『父親の話』|高佐一慈 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.08.18

『父親の話』|高佐一慈

お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回はちょっと変わっているという高佐さんのお父さんについて。大人になってから、自分の親に対する認識が変わったこと、ありませんか。

高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ
第8回『父親の話』

僕の父親は変わっているらしい。
「らしい」というのは、僕自身は父親のことを別段変わっているとは思っていないからだ。いや正確に言うと、思っていなかった。今は思っている。
僕は18歳の時までは実家暮らし、そこから大学進学とともに上京し、もう東京での生活はかれこれ20年以上にもなる。

今年71歳。もう定年で退いたのだが、父は学習塾を経営していた。家の隣に車庫があるのだが、その上に部屋を増築し、そこを塾としていた。通うのは主に町内の中学生。僕もクラスメートとともに、自分ちの車庫の2階に通っていた。

各家庭には、各お父さんがいる。友達のユウスケくんのお父さんはスーパーの店長。タナベのお父さんは学校の先生。フジのお父さんはタクシーの運転手。他にもサラリーマンのお父さんや、歯医者のお父さん、自衛隊のお父さんなど様々だ。色んなお父さんがいるので、別段塾の講師をしている自分の父のことを変わっているとは思っていなかった。ああ、うちのお父さんは塾の先生という仕事をしているんだなぁ、くらいの。
しかしポイントはそこじゃない。
いわゆる内面や行動のことだ。
大人になり、色んな人と出会い、色んな経験をした上で、改めて父親を思った時、父は完全に「変わってる人」だった。
変わっていると言っても、全身ピンクの服を着て休みの日は勝手に町内のパトロールをするだとか、飲み屋で仲良くなった素性も知らない人たちを大勢引き連れて次の日バーベキューに行くだとか、そういう豪快さを孕んだ、ある種わかりやすい「変わってる人」ではないのだ。なんというか、静かに変わっているのだ。

この連載の前々々回くらいで軽く触れたが、父は携帯電話を持ったことがなく(今現在も持っていない)、家にはテレビもない。家では寝る時間以外はずーっとラジオを聞き続けている。
しかも3台同時にだ。FMでクラシックとポップスをかけながら、AMを聞く。ちなみにAMはNHK第一放送しか聞かない。
僕が知ってる中で同時に何かを聞く人は、聖徳太子か父親くらい。聖徳太子は十人の話を同時に聞くのだから、僕の父親はさしづめ「三割聖徳太子」だ。だからもしも父がこれから「冠位3.6階の制度」と「5.1条の憲法」を作ったら、いつか三千円札の顔になるかもしれない。

父親のことを父親としてしか見ていなかった子供の自分。大人になって一人の人間として父を捉え直した時に、思い出は途端に色を変える。ブルーだったはずの景色がオレンジに。グリーンだと思っていた言動がワインレッドに。

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