弱者なら「守り抜く」のではなく「打って勝て!」――高校野球文化と「散る美学」
(『砂の栄冠』完結記念・三田紀房インタビュー)
今朝のメルマガは、「週刊ヤングマガジン」で好評を博した高校野球漫画『砂の栄冠』の完結を記念し、作者・三田紀房先生へのインタビューをお届けします。『ドラゴン桜』『インベスターZ』などのビジネス・教育漫画で著名な三田先生が高校野球を描き続ける理由とは? そして日本独特の「高校野球文化」について、たっぷりと語ってもらいました。
◎聞き手・構成:中野慧
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■ 唯一絶対の存在である「高校野球の監督」
――今回は、ヤングマガジンで大人気を博した高校野球漫画『砂の栄冠』の完結記念ということで、三田先生にいろいとお話を伺っていければと思います。
まず三田先生といえば、ドラマ化などもされた『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』、そして現在モーニングで連載中の『インベスターZ』といったビジネス漫画のイメージが一般には強いかもしれませんが、『ドラゴン桜』以前からずっと野球、特に『クロカン』(1996年〜2002年にかけて週刊漫画ゴラクで連載)や『甲子園へ行こう!』(1999年〜2004年に週刊ヤングマガジンで連載)のような高校野球をテーマにした漫画を描いてきていらっしゃいますよね。
そこで最初にお聞きしたいのですが、そもそも三田先生が高校野球漫画を描こうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
三田 直接のきっかけというのはあまり思い当たらないんですけど、父の友人で高校野球の監督をやっていた人がいたんです。僕の地元は岩手県で、その人はご実家のお仕事をされていたんですが、仕事のほうはそこまで熱心にやっていたわけではなく、日中はわりとブラブラしていて、午後になると高校に行って野球部の監督をやっていた。「仕事はそこそこで、好きなことをやって生きていける」って、なんかいいじゃないですか(笑)。で、その人は甲子園も3回ぐらい行っていて県内では有名人で、高校行くと監督ですから国の王様みたいな感じだったのも印象的でしたね。その人をなんとなくベースにして、高校野球の監督を主人公にしたいと思って描いたのが『クロカン』です。
――それ以前から、三田先生は野球を好きで見ていらっしゃったりしたんですか。
三田 いえ、高校野球もプロ野球もそこまでちゃんと見ていたわけではないんです。岩手県なんで巨人戦しか見れなかったり、そもそも中継があんまりなかったので、関西や関東の野球好きの人のように「野球が生活の一部になっている」という感じではなかったですね。
『クロカン』連載当時は漫画家デビューして2〜3年目ぐらいだったんですけど、やっぱりまずは自分が企画として考えた『クロカン』を描きたいという思いがあって、いろんなところに持ち込んだんです。でも、「主人公がプレイヤーじゃないからダメだ」「監督がベンチに座ってサイン出してるだけの漫画なんて成り立たないよ」と言われてなかなか採用されなかったですね。それでようやく「週刊漫画ゴラク」で企画が通って、本格的に高校野球漫画を書き始めていって、それからですね。
――今でこそ主人公が監督という漫画は珍しくなくなりましたけど、当時の漫画誌はそういう雰囲気だったんですね。
三田 高校野球って、特に監督の存在が非常に大きいじゃないですか。そこを描いたら絶対に面白いと思っていたんですけど、90年代半ば当時はなかなか理解されなかったというのはありますね。
――僕も高校野球をやっていたんですが、たしかに高校野球って監督の良し悪しがチームの強さをかなり左右しますよね。監督5割、ピッチャーが5割なんて言われたりも。
三田 監督って一球ごとのサインを出したりしますし、そもそもベンチのなかで唯一の大人なんですよね。だからどうしてもおっしゃるような関係性になってしまうということはあります。
■ 「正しい投球フォーム」なんてない!〜『甲子園へ行こう!』
――『クロカン』や『甲子園へ行こう!』を描いていらした時期は、高校野球の現場をたくさん取材されたりしたんですか? 他にも、参考にされた漫画があったりしたんでしょうか。
三田 うーん、それはあまりないですね。取材もあまりしていないですし、漫画にしても水島新司さんの作品はいろいろ読んだりはしてましたけど、基本的に自分でいろいろ考えて描いています。
