第3章 文明の転換と新しい地政学の中で|落合陽一 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2021.05.18

第3章 文明の転換と新しい地政学の中で|落合陽一

メディアアーティスト・工学者である落合陽一さんの新たなコンセプト「マタギドライヴ」をめぐる新著に向けた連載、第3章の公開です。
人類を取り巻く環境がデジタルネイチャー化しつつある21世紀現在、私たちの社会生活を支える産業の構造や各文明圏のパワーバランスは、どのように変わってきているのか。情報プラットフォームをめぐる米中の対立や、第三極としてのヨーロッパの動向、そして日本の選択肢をめぐって、新たな地政学の台頭を素描します。

落合陽一 マタギドライヴ
第3章 文明の転換と新しい地政学の中で

文明のパワーバランスの転換と三極化するグローバル経済

ここまで見てきたように、デジタルネイチャーという「質量のない自然」は、ウイルス感染症という思わぬ変動にも後押しされ、これまでの「質量のある自然」の側と様々なかたちで結びつきながら、新たな環境として人間の生き方を変えつつあります。
では、自然のあり方と相互作用しながら、社会の基盤を構築していく営みである「文明」というレベルに焦点を当てたとき、人類社会のあり方はどう変わっていくのか。本章では、21世紀現在までに確立された産業やグローバル経済のパワーバランスをめぐる構造の変動といった、比較的射程の近い事象にターゲッティングしながら検討してみたいと思います。

人類が築いてきた文明の歴史を、産業という切り口から捉え直すことを考えてみましょう。第1章でも論じたように、ここでは国が科学技術政策の例として挙げた広く馴染みがある単語としてSociety 5.0という標語になぞらえて説明します。人間が物質的な自然そのものに分け入って糧を得ていく狩猟採集が主要な生活手段だったSociety 1.0から、農業や漁業などの第一次産業が基盤になるSociety 2.0、第二次産業としての工業が発展したSociety 3.0、そこから第三次産業としてのサービス産業や第四次産業とも呼ばれる情報産業などによって「実質」の領域が大きくなってくるSociety 4.0から5.0に至るまで、幾度かの大きな仕組みの転換がありました。
その観点から21世紀の日本と世界をめぐる状況を、より具体的な文明圏の興亡として捉え直すとしたら、こと産業革命以降に農耕社会から工業社会へと移行する中で、ユーラシア大陸の西岸でローマ帝国の遺産を受け継ぎながら産業革命を引き起こしたヨーロッパから、大西洋を越えて新大陸に民主主義と資本主義の殿堂を築いたアメリカへと覇権が移り、そのヘゲモニーの下で第二次世界大戦後は太平洋を隔てた日本も世界第二の経済大国へと飛躍的に発展。そして米ソ冷戦体制の崩壊後は、大陸側の中国が一気に伸びてきて日本を追い抜き、さらにはアメリカまで追い抜こうとしているのが現在の段階です。
とりわけ1980〜90年代から始まったIT革命による情報産業の発展により、直接的な軍事力や経済力だけではなくサイバー戦をともなう米中の対立が大きく表面化しているのが、前提となる2010年代後半〜2020年代現在の情勢と言えるでしょう。

つまり文明圏のパワーバランスの転換として現状を捉えるとき、工業社会から情報社会への転換の中で、アメリカ的な純粋な自由主義型の発展の到達点と中国的な権威主義型の到達点が拮抗しつつ、さらにそこにヨーロッパ的な、自由と権威のバランスを衝くブランド社会のような三極構造が見え始めてきています。日本をはじめ、いま世界の多くのビジネスプレイヤーたちは、そうした文明環境の変化を前提に、どのような立ち振るまい方をするのかを考えていかなければならない状況を強いられています。
例えば、戦後日本の工業社会の中核だった自動車産業の場合は、ある意味ではアメリカのモータリゼーションをハックしてコストパフォーマンスを上げていくことで発展を遂げていくことができました。自動車に限らず、電化製品や半導体など、あらゆる工業製品を、相対的にアメリカ国内よりも安い人件費と部分最適化を極めていくタイプのイノベーション、文化的同質性によるコミュニケーションの高速化などの積み重ねで凌駕していくというのが、日本のような新興工業国の勝ちパターンでした。
しかし、情報社会に移行する1990年代以降は日本の賃金も上がってしまい、外国に工場を輸出して現地生産での地産地消を成立させることでそれをカバーしようとしてきましたが、そこで成功を果たすには、いわゆる「日本型経営」のような文化的同質性をベースにした労働集約の優位性に頼るのではなく、文化に依存しないグローバルなプロパティを作ることが必要でした。そこで限界を露呈したことが、戦後の日本的工業社会の大きな弱点だと言われています。また、現在のジェンダーギャップや多様性、コロナワクチンのオペレーションに至るまで提示されている文化的同質性に基づいた多くの問題について、再確認すべき時流なのかもしれません。
これとは逆に、現代の情報社会では、ローカリティによって培われた文化を母体に、世界中の誰もがユニバーサルに使えるプロダクトデザインの体系に昇華できたときに、きわめて強力な勝ち筋が見えてきます。その典型的な例を2つ挙げるなら、アップルやグーグルなどアメリカ西海岸の文化風土に根ざしたカリフォルニアン・イデオロギーを背景に持つ今日のITプラットフォーマーたちであり、イケアやノキアなどカテゴリーを越えてライフスタイル全体をトータルにブランド化していくスタイルを確立した北欧デザインだったと思います。
前者についてはアメリカのヘゲモニーそのものの底力でもあるのでともかく、後者が2000年代前半から2010年代中頃くらいまでに国際市場で発揮していた存在感の大きさは、もっとよく見直されるべきでしょう。例えばノキアに体現されていたデザイン志向の携帯電話は、スマートフォン登場以前までの国際市場を押さえて、全員が同じインターフェースを使うということを通じて、北欧デザイン的なものの潮流を世界化させました。
この流れの後にアップルのiPhoneが持つ、フラットなデザインが席巻していくわけですが、結果的にプラットフォームとしての普遍性を獲得していくプロダクトの成立過程には、単なる機能や効率の優越だけでなく、エッジの立った文化的なブランディングによって人々のライフスタイルや価値観をハックしていくプロセスが必要だったことがわかります。アップルもまたApple Watchのバンドにエルメスを起用するなど、折々でヨーロッパ産のブランド価値を採り入れようとしてきていますし、逆にベンツやBMWがスマホとのデータ連携システムを組み込むなど、工業社会までの段階で培われてきたブランド価値を、情報技術を介して融合させていこうというアプローチが、2010年代後半から2020年代にかけて強まっています。

