野球をめぐるいくつかの現代的寓話――『カルテット』とWBC中継延長問題(文化系のための野球入門 vol.5)
野球という〈古い日本の象徴〉を、新たな視点で捉え直す「文化系のための野球入門」。今回は、この春に行われた野球の世界大会「WBC」のテレビ放映をめぐって起こった文化的対立をヒントに、現代社会における〈野球〉の位置を考えます。(文:中野慧<PLANETS編集部>)
「カルテット民 VS やきう民」紛争でフラッシュバックした世紀末の光景
今年(2017年)の春先、野球の世界大会ワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)の第4回が開催されました。「侍ジャパン」こと野球日本代表は、事前の壮行試合で苦戦したこと、イチローやダルビッシュやマー君(田中将大)といった誰もが知るスター選手の不在などもあり前評判はあまり高くなく、「世間的な盛り上がりに欠ける」というようなことも言われていました。しかし、いざ蓋を開けてみると本大会では6連勝と快進撃を続け、準決勝で優勝国アメリカに敗れはしたものの、終わってみればそれなりに盛り上がった――少なくとも野球ファンのあいだでは――といえそうです。
私自身、二次ラウンドの日本VSイスラエルを東京ドームで観戦したのをはじめ、日本戦以外もテレビや現地などで観戦しました。健闘したイスラエルやオランダ、そして4回目にしてようやく初優勝した「野球の母国」アメリカ代表の戦いぶりなども含め、とても見応えのある大会だったと感じました。
しかし、「侍ジャパン」や他のチームの戦いぶりなどのゲームの内容以上に、マスメディアでの報道やネットユーザーたちの論じ方で見えてきた「WBCと日本社会」の構図が大変興味深かったという印象を持っています。
WBCが開催されていた2017年春季はちょうど、TBS系『カルテット』(出演:松たか子、松田龍平、満島ひかり、高橋一生 脚本:坂元裕二)というテレビドラマがドラマファンのあいだで注目されていました。このドラマは火曜22時(『逃げるは恥だが役に立つ』と同じ枠)の放送だったのですが、ちょうど3/7のWBC1次ラウンド日本VSキューバ、3/14に行われた2次ラウンドの同じく日本VSキューバが火曜日に行われ、野球中継が延長に延長を重ねてドラマの放映開始時間が後ろ倒しになる、という事態が起こっていました。
私はふだんテレビ番組を観る際、2ちゃんねるやツイッターなどネット上の書き込みを追っているのですが、このときネット上では『カルテット』を楽しみにしている視聴者(ここでは「カルテット民」と呼びます)とWBC視聴者(同じく「やきう民」と呼びます)のあいだで小競り合いが起こっていました。カルテット民は「野球ウザい早く終われ」、やきう民は「どうせ低視聴率不人気ドラマでしょ」と応酬するという、いつかどこかで見たような不毛な光景が繰り広げられていたのです(なお、『カルテット』はドラマファン内での評価は高かったものの、リアルタイム視聴率は多くの回で一桁台でした)。
▲「野球 延長」でGoogle検索するとレコメンドで出てくる単語群。「うざい」「ムカつく」といった感情的なワードから、「何時まで」といった実利的な情報を求めるものまで様々。
松井秀喜などを擁し、まだ巨人が盤石の人気を誇っていた90年代半ば、私はまだ野球の魅力に目覚めていない漫画やドラマが好きな小学生だったのですが、野球中継の延長により楽しみにしている番組が後ろ倒しになる、もしくはVHSでの録画に失敗するといった経験を通して、テレビの番組表を乱す「野球」の傍若無人な振る舞いに深い恨みを抱くようになりました。特に、日テレ系列土曜21時の放映枠だった少年少女向けドラマ『家なき子』『金田一少年の事件簿』『銀狼怪奇ファイル』などを楽しみにしていたのですがいずれも野球の犠牲となり、悲しい思いをしたことを覚えています。
今の野球中継はどうなっているのか?
おそらく前世紀末、まだ一家にテレビ一台が普通だった時代は、あくまでも比喩ですが「野球中継を観たい父親 VS ドラマを観たい娘」といった思想的対立が、広く日本中の家庭で起こっていたのではないでしょうか。今年の「カルテット民 VS やきう民」もそれを彷彿とさせるもので、ドラマファンからは「なぜ野球は延長するのか? BSやサブチャンネルを使えばいいのでは?」という声が上がっていました。
私はそういった光景を眺めていて、その種の感想が出てくること自体が興味深いと感じました。というのも、「野球が傍若無人に番組表を乱す」ということは以前よりも明らかに少なくなっていることが、事実としてあるからです。
ふつうプロ野球のナイターは18時に試合開始で、おおむね3時間で終わると想定されています。そこでテレビで野球中継を行う場合は、中盤から試合終了までの19〜21時の放映枠を取っていることが多いです。しかし野球が3時間で終わることのほうが実は少なく、昔は平均的には10〜30分ぐらい延長することが多かったわけです。
しかし野球中継の延長は近年、急速に減少しました。なぜかというと巨人戦が以前ほど視聴率を取れなくなり地上波での放映数が減少し、その一方で90年代以前は映像で観ることが難しかった巨人戦以外のセ・リーグ球団やパ・リーグの試合が、BS・CSなど多チャンネル化やネット放送(ニコニコ生放送、スポナビライブ、DAZN、Abema TV、SHOWROOM等)の充実によって様々な方法で視聴できるようになり、プロ野球の「巨人頼み」の構図が大きく転換したからです。
テレビ放送についても、たとえば地上波の日テレで巨人戦を放送する際には(18時に試合開始で)19-21時のみ放送し、試合時間が放送枠を超えた21時以降はBS日テレに移行、そしてもし22時を超えてBSの放送枠に食い込むようだったらサブチャンネルで放送するなどし、放送枠を乱さないような改善が行われました。少なくとも、昔のように頻繁に地上波で野球が延長するということがなくなり、棲み分けができるようになってきているわけです。これは今や野球ファンのなかではほとんど共通了解のようになっています。
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