読書のつづき [二〇二〇年十一月]時代は変わる|大見崇晴
会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
混迷を極めたアメリカ大統領選挙のニュースを、世界が固唾を呑んで見守った二〇二〇年十一月。オルタナ右翼やQアノンなど、ネット社会の負の側面をこれでもかというほどに助長したトランプ現象の背後には何があったのか、アメリカの政党政治史や現代哲学の思弁的実在論ブームなどの本をひもときながら、読書家としての考察を繰り広げます。
大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年十一月]時代は変わる
十一月一日(日)
文化の日がまもなくである。そんなことを思っているうちにアメリカ大統領選挙である。よりにもよって(?)明治節にぶつかる日が今回のアメリカ大統領選挙の投票日である。バイデンが圧勝するという報道がなされたのが夏頃のことだったが、気づけば接戦の雰囲気がある。けれど、『シグナル・アンド・ノイズ』で有名な統計学者のネイト・シルバーが運営する「ファイブサーティーエイト」だと、従来共和党が強い選挙区や、前回トランプが奪い取ったラストベルト(五大湖付近の工業地帯)もバイデン支持の格好だ。これでも競ってくるのだから驚く。トランプはラストベルトを確保しようと遊説を繰り返しているが、これに付き従っているひとたちはCOVID-19の感染を広めるのではないか。そういったことが気がかりである。トランプの支持者はマスクすらしていないひとたちなのだから。
十一月二日(月)
そろそろ投票日間近である。そわそわするが、よく考えたらわたしが投票するわけでもない。わたしの国でもない。それでも興奮するというのが選挙の醍醐味という気もするが、さすがに前のめりすぎるだろう。
とはいえ、わたし自身はトランプの敗戦を望んでいる。というのも、トランプだとGAFAの取締りは中途半端になってしまうと懸念をしているからだ。GAFAというのは、新しい独占様式を確立してしまったと、わたしは考えている。公正な競争というのが行われないのはよくない。YouTubeを見ると、アメリカは一層過激だが、日本ですらトランプに関連する陰謀論(いわゆるQアノン)を商材としたYouTuberがいる。彼らは収益を得ているが、その収益というのがデマだろうがなんだろうがページビューを確保して広告塔としての価値を見せつけようとする企業から支払われる広告料である。悪貨は良貨を駆逐するではないが、事実を軽視した情報が流れていく。その情報に踊らされるひとがいる。その踊ったひとのCookieなどを用いて広告が表示される。そうした広告や情報によって「検索したワードに最適化された」状態に囲われていくひとがいる。主義主張が異なるのはまだしも、客観的な事実すらも歪めた情報を商材として消費させられるひとたちがいる。これはどう考えてもいびつだ。このいびつさはアメリカの通信品位法230条が原因である。ユーザーの投稿によってコンテンツ制作のコストを極限まで下げたプラットフォーム(TwitterやFacebook)に、ユーザーが名誉毀損や事実を曲げた情報を記載しても、その責任の一切をプラットフォームが負わない。
この場合SNSなどのプラットフォームは言論の自由を重視して責任を負わないできた。この場合の自由とは「思想の自由市場」というものに由来するものである。「思想の自由市場」とは、信教の自由に関してミルトンが説き、J・S・ミルが検討し広めたものだ。しかし、現状は健全な市場となっていないと言えよう。思想の売り買いの市場の場となるインターネット上のプラットフォームにとって、取引が多ければ多いほど、既存のプラットフォーム(新聞、テレビなどなど)よりも取引が活発であることから、コンテンツプロバイダーして魅力的となるためである。コンテンツプロバイダーの競争において、取引(情報の発信)量だけの競争となったとき、インターネット上のプラットフォームの圧倒的な優位がここに生まれる。