【インタビュー】阪田典彦(BANDAI SPIRITS)プライズフィギュアは「重層的な物語」を媒介する(前編)
本日のメルマガは、BANDAI SPIRITSのフィギュアプロデューサー・阪田典彦さんへのインタビューの前編をお届けします。ゲームセンターのアミューズメント景品であるプライズフィギュアを手がけてきた阪田さん。「造形天下一武道会」「造形王頂上決戦」といった、普段は裏方的役割を担う造形師にフィーチャーした企画や、「ワールドコレクタブルフィギュアシリーズ」「CREATOR×CREATOR(造形師×写真家)シリーズ」「Q posketシリーズ」など、ジャンルとメディアの壁を越えた数々のフィギュアシリーズを世に送り出してきました。そこに込められた、重層的な物語構築のアプローチに迫ります。(取材・構成:柚木葵・中川大地)
「フィギュアプロデューサー」をつくった原体験
――アミューズメント機の景品として提供されるプライズフィギュアの世界って、すごく独特ですよね。制限がある中で商品開発をしなければいけないので、販売品のフィギュアとは違ったアプローチが必要じゃないですか。
だからプライズフィギュアの動向には以前から注目していたんですが、「美少女戦士セーラームーン」や「ディズニープリンセス」を扱った「Q posket」シリーズが出てきたときは衝撃的でした。非常に造型クオリティが高いのと、むしろドール文化に近いデフォルメ手法で、普段はフィギュアに関心がなさそうなユーザーたちがファンになっていて、びっくりしました。
特に、私が阪田さんのお名前を意識したのは、2018年2月のJAEPO内で開催されていた叶姉妹の「Q posket」の公開監修イベントだったんですが、プライズフィギュアには物販品のようなシリーズ商品が少ない中で、「ワールドコレクタブルフィギュア」のようなコレクションタイプのシリーズ商品を出されてたり、普段は表に出てこない原型師さんにスポットを当てた大会を開かれてたり、非常に意欲的な企画をたくさん阪田さんが手がけられていると知って、ぜひお話を伺いたいと思ったんです。
まず、そもそもフィギュアプロデューサーになられたきっかけから教えていただけますか?
阪田 はい。大学生の頃、子供時代に買えなかったおもちゃを買い集めていたんですが、メーカーに入ってしまえばもう買う必要がなくなるんじゃないかと思ったんです。「自分で好きなおもちゃやフィギュアを作る職業っていいよね」いうのが、入社の動機ですね。
――子供時代のおもちゃというと、どういったものがお好きだったんですか?
阪田 僕はいま39歳で、子供の頃のおもちゃが「キン肉マン消しゴム」や「ビックリマンシール」、「ミニ四駆」にファミコンと、おもちゃの歴史を語る上でめちゃくちゃ熱い時代を過ごしてきたんですね。でも親の方針で、小さい頃に全然おもちゃを買ってもらえなかったんです。ミニ四駆も誕生日に買ってもらった1台だけで、ビックリマンチョコも月に1個。年間で12枚くらいしか集まらない。そんな、おもちゃに飢えていた幼少期でした。
それで、大学生の頃に子供時代に買えなかったおもちゃを買い集めていました。大学は新潟だったんですけど、タウンページで玩具店を探して、車でそこのおもちゃ屋さんまで行っていました。当時はYahoo!オークションがすごく流行っていた頃で、昔のおもちゃが高値で取引されていて、資産集めと昔の思い出の保管を兼ねて買っていたんだと思います。ファミコンのソフトとかもたくさん買い集めていて、当時500本くらい持っていました。
――まさにポスト団塊ジュニア世代的なホビー黄金期の記憶と、そこでのコレクション熱の不全感から始まっているわけですね……。ちなみに、阪田さん世代の人気ホビーだと、当時のガンプラブームとかはいかがでしたか?
阪田 そっちには全然行かなかったです。もちろん『ガンダム』は流行ってましたけど、小さいころからロボットものアニメは苦手で。藤子不二雄ものとか『ゲゲゲの鬼太郎』、『ビックリマン』のアニメや『ルパン三世』とか、わかりやすい作品が理解しやすく好きでした。いまだに伏線張りまくってる映画などは全然理解ができないので、そういうアニメを通ってこなかったんですよね。
あと、『ウルトラマン』とか『仮面ライダー』シリーズみたいな特撮ものは怖くて見なかったです。5才くらいのころ、怪人が怖くて階段の横からちらっと覗くことしかできなかったらしいですよ。だから苦手意識で通ってこなかったですね。
――逆に、阪田さんに最も刺さったコンテンツは何でしたか?
阪田 『スラムダンク』です。「『スラムダンク』でバスケ始めました!」みたいな、当時よくいたミーハー的ファンの代表的な例ですね。当時からかっこいいと思っていました。
だから人物にフィーチャーされてるものやロボットの出ないものに嗜好が偏っていて、「ジャンプ」などをずっと読んでいたのが、今の仕事につながってるんじゃないのかなという感覚ですね。
――なるほど、すごく納得がいきました! その原体験からすると、確かに前世代の男児カルチャーで優勢だった特撮ヒーローやメカへのフェティッシュではなく、「ジャンプ」系漫画のドラマツルギーに即したキャラクターフィギュアが天職という感じがします。阪田さんはフィギュアプロデューサーとしては、ずっとプライズ一筋なんですか?
阪田 はい、今年で入社17年目になるんですが、基本的にはずっと一開発者としてプライズフィギュアの企画・開発をしています。入社当時は「あいつはずっとサボっているっていうイメージがある」と言われるくらい会社にいなくて(笑)、その間、原型師さんたちとずっと話していて、ときには深夜や朝方になることもありました。。原型師さんの性格や技術を知って、どんなものを作れるんだろうと考えて、また他の原型師さんを紹介してもらって……というのを7年目くらいまでずっと続けていました。
だから、僕の場合は「こういう細かい造形ができる人だったらこういうフィギュアが作れるはずだ」というところから企画を出しています。0を1にするという発想はなくて、いろんな人を繋いで、1を10に、100に……としていくことが僕の職能なのかなと思っています。
――原型師さんとの密なコミュニケーションを通じて、企画を着想されている感じなんですね。特に、プライズフィギュアの原型師さんはあまり名前を出さないといいますか、ユーザーがTwitterで探さないと出てこない印象があります。メーカーのツイートをリツイートしているとかで知ることが多く、どちらかというと職人さんのような存在で、あまり表に出てきませんよね。なので、「造形天下一武道会」、「造形王頂上決戦」では原型師さんの顔と名前が出ていて驚きました。
阪田 そうですね。知り合いの原型師さんが増えたことで、みんなで競い合うかたちにしたら面白いんじゃなかろうかということで原型師さんにフィーチャーしたのが、「造形天下一武道会」、「造形王頂上決戦」の企画です。
この企画はもう10年目になるんですが、当時は2ちゃんねるの掲示板で、誰が作ったどのフィギュアがかっこいいのかを盛り上がっているのをよく見ていました。これだけ盛り上がりが生まれるのであれば、それを大会にしてしまえば一気に解決じゃなかろうかと。本人が作ったフィギュアと一緒にお名前も載せているので、本気を出さないと叩かれてしまいますよ……、みたいな(笑)。
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