うの。そういうふうにアートは、人類のある種の方向性を導けるところがあって、僕はそういう部分がなんか好きなんだよね。

宇野 これはジャストアイデアなんだけど、たぶん効率や必要性のレベルで物事を二次元に整理しないといけない時代は、20世紀に終わったんだと思う。ただ、そこで二次元の役割が消滅するかというと、アートとして、可能世界を提示するものとしての二次元というのは、むしろ重要性を増しているというロジックが作れる気がするんだよ。

猪子 情報量が超爆発し、急激にグローバル化する中で、共通のコンテキストなんかを持つことが不可能になる中で、従来とは違う意味でアートの役割は、急激に重要性が増すとは思うんだよね。


 

▼プロフィール
猪子寿之(いのこ・としゆき)
1977年、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。チームラボは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者など、デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動している。
47万人が訪れた「チームラボ踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」などアート展を国内外で開催。他、大河ドラマ「花燃ゆ」のオープニング映像、「ミラノ万博2015」の日本館、ロンドン「Saatchi Gallery」、パリ「Maison & Objet 20th Anniversary」など。2016年はカリフォルニア「PACE」で大規模な展覧会を予定。
http://www.team-lab.net

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