しかし、取引量を活発にするために、そこで流通する商品(思想)の質が問われていない。自由市場を形成することによって商品の質が維持ないし向上されるという期待はすでにして裏切られている(そうでなければ、どうしてトランプが繰り返した数々のデタラメがTwitterを介して流通しただろう)。こうなると、SNSは単なる市場ではなくコンテンツプロバイダーとしての側面を持つとして、新聞テレビといった旧メディア同様に発信情報に対して責任を持たすという枷をかける必要があるだろう。SNSは「思想の自由市場」の名のもとに「やらずぶったくり」をしているわけである。トランプ以前からあった傾向が、トランプによって先鋭化したのだから、レイドバックしてGAFAのしかるべき分割ないし制約を課す観点からいっても、トランプ以外のアメリカの政権を期待する理由である。
十一月三日(火)
旗日である。明治節である。例年であれば、この時期が文学フリマだった気がする。今年の文学フリマは十一月二十二日の開催である。
ラジオを聴いていたらTBSラジオの「たまむすび」で町山智浩氏がバイデンが圧勝かと思っていたがトランプの猛追がすごいと盛り上がっている。何もそんなに盛り上がらなくとも、と思うぐらいに盛り上がっている。氏はアメリカに在住しているのだから盛り上がって当然なのだが、それにしたって、というかんじである。曰く、アメリカは全国的に都市部と過疎地域で投票傾向が二分しているそうだ。都市部はバイデン、過疎地域はトランプを支持しているそうだ。
十一月四日(水)
ついにアメリカ大統領選挙の開票だが、当初の想定どおりバイデンがカリフォルニアを制したことでリードしているように見える。それでもトランプがじりじりと追い上げている。と思ったら夕刻ぐらいになったらトランプがリードしていた。これでもうバイデンに目がないと思ったら、「ファイブサーティーエイト」など各所がバイデン優勢は変わらないと報じている。どうやら郵便投票が未開票で、この大量の郵便投票のほとんどがバイデンだというのだ。バイデン支持者はCOVID-19を恐れて投票場に赴かず、郵便投票がほとんどなんだそうだ。それでも木村太郎は予想通りにトランプが勝つだろうと意気軒昂で、デーブ・スペクター(わたしは彼が共和党支持者だと思っていた)が沈んだ顔をしていた。デーブ・スペクターが真面目なことや沈んだ顔をするというのは、相当な世界的な危機以外にないので、これは大変なことになってしまったなと、今更に顔をしかめてしまった。
十一月五日(木)
なんだか気づいたらバイデンが辛くも勝利したようだ。「ファイブサーティーエイト」とFOXニュースが、バイデン勝利の報を伝えている。どうしてかと思ったら、アリゾナ州をバイデンが勝利していた。ここの票数を勝利の前提にしていたトランプはもはや勝ち目がないというのだ。たしかに開票作業が終了していない州の票数を手計算してみると、トランプが勝つ条件は厳しいものがある。現時点でバイデンが取りそうな票は以下の通りである。これに十五票を積み増せば勝利である。そこまで票数を伸ばせる州がバイデンにはある。トランプにはない。
ネバダ :6
アリゾナ :11
ウィスコンシン:10
メイン :4
合計:31
トランプは敗戦の弁を述べてはいないが、圧勝の弁を述べていない。そのこと自体が彼が敗戦した証である。
十一月九日(月)
諸々。なにかと事が片付かない。日記を書く余裕もない。淡々と日々をすごしていきたい。
シェーファーのフラットヘッドの万年筆を手に入れた。当分はこれを使っていきたい。新宿のキングダムノートまで足を運んでパイロットの竹林(深緑色)を注文。肩こりがひどいのでアスピリンを服用。「この恋あたためますか」(このドラマの森七菜は百ワットの笑顔でとてもいい)を先週見逃しているので、なんとかして今日中にTVerでおっかけ視聴をせねば。
