『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第7回 「世界」を改変する道具たち
今朝のメルマガは稲田豊史さんによるドラえもん論『ドラがたり』の第7回です。今回は「「世界」を改変する道具たち」。ドラえもんが四次元ポケットから取り出す数々の道具の、今だから分かる驚くべき先見性。そして、道具に込められた重要なモチーフ〈世界の改変〉について論じます。
●一番好きな道具はなんですか?
2008年に小学館から刊行された『ドラえもん最新ひみつ道具大事典』によれば、ドラえもんが四次元ポケットから出す道具の数は約1600にものぼる(「ひみつ道具」はアニメ版ほか原作以外のメディア展開において使用される呼称なので、本稿では単に「道具」として記述する)。卓越したドラえもんファン同士であれば、道具の名称だけでしりとりも可能だ。
また、大長編でのび太たちが危機に陥るたび、脳内アーカイヴを総動員して最適解の道具提案を口走るコアファンも少なくない。「そこに『無敵砲台』設置しとけば安全なのに」「だったら『先取り約束機』一択だろ」「むしろ『進化退化放射線源』使ったほうが良くね?」などといった具合に。まあ、ウザいったら。
ともあれ「一番好きな道具は?」は初対面のドラファン同士で交わされる定番のアイスブレイクであり、この回答いかんによってファン歴やエンスー度や「ドラえもん観」がある程度決めつけられてしまうのも事実。「AKBグループの推しメンは?」「『こち亀』で好きな脇役は?」「スピルバーグ映画のベスト1は?」「一番好きなモビルスーツは?」「カプコン史上最高の格ゲーは?」などと同様の、リトマス試験紙的な質問だ。
ここで相手から「タケコプター」や「どこでもドア」のように、超のつく入門的ラインナップが挙がってしまうと、熱心なドラファンとしては一気に接待モードとなり、腕時計見まくりの合コン並みにテンションが落ちる。以降の会話が消化試合になること必至である。
「タケコプター」「どこでもドア」にあたるのは、「前田敦子、秋本麗子、『E.T.』、シャア専用ザク、『ストⅡ』」あたりだろうか。もちろん「釣りはフナにはじまってフナに終わる」とも言うので、3周回ってとてつもなく深遠な思想を孕んでいる可能も、なくはない。
ただ、筆者はフナ釣り老人級の粋人ではないので、マイフェイバリット道具はてんコミ21巻に登場した「ハッピープロムナード」である。その機能については後述しよう。
ドラえもんの道具をどう分類し、何のテーマくくりで着目し、論じるか。それは非常に難しい。道具の機能でまとめるのか。物語の教訓でまとめるのか。批評性や文学性の物差しを持ち込むべきなのか。
ただ、道具の機能上の面白さを味わうなら、それこそ『ひみつ道具大事典』を読めばそれでいい。
今の技術で制作可能な道具を端からリストアップしていくのもひとつの方法だが、それもあまり芸がない。富士ゼロックスの「四次元ポケットPROJECT」のように、実際に企業が着手しているプロジェクトを追う醍醐味には勝てないだろう。
そこで今回は、ドラえもんの道具、ひいては藤子・F・不二雄(以下F)の天才性を「道具の機能」にではなく、「道具によって“世界”を改変するセンス」に求めたい。
この場合の“世界”とは3つ。①経済活動が行われる社会、②一定の価値観を共有したコミュニティ、③パーソナリティの置き場所たる個人個人の精神世界――を指すものと了解されたい。
●藤子・F・不二雄の発案したビジネスモデル
①の「経済活動が行われる社会」を変革するには、ビジネス上のイノベーションが必要不可欠だ。Fは子供向けマンガ作品上で、時代を先取りするビジネスモデルをいくつか提案している。
てんコミ14巻に「遠写かがみ」という道具が登場する。機能は「鏡に写ったものを、指定された範囲内にある別の鏡や水たまりなどの反射物へ、一斉に映し出せる」というもの。一読してピンと来ない機能であり、ドラえもんも当初は「使い道がない」として壊そうとする。が、ここでのび太がとんでもない発想をする。
のび太「コマーシャルだよ! 商店の広告をひきうけて……」
ドラえもん「町中のかがみにコマーシャルを流すわけか!」
