読書のつづき[二〇二〇年三月下旬〜四月上旬]| 大見崇晴 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.06.10
  • 大見崇晴

読書のつづき[二〇二〇年三月下旬〜四月上旬]| 大見崇晴

会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
人生の習慣をも悉く中断させていくコロナ禍の拡大が、日常を日常でないものに変えていく令和二年の春。異常と平常とが奇妙な振れ幅をみせる緊急事態宣言前後の日々は、高見順や永井荷風ら昭和の文人たちが遺した戦時の日記文学への追想を、自ずと引き起こさずにはいられないものでした。

読書のつづき 大見崇晴

二〇二〇年三月下旬

三月×日
ミル『自由論』の新訳が岩波文庫[1]で出るらしい。ロールズの『公正としての正義再説』は岩波現代文庫[2]に収まるそうだ。後者は読んでも私は理解できない気がする。

[1]ミル ジョン・スチュワート・ミル。一八〇六年生、一八七三年没。イギリスの思想家。父親は政治経済学者として著名なジェイムズ・ミル。父の友人であるベンサムの影響を受け、功利主義の代表的な論者となる。女性解放論者としても著名。私生活では人妻であったハリエット・テイラーとの交友ののち、結婚をした。著作におけるテーマは幅広く、主著は『論理学体系』、『経済学原理』、『自由論』、『功利主義論』、『代理制統治論』、『女性の解放』、『自伝』と多岐にわたる。
[2]ロールズ  ジョン・ロールズ。一九二一年生、二〇〇二年没。アメリカの学者。二〇世紀中葉以降の政治哲学を代表する人物。一九七一年に出版した『正義論』は、その後の政治哲学を大きく規定している。自由と自由を可能にする分配が主題である。社会的な基本的な財(自由・機会・所得・資産・自尊心の基盤)の分配は、恵まれないひとへの利益にならないかぎり、不平等に分配してはならないとする構想を打ち出したことなどが、大きな論点となった。

三月x日
注文しておいたロラン・バルト[3]『新しい生のほうへ』が届く。だが、これを注文した理由を忘れてしまった。

[3]ロラン・バルト 一九一五年生、一九八〇年没。フランスの批評家。劇作家のブレヒトに感銘を受け、フランスにおけるブレヒトを支持する批評家として頭角を現す。世界的に著名となる契機は小説に関する評論によるものでカミュを論じた『零度のエクリチュール』(一九五三)だった。ほかにはフランスを代表する劇作家ラシーヌを以前と異なる手法を多用して論じた『ラシーヌ論』(一九六三)、「作者の死」について触れた『物語の構造分析』(一九六六)、バルザックの小説『サラジーヌ』を過剰に読み込むことで読書体験自体を展開した『S/Z』(一九七〇)などがある。『ラシーヌ論』では、旧来のアカデミズムを代表する学知ピカールと論争を起こしており、新しい批評を鮮明にしたことは強く記憶される。「新しい小説」(ヌーヴォ・ロマン)と呼ばれるフランスの小説を支持し、伴走した批評家でもあった。写真論や映画論、ファッション論も手掛けており、記号学を広めた。しかし根底には、それまで見落とされてきた観客や読者、消費者といった受容者側に対しての観点を強く打ち出すという点が貫かれており、観客に自発性を促す作劇を心がけていたブレヒトからの影響が強く伺える。その死は交通事故による唐突なものだった。

