宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2021.09.21

暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(前編)

編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、プランツディレクターの鎌田美希子さんに話を伺いました。「土から離れて暮らしてしまっている」都市において、私たちはいかにして植物との関係性を取り結んでいけばよいのか。「人と植物の距離をもっと近づける」ための方法を考えます。

「横断者たち」の第1回~第4回はPLANETSのWebマガジン「遅いインターネット」にて公開されています。今月よりメールマガジンでの先行配信がスタートしました。

小池真幸 横断者たち
第5回 暮らしにもっと植物を、都市に土の手触りを|鎌田美希子(前編)

コミュニケーション過剰な時代に、意思疎通できない「植物」と共に暮らす

ここ数ヶ月、人生で初めて、「園芸」というものに興味を持つようになった。近所の小さな園芸ショップの店先を眺め、たまに小さな観葉植物の鉢を買っていくだけなのだが、これがけっこう楽しい。一つ数百円の小鉢が、日によって少しずつ違うラインナップで並べられており、「今日はどんな植物が出ているのだろう?」とささやかなワクワク感が得られる。気に入ったものがあれば、買って帰り、部屋に置くようにしている。
そして何より、植物を育てるという営みの奥深さ。といっても、たまに水をあげたり、日に当ててあげたりくらいしかしていないのだが、これが意外にも難しい。植物によって、水をあげるべきタイミングや、日に当てるべきかどうかが異なる。さらには、知らぬ間に葉っぱが茶色くなっていたりと、日によってコンディションが上下する。
もちろん、言語的コミュニケーションは一切通じない。かなり面倒な同居人であることはたしかだ。しかし、常にSNSやインターネットに接続され、意思疎通の海に溺れそうになる現代だからこそ、であろうか。コミュニケーション不可能な他者とのかかわりが、なぜだか心を落ち着かせる。毎日数分だけでも世話をすることによって、生活に彩りと安息が加えられている感覚がある。それも、たった数百円で、枯れない限りずっと楽しめる優れものだ。
周囲の知人からも、コロナ禍を機に植物を育てるようになったという声を、ちらほらと聞く。筆者は首都圏のベッドタウンで生まれ育ち、現在も都市部に住んでいる。幼少期はいわゆる昆虫少年で、カブトムシやクワガタに目がない時期もあったが、基本的に、自然にはあまり触れ合わずに生きているタイプの人間だと思う。しかし、ここにきて約20年ぶりに、生き物と共にある生活のみずみずしさを味わっている気がする。

筆者がいままさに体験している、都市部において、いかに「自然」とのかかわりを紡ぐか。都市化が進行しつつある昨今、重要性がますます高まるであろうこの問いを考えるべく、ある人物をたずねた。話をうかがったのは、「人と植物の距離をもっと近づけたい」という想いのもと、ビジネスと研究、アートを〈横断〉しながら活動している、プランツディレクターの鎌田美希子さん。「多肉植物ブーム」への問題意識から立ち上げたクッション『たにくっしょん®︎』などを通じた空間緑化事業を手がけるロッカクケイ合同会社を経営しながら、千葉大学大学院園芸学研究科博士課程で、オフィスにおける植物の効果を研究。2019年にオフィスを植物による植物のための空間とした展示『Office Utopia』、2020年に微生物を主題として初の個展『(in)visible forest』を開くなど、アーティストとしても活動中だ。
マクロトレンドとしては都市化がますます進行しつつある中で、私たちはいかにして植物との関係性を取り結んでゆけばいいのか? 「土から離れて暮らしてしまっている」都市における、人と自然のあるべき関係を議論した。

現代人が直面する「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」

「20代半ばで東京に出てきて最も驚いたのが、人々の植物への無関心さです。多くの人が植物に興味がなくて、私が植物の話をしても、『ああ、草ね』くらいのリアクションしかされない。昔から植物が心の底から好きだった私にとって、とてもびっくりさせられることでした」