お気づきのように、これは完全に「デジタルサイネージ」だ。モニタが鏡に置き換わっているだけである。事実のび太たちは、15秒スポットを100円と値付けし、1時間で2万4000円の売上を見込む。すごい小学生だ。
ただ、なかなか顧客が集まらない。前例がないため、費用対効果について誰もが半信半疑なのだ。ネット草創期のバナー広告のようでもある。
そこでドラえもんは考える。「まずぼくらの広告会社そのものを宣伝しなくちゃだめだよ」。そこで、ボロい和菓子屋のCMを無料で請け負うのだ。
だが、それもうまくいかない。CMが店名・商品名連呼型、いわゆる「プッシュ型」だったためだ。押し付けがましい、広告ヅラした広告は消費者の反感を買う。本作の掲載号は「小学六年生」1977年2月号だが、今から40年近く前にFはそれに気づいていた。
感心するのはこの後の展開だ。もはや広告効果を諦めた和菓子屋の店主は、これを機会に店じまいするからと、のび太とドラえもんに好きなだけ店の菓子を食べてくれと告げる。
山盛りの菓子を喜々として頬張るふたり。実はそのとき、スイッチを切り忘れた遠写かがみに、その模様がばっちり写っていた。広告のことなど忘れ、ただ純粋に、うまそうに和菓子を食むのび太とドラえもんの様子は、町中の反射物に延々と流された。町の人たちは食欲をそそられ、最後は店が大繁盛となる。
そう、「プル型広告」が効いたのだ。
てんコミ15巻「ネコが会社をつくったよ」は、ビジネスモデルの完成がそのままオチゴマになっている、稀有な一編である。
ここでは単に「タイマー」と呼ばれるそっけない名称の腕時計型ガジェットが登場する。「このタイマーをつけておけば毎日きそく的に、きめられた時こくに、きめられたことをひとりでにやるんだ」というのび太の説明通り、のび太の遅刻を防ぐためにドラえもんが出した道具だ。のび太は眠ったまま勝手に布団から出て着替え、朝食をとり、学校へ向かう。
学校で、のび太はしずかから4匹の捨て猫を預かる。しかし野比家はもちろん、どこにももらい手がない。途方に暮れるのび太とドラえもん。
ここでドラえもんが素晴らしいアイデアを思いつく。ネコたち自身が運営するネズミ退治の会社を設立するのだ。
彼らの住まいは空き地に常駐した「デンデンハウス」(見た目は大きなかたつむりの殻。中は快適な居住空間)。ネコたち各々の首には例の「タイマー」が巻かれている。
会社の仕組みについてはドラえもんのセリフを引用するのが早い。ドラえもんには珍しく、けっこうな長ゼリフだ。
「もう、飼いぬしなんかいらない。ネコたちは自分の家にすんで、自分のはたらきでくらすんだ。つまりこういうこと。何げんかの家とけいやくをむすんで、毎日きめられた時間に、ネコが天じょうとかおし入れのパトロールにでかける。ネコの月給はペット屋さんにはらいこんでもらう。ペット屋はネコの家にキャットフードを毎日とどける」
実にうまいスキームではないか。『もしドラえもんが起業したら』のようなタイトルでビジネス書にでもなりそうな内容である。言うまでもなく、書名の略称は『もしドラ』だ。
●無料配布からの有料販売
てんコミ33巻「地底のドライ・ライト」は、2009年刊行のビジネス書ベストセラー『フリー 〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(クリス・アンダーソン・著、NHK出版)を、うっすら彷彿とさせる。
作中では22世紀のエネルギーとして、「ドライ・ライト」という固形物が登場する。これは「太陽光線のエネルギーをドライアイスみたいにかためたもの」(ドラえもん・談)。夏の間に日光のエネルギーを地中に貯めることで地下鉱脈が形成され、それを少しずつ掘り出して使うのだ(作中の季節は冬)。エネルギー源そのものなので、塊を天井から吊るせば電灯になり、やかんに放り込むとお湯が沸く。超万能・超高性能乾電池のようなものである。
「ドライ・ライト」が面白いのは、機能ではなく売り方だ。
のび太にそそのかされ、どら焼き目当てでドライ・ライトの商売をしようとするドラえもん。「100グラム100円」で訪問販売をはじめるが、なかなか売れない。「遠写かがみ」同様、前例のない新商品なので、消費者が慎重なのだ。