三月x日
通院。吉祥寺の書店をひととおり巡る。買ったのは以下のとおり。
• 松沢裕作『生きづらい明治社会』
• 青山拓央『分析哲学講義』
• 講談社現代新書『江戸三百年』1~3
• 渡辺慧『認識とパタン』
• 横張誠『侵犯と手袋 「悪の華」裁判』
• 『魯迅案内』
• 『つかこうへいによるつかこうへいの世界』
• 寺山修司・虫明亜呂無『対談 競馬論』
『生きづらい明治社会』[4]は石岡良治[5]さんが推薦されているのを見かけて買ってみた。『侵犯と手袋』は同じ著者の『ボードレール語録』が書名とまったく異なり語録と思えない内容の、奇妙な本で面白く読んだので手にとってみた。『魯迅案内』は竹内好[6]・久野収[7]らの対談が収められていたのが気にかかった。『つかこうへいによるつかこうへいの世界』は例によって買い直し。これで何冊目になるのだろう。何度読んでも『蒲田行進曲』のヤスに柄本明[8]を抜擢するくだりに唸ってしまう。
『対談 競馬論』は書棚から見つからなくなってしまったので、探すより買い直したほうが早いと思ってしまった。そういう買い物。寺山修司[9]も虫明亜呂無[10]も、私より年上のひとまでしか、そんなに読んでいないだろう。読んでいたとしても、なにかを読み落としているのではないか。この二人は変人である。変人の対話というのは、書き起こすひとの実力が試される種類のもので、奇を衒うと、かえって興が削がれる。この本ではそうしたしくじりはあまりなく、ちゃんと面白い。たとえば、次のようなやりとり。

虫明 どういう疑問ですか?
寺山 競馬は、一頭のドラマではなくて、群衆のドラマだということです。これはきわめて重要なことだ。つまり、競馬の楽しみがローマン主義的になってゆけばゆくほど、それへの反発として、もっとぬきさしならない悲劇の翳がちらちらしはじめる。 (中略)
虫明 つまり、言うところのレースの展開とか、ペースの均衡とか、コーナリングにまぎれが生まれて勝敗がきまるということのほうが興味の中心になってしまった。(寺山修司・虫明亜呂無『対談 競馬論』)

二人の間で会話として成立しているのだから、驚く。

[4]『生きづらい明治社会』 二〇一八年に岩波書店から岩波ジュニア新書として刊行された書籍。明治維新など開放的な印象が記憶されていることが多い明治時代が、生きるには過酷な時代であったことを地道な検証をもとに示したことが話題となり、二〇一八年度新書大賞の一〇位となった。著者は慶応大学経済学部教授・松澤祐作(一九七六年生)。

[5]石岡良治 一九七二年生。二〇一八年度より早稲田大学文学学術院准教授。美学・藝術学に関する豊富な知見(ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』の解説は行き届いたものとして知られる)をもとに、サブカルチャー・ハイカルチャーの区別なく論じる。

[6]竹内好 一九一〇年生、一九七七年没。中国文学者であり、魯迅の代表的な紹介者。東京都立大教授であったが、六〇年安保での国会強行採決への抗議として辞職。一九五〇年代の国民文学論争などでポストコロニアル(アジア・アフリカなどの植民地からの視点)を先駆的に示したことで知られる。

[7]久野収 一九一〇年生、一九九九年没。評論家。戦後民主主義を支持し、市民概念を広めた。思想の科学社の初代社長。体系だった著作がないことでも知られるが、反面『久野収対話史』(一九八八)のような対話を集めた大冊がある。

[8]柄本明 一九四八年生。妻は劇団仲間だった角替和枝、息子は柄本佑と柄本時生。佑の伴侶が安藤サクラ、時生の伴侶が入来茉里であり、皆俳優である。一九七六年に劇団東京乾電池を結成。ベンガル・岩松了・高田純次らと活動。当初はアドリブ劇が主だったとされる。のちに岩松了を作家に据えて騒がしい劇だけでなく「静かな演劇」も主導した。フォークシンガーだった高田渡を敬愛していたことでも著名。

[9]寺山修司 一九三五年生、一九八三年没。歌人、劇作家。演劇集団である天井桟敷を主宰。路上劇が事件になったことや、住居侵入で逮捕されたことでも世間を騒がせた。早稲田大学時代の友人はドラマのシナリオで有名な山田太一。『書を捨て、街へ出よ』で若者を魅了した。彼のもとに集まり世に出たひとは多い。一九七〇年には『あしたのジョー』の力石徹の葬儀委員長を務めるなどサブカルチャーとの縁も深く、竹宮惠子との交流も知られる。大学の短歌会で同席した大橋巨泉が短歌では勝てないと感じ、俳句に転向したことは有名。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」は彼の歌である。この歌が日本に対する愛国歌と安易に捉える読者が多いが、このうたは後に「李康順」という長編叙事詩に組み込まれたように、特定の国家に対する歌ではない(ように寺山が詠みかえた)ことに注意すべきだろう。