そのような工業から情報への文明的な転換の中で、中国は一方ではアメリカと対立しつつ情報のカーテンを築きながらも、他方ではヨーロッパと接近しながら、産業を再構築しようとしています。つまり、21世紀に入ってからの中国は、グローバル経済の中で「世界の工場」とも呼ばれる、アメリカ型の20世紀工業社会を範とするコモディティな工業生産の場としての座を確立してきましたが、GAFAに対抗するBATHのようなユニバーサル・プラットフォームの構築方法までをも模倣して独自のクローズドなITエコシステムを築いた次のフェーズとして、プロダクトの文化的・体験的な付加価値を高めていく方向へと、生産の先端部分をシフトしようとしている。
この段階で強みを発揮するのが、ワインやウイスキーのような固有性の高い地域風土で作られる「樽の文化」だったり、伝統的な建築や革製品、ガラス工芸、腕時計などロングタイムのブランドマネジメントから価値を作っていく「石の文化」だったりを数多く抱えるヨーロッパというわけです。具体的には、LVMHのようなフランスのブランド・コングロマリットや、ドイツのBMW、ベンツ、カール・ツァイス、Leicaといったドイツ・ブランド、あるいはスウェーデンのIKEA、H&M、ハッセルブラッドなど、世界的に価値が認められているヨーロッパ産のブランド力を、飽和したテクノロジーと組み合わせてグローバルに流通可能にすることで、かなり大きな付加価値の源泉になってきています。
実際、例えばHuaweiのカメラのレンズがLeica製になっているように、中国製のプロダクトでヨーロッパ産のブランド品を採用しているものも増えてきました。これは先に触れたように、アップルがエルメスを採り入れることでブランド価値を補おうとしたのと同様の傾向で、こういうミクロな産業生産の局面でも、文化的なブランディングによる付加価値の足りないアメリカと中国が、ヨーロッパという第三極を取り込んでいこうとする競合関係にあるという構図が見えてくると思います。

デジタルネイチャー化した世界における「新しい地政学」の誕生

以上に見たようなグローバル経済の三極構造が成立しつつあるのは、中国が牽引した経済発展の結果として、ヨーロッパのブランド価値を消費可能な富裕層が西側諸国だけではなく、アジア圏をはじめ全世界的に伸張してきているためです。例えば腕時計の市場が伸びてきているのは、それを支える富裕層たちの価値観として、ヨーロッパのブランドがアジアなど他の新興地域のブランドに対して、動かしがたい歴史的な優位性を明らかに持っているからです。その権威と優位性をもって、アジア圏の製品支配に対してヨーロッパが再び踏み出してきているというわけです。
こうしたヨーロッパ的なブランド価値の作り方と中国の独裁体制のドッキングという結託の仕方は、古典的な地政学の用語で言えば、19世紀の大英帝国から20世紀の後半の冷戦体制にかけて発展した英米日の同盟関係を基盤とする環太平洋のシーパワー(海洋の覇権をベースにした力)優位の体制から、独仏中露といったユーラシア大陸のランドパワー(内陸の覇権をベースにした力)優位の権威主義的な体制への揺り戻しのように捉えることができるかもしれません。

つまり、航空輸送と情報通信の発達した現代においては、軍事面では制海権より制空権の方が重要になっているのと同時に、経済面でも海洋国が内陸国に対して抱いていたような交易上のモビリティの優位は、かなりの程度キャンセルされてしまう。
第二次産業の重工業の時代は、膨大な資源や原材料といったモノを集積し、大量生産・大量消費に対応することが重要でした。だからこそ、大航海時代以来の数世紀は、世界中から海上輸送で大量のモノを動かすことのできるシーパワー優位の文明が続いてきたわけです。
しかしこれが第三次産業が優位になってくる時代には、付加価値生産の中心がモノから人に移行していきます。あるいはモノの側面に限っても、例えば半導体の製造やそこからの工業製品化のプロセスは内陸側が非常に強く、そうした高付加価値の製品の物流は、海上での一斉輸送というよりもタイムスパンの短い航空輸送で成り立っており、むしろきめ細かなニーズに対応する複雑な配送ネットワークの構築が重要です。
そういう意味では、ランドパワー寄りの文明圏がかつてほどはシーパワーに後れを取らずに済む条件が整ってきているとも言えて、特に中国が掲げた「一帯一路」におけるヨーロッパとの「陸のシルクロード」構想などは、ランドパワーの相対的な復権を示す象徴的なビジョンと考えることもできるでしょう。

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