これを機に少しはアメリカの政治状況というのを知ったほうがいいかと思って、岡山裕『アメリカの政党政治』(中公新書)を買う。建国から現代に至るまで、二大政党制が確立して、それが何度かの変貌を遂げたことが記されていて、大変ためになった。宇佐美滋『アメリカ大統領を読む事典』をむかし読んでいたから、ジャクソニアン・デモクラシー、南北戦争、ニュー・ディール、偉大な社会と党勢が大きく変わった現象や政策を知ってはいたが、大統領中心ではなく政党を軸に見てみるとこうも景色が変わるのか。
メディアを眺めてみると、ようやく「ローリング・ストーン」が民主党候補が勝利とご陽気な調子で報じていた。少しぐらいは前向きな報道があってもよいだろう。
久しぶりに笙野頼子の小説を読んでみたが、こんなにも袋小路にはいったような、ハイコンテクストな小説だったろうかと戸惑ってしまった。彼女が小説を執筆するにあたって読んでいた小説家たち(筒井康隆などなど)を知らないと楽しめない部分が増えているのではないか。そうして、そうなってしまった彼女の小説は引用や借用の過剰さから、「なにもしてない」ようなものから、極めて社交的な小説へと変貌しているのではないか。それは本人の意に反しての結果かもしれないが。
日記に以前ボーン・アゲイン・クリスチャンのことを書いたばっかりに、福音派などなどを調べなくてはいけなくなった。うろ覚えでものを書くのも考えものだ。
イオンでヒアルロン酸が入った保湿液が大きなボトルで売られている。案外に安いのでこれを買って乾燥しやすい箇所を塗りたくる。これで毎年乾燥性湿疹に苦しめられそうな状況から脱せられるか。
帰宅。トム・ウルフ『そしてみんな軽くなった トム・ウルフの一九七〇年代革命講座』が届いていた。やはりいい本だ。しかし、学生時代に読んでいたときは気づかなかったが、この書籍タイトルは、つかこうへいのパロディであったのか(元は『初級革命講座飛龍伝』である)。七〇年代のシラケを表現しているという意味では共通したものがあるから、納得である。
オタクがフェミニズムが云々オタクカルチャーはという具体的な資料や事実を明かさない妄言が流れてきて、呆れる。
十一月十日(火)
『はじめてのジョナサン・エドワーズ』が届く。漫画がおどろおどろしい。それにしても十一月も三分の一が終了してしまった。月日が流れるのは早い。この分だと、あっという間に年越しだ。まあ、疲労なく一日を過ごしていければ、それで良し。
2ちゃんねるの管理人だったひろゆきが、いまさらになってバイデンとトランプについて話題として取り上げているという。しかし、デマの温床であった2ちゃんねるを運営し、その手法が4chanなど海外にまで伝播させた人物が何を語るのだろう。これから黒歴史として2ちゃんねるは国際的にも語られ論じられ、否定的な評価を受けるのだとは思うが。むしろ何故ここまで能天気にやっていたのかが、ちょっとわからない。
Makuakeというクラウドファウンディングで紹介されていたThink Lab Homeが面白そうだ。部屋の中に個室を作って雑音を遮り、集中をしたくなる気持ちはわからなくもない。
ブックオフで大竹弘二『正戦と内戦 カール・シュミットの国際秩序思想』を買う。これは以前に荻窪のささま書店かどこかで買おうとしたが諦めたところ、二度と新刊書店などでも見つからなかったものだ。あとで調べてみるとAmazonのマーケットプレイスで四十万円近い値段になっている。こんなに高騰化する理由がにわかに思いつかなかったが、すこし落ち着いてみると最近評判がすこぶる良い蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)が、この本をもとにして進められた講義をまとめたものだと書いてあった気がする。してみると、それが原因だろうか。
親族の入院。相変わらずドタバタしているとのこと。周囲も疲れている。
菅政権、日本学術会議の件は一切何も進まず。河野大臣が何かを担当したらしいが、何を進めたかはさっぱりわからず。「旧弊打破」やら「人材に偏り」とまるで左翼のような言辞で日本学術会議に手を突っ込もうとしたのは保守の風下にも置けぬ。そして、こうした発言を言質にとられ首相自身が身動きがとれなくなるのは前政権と変わらず。まるで官邸周辺にミスリードを誘う人物がいるかのようである。