宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2015.09.11
  • 井上敏樹,小説,月神

【集中連載】井上敏樹 新作小説『月神』第2回

平成仮面ライダーシリーズでおなじみの脚本家・井上敏樹先生。その敏樹先生の新作小説『月神』を、PLANETSチャンネルで週1回、集中連載します! 今回は第2回をお届けします。


 

 家に着くと裏口から店内に入り所狭しと並べられたガラクタを掻き分けるようにして階段を登った。
 いつものようにクマルはまだ起きていた。
 ご飯にしますかお風呂にしますかとおれを見て訊ねる。
 風呂だ、と答えてTシャツを脱ごうとするが思った通り汗塗れの生地が体に絡みついて鬱陶しい。おれはTシャツを引き裂いてクマルに叩きつけた。クマルは顔を覆った黒いシャツを剥がそうとジタバタともがく。
 おれは立て付けの悪い引き戸をぴしゃりと開け、タイル敷きの風呂場に立ち両腕を上げる。下着姿になったクマルが慌てて追いかけて来ておれの体を洗い始める。濡らしたヘチマにたっぷりの塩をかけて力を込めてごしごしと洗う。
 思ったより時間がかかったな、とおれは思う。家に着くまで走り続けて四時間半はかかったはずだ。途中、若者たちとのいざこざがあったにせよ、それにしても長い。どうも最近体力が落ちているような気がする。やはり歳、という事だろうか。
 しかも明日は満月だ。以前は満月が近づくにつれおれの体内に膨大なエネルギーが満ちたものだ。触れた者が痺れてしまうほど、湧き上がる生気が皮膚の表面にまで帯電していた。そういう感覚が、最近弱くなっている。
 おれの全身を洗うクマルの息が上がり始める。分厚い唇の、歯並びの悪い口からぜえぜえと息を吐き、額に汗を浮かべている。手桶の湯で二度三度とおれの体を洗い流し、クマルが風呂場から出て行くと、おれは檜の湯船に身を沈めた。この家で、おれが気に入っているのは風呂場だけだ。檜の香りに包まれて湯の中で四肢を伸ばすとどんなに疲れていても癒される。
 一階がリサイクルショップになっているこの家は一体いつ建てられたのだろうか。おれが客としてここに初めてやって来てから二十年か三十年か四十年になる。随分と昔の話だ。当時から今にも崩れ落ちそうなボロ屋だったがいまだにボロ屋のまま辛うじて家屋の態をなしている。
 今ではおれがここの主人だ。この店はおれの物だ。おれは三年か五年か八年の間ここでバイトをしていたが、先代の主が死ぬ間際におれにくれた。だからおれの物だ。
 この店にはなんの看板もない。ただ、ガラス戸を通して見える店内の様子からそれと知れるだけだ。店には様々な種類の家電やら衣類やらその他諸々の品物が無造作に陳列されているが、中でも一番目を引くのはやはり恐竜の化石だろう。チラノなんとかとかテラノなんとかとか先代が教えてくれたが正確な名前は忘れてしまった。もっとも先代も相当適当な奴だったからそれがあっているのかもわからない。とにかく恐竜だ。しかも全身の化石である。床から天井まで、尾骨、腰骨、脊椎と、一連の骨の連なりが小さな竜巻のようにうねっている。こちらを見降ろす巨大な頭蓋骨は耳まで裂けた口を開け、おれの頭など簡単に噛み砕けそうな無数の牙が並んでいる。
 なぜこんな物がここにあるのかおれは知らない。一度先代に聞いてみたが、先々代の頃からあったそうで先代も詳しい事情は知らなかった。どうせ偽物だと思っていたが、以前、どこで噂を聞いたのかどこかの博物館の職員がやって来て隅々まで化石を検分し相当の値段を提示した事があったので、やはり本物なのだろう。これは売り物ではないと言って先代は交渉する暇すら与えずその職員を追い返したのだが。
 最初、おれは客としてこの店にやって来た。当時のおれはつまらない仕事を首になりいつもすきっ腹を抱えていた。そこでおれの少ない所持品の中で最も高価な革ジャンを売ろうとここに来たのだ。
 こんな物は売れない、と先代は言った。梅干しの種のように干からびて小柄な男だが容赦ない言い方だった。サイズがでか過ぎる、プロレスラーぐらいしか着る者はない。うちはリサイクルショップであって質屋ではないのでモノが売れなければ金は払えない。
 それならばここで働かせてくれないか、とおれは頼んだ。もう丸二日もなにも食べていないのだ、と。
 丸メガネ越しの上目遣いで先代はおれをジッと見つめた。その唇が少し笑った。
 いいだろう、と先代は言った。今日から働け。
 先代がああもあっさりとおれを雇った理由は分からない。もしかしたら力仕事なら出来ると思ったのかもしれないが、おれとしては先代がいつも口癖のように言っていた言葉の方を信じたい。
 おれは物を見る目には自信がある。
 先代は物を見るようにおれを見て採用を決めたのではないだろうか。そうだとしたらうれしいのだが。
 最初は通いのバイトだったがすぐに住み込みで働くようになった。
 三年か五年か八年後、先代は朝飯を食っている最中突然倒れた。そしてその日のうちにあの世に行った。
 死ぬ間際にこの店をお前にやる、と先代は言った。
 遠慮するな、全く遠慮していないおれにそう言って先代はおれの手を握り締めた。
 ああ、とおれは答えた。「いただこう」
 先代は先々代から、先々代は先々々代から店をもらった、だから気にするなと全く気にしていないおれに言い残し先代は息を引き取った。
 そんなわけでこの店はおれのものなのだ。