鎌田さんは穏やかな口調で、こんな経験を語ってくれた。筆者はこの言葉を聞いたとき、周りを見渡しながら「あぁ、そういうことか」と、深い納得感を得ていた。
というのも、鎌田さんの生活そのものが、「植物のことを心の底から好き」を体現していたからだ。今回の取材は、鎌田さんのご厚意により、(もちろん十分に感染対策を講じたうえで)自宅にお邪魔するかたちで行われた。取材前は、いちインタビュアーの分際でパーソナルな空間に足を踏み入れることに、恐縮する気持ちもあった。しかし、お邪魔した途端、そんな気持ちも吹き飛ぶほど驚いてしまった。室内の所々に観葉植物などが置かれているのはもちろん、まるで植物園のように、さまざまな植物が敷き詰められた壮観なベランダがあったのだ。

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こうしたかたちで植物とかかわっていたら、東京に住む人々が植物に「無関心」だと感じてしまうのも当然だろう。しかし一体、鎌田さんはなぜ、ここまで植物に惹かれているのだろうか? 一般に植物の良さといえば、癒やしやかっこよさ、かわいさといったポイントが思い浮かぶ。しかし、鎌田さんには、それらよりも先に来る感情があるという。

「植物は面白いんですよ。私は東北の田舎で生まれ育ったのですが、当たり前に自然に囲まれた環境で育つ中で、植物が大好きになりました。自宅には花やサボテンがたくさんあり、すぐ横に小さな畑がある。母の実家は農家で、田畑に連れていってもらうこともありました。小学校には、田んぼのあぜ道や林の中を通りながら、30〜40分かけて歩いて通学。学校の裏には大きな雑木林があって、放課後は毎日そこで遊んでいました。植物好きが高じて、小遣いを貯めて食虫植物を買い集めたりするようにもなりましたね。変わった子どもだったと思うのですが(笑)、親もけっこう付き合ってくれまして。ドングリを植えるための植木鉢を一緒に焼きもので作ってくれたり、『あそこの山に生えいている、ギンリョウソウという腐生植物が見たい』と言うと、その場所に連れていってくれたり。最初は食べられるものから興味を持ったのですが、キイチゴがたくさん林になっていたり、ブドウが8月頃になるとやわらかくなったりと、毎日いろいろな植物を見て、触れて、時には口に入れて、その変化を感じられるのが、とても面白かったんです」

こうした植物に対する好奇心は、本来は万人が兼ね備えている可能性があるものだと、鎌田さんは考えている。かつて、レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』において、​​子どもは誰でも「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性」を持っている点を指摘した。しかし、現代においては、人が植物に対して過小評価をする傾向を示す「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」が問題視されているという。たとえば、家が壊された跡地の土に雑草が生えていても、多くの人は気にもとめない。そもそも、地球上の生物の総量のうち、植物は約9割を占めるという。その植物たちが光合成によって酸素を生み出すことで人間が生きられているにもかかわらず、「火災によって山林が大きく失われた」という一大ニュースでもない限り、あまり意識にのぼってこない。

「植物とかかわりたいという欲求は、多くの人が持っていると思うんです。人間は本能的に自然とのつながりを求めるとする『バイオフィリア』という概念があり、私たち人間は、生命に対して愛着を持つ本能があると言われています。コロナ禍に際しても、自宅で過ごす時間が増えた影響で、家で植物を育てたいという人が増えましたよね。知り合いの鉢の卸売業者さんも、コロナ禍でとても忙しくなったと言っていました。たまたま幼い頃の私がそうだったように、自然とのインタラクションを重ねる中で、植物の面白さに気づくことができれば、無関心ではいられなくなるはず。たとえば、ちょっとでも自分で育ててみるようになれば、自ずと周りの植物が気にかかるようになると思います」

この鎌田さんの言葉は、園芸超初心者の筆者としても、大いに実感できるものだ。曲がりなりにも自身の手で育てるようになってから、道端の草木や近所の家のガーデニングの豊かさに、出会い直した感覚がある。ライターの村田あやこは“路上園芸鑑賞家”として、住宅や店舗の前などで営まれる園芸や路上空間で育まれる緑を「路上園芸」と名付け、その撮影・記録を行っているが、まさに「路上園芸観察」の魅力を知った気がするのだ。

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