更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第12回(最終回)「子供の国で青春が終わった後に」【第4水曜配信】
〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回で最終回となります。神楽坂から文京区の印刷博物館へ向かった更科さん。神田川沿いを歩きながら、90年代というサブカルチャー青春時代の終わりに思いを馳せます。
第12回(最終回)「子供の国で青春が終わった後に」
神楽坂を登り切り、東西線の神楽坂駅前まで来た。今回はJR飯田橋駅から歩いてきたが、『カラフルピュアガール』編集部があった頃は、この駅から当該のビルへ通っていた。
ぼんやり眺めていると、駅の出入口の小さな雑居ビル――おそらくは東西線が開通した頃の建物が未だ健在であることに驚いた。1階のテナントはシャッターが降りていたが、地下の古い喫茶店「フォンテーヌ」は当時と変わらず、営業している。
狭い上に常連客が多く、打ち合わせには向いていないので、数えるほどしか入ったことはないが、懐かしくなったので、午後の用事の前に少し休憩することにした。
トーストサンドやサンドイッチが売りの古色蒼然とした純喫茶だが、焼魚や麦とろなど和食な定食もある。浅草や錦糸町あたりではよくあるタイプだが、神楽坂だと珍しいかも知れない。もっとも、昼食を取ったばかりなので、コーヒーだけ頼んだ。
手描き風書体のマッチや黒猫の影絵のような時計は、店主の手作りだと聞いた。それらのガジェットは独特の雰囲気を醸し出しているが、禁煙という概念がない昔の純喫茶なので、長居には向いていない。
コーヒーを啜り、地上へ戻ると、駅の出入口の外壁に立て看板が掛かっていることに気づいた。神楽坂の商店街マップのようだが、余白に『コボちゃん』のキャラクターたちが描かれている。パチモノや無断使用ではなく、正規の許可を取っているようだ。
手元のスマートフォンで調べると、どうやら、作者の植田まさし氏が神楽坂在住らしい。確かに、竹書房、双葉社、芳文社などの4コマ漫画誌が主戦場なら、神楽坂に家を構えるのはちょうどいい。家賃や地価は高いと思うが。
そういえば、かつて『カラフルピュアガール』編集部が入っていたビルの斜向かいに妙な造形のブロンズ像が建てられていたが、あれはコボちゃんの像だったのだ。
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神楽坂駅の西側――早稲田方面は商店もまばらで、人通りはほとんどないが、ワイレア出版やピーズサイテックなど、小規模なアダルト系出版社がいくつかあり、そちらの用事で来ることもあった。
筆者が「更科修一郎」という名前で「批評家」ということになったのは、たぶん、90年代の終わりに、ワイレア出版の『クリーム』というグラビア雑誌で永江朗氏にインタビューされてからだが、度重なる引っ越しで現物が手元にないので、何を喋ったのかはまったく覚えていない。
時期的には、コアマガジンを辞める前後だったと思うが、インタビューされた経緯も覚えていない。心当たりがあるとすれば、編集作業と並行して『漫画ホットミルク』で連載していた「雑誌事評」の読者だったのかも知れない。
学生時代の同人誌がそのまま雑誌連載になったこのコラムは、最終的に毎月8ページまで膨れ上がっていた。
毎月の創刊、休刊、廃刊雑誌を片っ端からレビューし、出版業界にモノ申すという狂気の沙汰は、同業者から絶賛されたり憎悪されたりしていたから、永江氏が嗅ぎつけたとしても不思議ではない。とはいえ、退社より前に連載は終わっていたが。
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