 湯船から上がると冷たいシャワーを浴びておれは脱衣場で腕を水平に上げた。
 タオルを手に待機していたクマルが手早く濡れた体を拭いていく。それから化粧水をおれの全身に叩き込み、さらにボディクリームを丁寧に塗る。
 おれの肉体は完璧だ。大きく膨らんだ筋肉を艶やかな皮膚が包んでいる。普通、歳を取るとどんなに鍛えている奴でも筋肉の維持は出来るが皮膚は無残に老化していく。皺が寄りシミに覆われて張りがなくなる。だが、おれの体は皮膚も筋肉もまだまだ若い。今、おれは老境にいるが、顔は壮年、体は青年のそれだ。これも日々のケアのおかげだ。車好きが愛車の手入れをするようにおれは肉体のケアを怠らない。
 おれはおれという存在のピークを維持するためならどんな努力も惜しまない。先程は歳には勝てないなどと弱音を吐いたがトレーニングの量を増やし医療の力をうまく使えば問題なく取り戻せる。
 おれの肉体へのこだわりは死にたい奴を殺してやるといういわば裏の稼業のためだ。おれは依頼者を出来るだけ鮮やかに、苦しませずに殺してやりたい。理想を言うなら恍惚感を与えてやりたい。たとえばあまりにも荘厳な寺院を前にすると、人は畏怖と恍惚を覚えるだろう。おれはそんな寺院のような存在でありたい。そのためには圧倒的な肉体と人間離れしたパワーが必要なのだ。おれが殺す相手の前立腺を刺激して性的快感を与えるのはいわば保険のようなものだ。死に対する恐怖を拭えない者への、ささやかな気づかいというわけだ。
 おれの肉体へのこだわりにはもうひとつ隠れた理由がある。
 クマルのためだ。クマルはおれの体を愛している。
 ふたりが愛し合う時、クマルはおれの筋肉のひとつひとつを撫でて噛んで舌を這わせる。そうして股の間から汁を流す。
 クマルがうちに転がり込んで五年か十年か十五年になるがおれの本当の歳を知らない。一度も聞かれた事がないから歳などどうでもいいのだろう。そんなクマルのためにもおれはおれのままでいてやりたい。ずっと今のおれのままで。
 おれの体を拭き終えたクマルが夕食の支度に戻っていくとおれは夜の生活のための準備を始める。
 洗面台の棚から薬瓶を取り出し手のひらいっぱいのバイアグラを口に放り込んでかみ砕く。水道の水を何杯も飲む。大量の水を飲む事も肉体の維持には必要なのだ。

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