宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.11.12

アニメとは「真実の器」である~私的アニメ概論|山本寛

アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第14回。
今回は個々の作品考察から一歩離れて、山本さんにとって改めてアニメとは何か、そしていま「アニメを愛する」とはどういうことかについて考えます。

山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第14回 アニメとは「真実の器」である~私的アニメ概論

そもそも僕にとってアニメとは何か、を語る機会がこの連載でなかったことに気づいたので、今回は具体的な作品分析をすることなく、概論としてアニメを論じてみたい。
いつもよりさらに観念的・美学的な考察になるかも知れないが、容赦願いたい。

まだ業界に入りたて、木上益治氏に弟子入りしてすぐの頃だ。彼にこう訊かれた。
「君はどんなアニメを作りたいんだい?」
僕はこう答えた。
「作りたいアニメなんかありません」
呆気にとられた師匠に、僕はこう続けた。
「作らなければならないアニメがあるだけです。それが具体的にどんなものかはまだ解りません」。
狐につままれたような師匠の顔を今も覚えている。

僕にとってアニメへの期待は、「ロボットアニメをやりたい!」とか「異世界系!」「萌え!」とか、そんなジャンル論ではもちろんなく、欲望のイメージすらなく、ただ描きたい内容はその都度出る、というか、自然に顕れるものだと、当時から思っていたし、今も思っている。
それを僕は「真実」と呼ぶ。

もうついてこれていない読者のために念のため言っておくが、ここで言う「真実」とは「かくかくじかじかの理由で俺の言っていることは正しい!」とドヤ顔で説明するものではない。
むしろ僕自身が「発見」するものなのだ。
第9回で触れた「ピュシス」に近いものと言ってもいい。

真実は理論化や言語化できるものではなく、体験するものだ、と言ったのはかつての名指揮者、セルジュ・チェリビダッケだが、僕も同様の理由でアニメという職を選んだ。
まぁ選んだ当時(中学三年)はそこまで深くは考えず、ただ無我夢中で憧れていただけなのだが、大学に入って美学・芸術学を学んで、自分の道は間違っていないと確信した。
きっかけとなったのが、哲学者・ヘーゲルが提唱した「芸術終焉論」である。
タイトルの通り「芸術はもう終わりだ!」と宣言するその論には面食らったが、内容は以下の通りである。

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