[10]虫明亜呂無 一九二三年生、一九九一年没。「むしあけ・あろむ」と訓む。本名。三島由紀夫より強く信頼をされ、『三島由紀夫文学論集』の編集を依頼される。競馬評論として有名となり、タレント活動などで多忙になったのち、一九八三年に脳梗塞で倒れる。その死について触れたエッセイで小林信彦が自身の仲人であったことを明かしている。

三月x日
勤務先近くの図書館に足を運んだら、コロナウィルスの感染防止ということで、返却と予約図書の貸し出ししかしなくなっていた。開架資料を目当てにしていたので、とりあえず戻って、インターネットで書籍を予約することにした。

三月x日
丸善丸の内OAZO店で、安藤礼二[11]推薦図書とポップがあったポ―[12]『ユリイカ』(岩波文庫)を買う。学生時代に『ユリイカ』は目を通した気もするのだが、改めて買ってみると、まったく知らない内容に思える。数年前からプラグマティズム[13]を勉強しているから、ポーの「宇宙」が、ジェイムズ[14]の多元的宇宙論の「宇宙」のようなものとして読めるのが、歳を重ねた証拠か、それとも要らぬ裏読みか。
それにしてもアメリカの書き手というのは不思議だ。時間よりも空間にこだわりを見せる。だから宇宙とかフロンティアといった空間を連想する言葉で考えが表明される。あれはいったいなんなのだろう。

[11]安藤礼二 一九六七年生。編集者ののち文芸評論家。多摩美術大学芸術人類学研究所所員。『神々の闘争 折口信夫論』から継続して折口信夫に関する研究・評論を執筆している。角川文庫にあった折口信夫の著作が新版として角川ソフィア文庫に収まった際に新版解説を担当している。

[12]ポ― エドガー・アラン・ポー。一八〇九年生、一八四九年没。アメリカの作家・詩人・評論家・編集者。「モルグ街の殺人」で探偵小説を発明する。「詩の原理」など作詩法に関する考察はのちの詩人たちに大きな影響を与えた。『ユリイカ』は一九四八年に発表された散文詩。

[13]プラグマティズム アメリカの哲学者チャールズ・サンダース・パースによって名付けられた。実用主義とも訳される。

[14]ジェイムズ 一八四二年生、一九一〇年没。アメリカの哲学者、心理学者。弟は小説家のヘンリー・ジェイムズ。ベルグソンやヴィトゲンシュタインなど同時代の哲学者にも大きな影響を及ぼした。

三月x日
植松聖被告に死刑判決が出た[15]。判決前に植松被告が発言したがったそうだが、裁判官から許されなかったそうだ。ニュース記事を追ってみると、マリファナ解禁について語りたかったそうだ。ああ、これでは本当に「マリファナの害について」だな、と思ったが、チェルフィッチュ[16]の初演は二〇〇三年のことだった。もうあれから十五年以上も経過しているのか。時の流れは早い。

[15] 植松聖 相模原障害者施設殺傷事件の犯人。死刑が確定している。
[16] チェルフィッチュ 劇作家・岡田利規が一九九七年に結成、主宰している演劇ユニット。代表作である「三月の5日間」(二〇〇四)は岸田國士戯曲賞をもたらした。同時受賞者は宮藤官九郎。

三月x日
志賀浩二『無限のなかの数学』を読もうとしたが睡魔に襲われ、果たされず。

三月x日
『評伝ウィリアム・フォークナー』なんて翻訳されていたのか。値段もだが、まず分厚さに圧倒されて、この年度末忙しいだろうから読むこともできないだろうと判断して買うのを諦める。

三月x日
バーリン選集を取り出す。ゲルツェン[17]について彼が何を書いていたかを思い出したくなった。

 魚類マニアたちは、魚が「生来」飛ぶようにつくられていることを証明しようと努めるかもしれない。しかし、魚は飛ぶようにつくられていない。

それはそうだろう。

[17] ゲルツェン 一八一二年生、一八七〇年没。ロシア人。亡命し諸外国で執筆。社会主義革命に強い影響を与えた。
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