『甲子園へ行こう!』の頃は「ピッチング理論をちゃんと描こう」というのが企画のコンセプトとしてあったので、牛島和彦さん(80年代〜90年代初頭にかけて中日・ロッテで抑え投手として活躍。引退後は横浜(現:横浜DeNA)の監督なども務め、現在は野球解説者)にお話を聞きにいったことはありました。
「誰でもこれをやればすごいピッチャーになれる」というような”正しいフォーム”の理論のようなものがあるんじゃないかと期待して行ったんですけど、牛島さんからは「正しいフォームなんてない。良い球が行けばそれでいいんだ」とキッパリ言われてしまって(笑)。
――なるほど。牛島さんといえば投球術や「試合への向かい方」のようなメンタル面で鋭い解説をされていて理論派として知られていますが、その牛島さんでさえも投球フォームについては「正しいフォームはない」という考え方なんですね。
以前、長嶋茂雄さんがバッティングに関して「正しいフォームなんてない、来た球にタイミングを合わせて、前に強い打球が飛ばせればそれでいいんだ」「日本人選手はフォームの綺麗さを気にしすぎている」とおっしゃっていました。長嶋さんが言うと「天才だからでしょ」なんて言われてしまうんですが、最近のスポーツ科学でも「人間は意識の指令だけで自分の身体を思い通りに動かすことはできない」っていう知見も出てきていたりしますね。
三田 『甲子園へ行こう!』ではピッチャーが少し前傾姿勢になって「まっすぐ立つ」というテクニックを紹介していますけど、あれも「強いて言えば、いいピッチャーのフォームにはこういう共通点があるかもしれない」というぐらいのものなんですよ。
やっぱり、単に「正しいフォーム」で投げたからといって、打たれたら意味がないわけです。逆に言えば変なフォームでも打たれなければそれでいい。そう言われればそうか、という感じですよね。
たとえば「怪我しにくいフォーム」というものも描きましたけど、それはあくまでも確率論であって、変な投げ方してても怪我しない人はしないし、いい投げ方してもする人はする。身体のつくりも人によってまったく違いますし、何が合っているかは人それぞれなんです。
要は「正しく投げる」ということは野球にはまったく当てはまらない、と。それはそれで描いていて新鮮だなと思いましたね。「こうすれば正しいに違いない」と思い込んでいたものが、意外と大した価値がなかったりするわけです。
――なるほど、フォームのような「過程」ではなく、打ち取れるかどうかという「結果」から逆算していくわけですね。
ちなみに『甲子園へ行こう!』では神奈川の県立高校が舞台でしたが、地区予選のブロック大会から描いていましたよね。神奈川の地区大会って、秋と春は最初は地区ごとに、抽選で4チームずつに分かれて総当りでリーグ戦をやるわけですが、良いグラウンドを持っている「会場校」というシステムがあってそれに基づいて組み合わせが決まる。つまりどんな弱小校でも必ず強豪校と一回当たらなければいけないんですが、その独特の緊張感を描いているのがとてもリアルだなと感じました。
三田 「なるべくリアルに再現しよう」というのは、ひとつのこだわりでしたね。神奈川って私立の強豪校がたくさんあるのもそうですし、県立高校もレベルが高くて他県と全然違うんです。
『甲子園へ行こう!』でも舞台を県立高校にしていますが、非・強豪校が勝ち抜いていくには一番ハードルが高くて、そこでもがいて頑張っていく感じが出しやすいんですね。そういう高いハードルにチャレンジしていくところを描きたかったということがあります。
――神奈川県予選では準々決勝からすべて横浜スタジアムで試合が行われるわけですが、お客さんもたくさん入りますし、甲子園とはまた違った独特の雰囲気がありますよね。ベスト8ぐらいだとどこが甲子園に出てもおかしくないぐらい強くて、横浜・東海大相模・慶應・桐蔭・桐光……挙げればキリがないですが、お互いよく知っていて毎年当たるからライバル意識も強い。横浜スタジアムには独特の高校野球文化があるように思います。
三田 やっぱり高校野球って地域ごとに全然違う文化があるんですよね。逆に大阪府なんて、開会式こそ大阪ドームでやりますけど、準決勝と決勝はわざわざ「舞洲ベースボールスタジアム」という海沿いの不便なところで開催しています。これってわざとそうしているらしいんですよね。
――もし大阪大会決勝で大阪桐蔭 VS PL学園のような好カードが実現したとして、甲子園球場自体は兵庫県(西宮市)なのでできないかもしれませんが、せめて大阪ドームとかでやればいいのにと思ってしまうんですが……。
大阪府は47都道府県で唯一、夏の大会でのシード制を採用していなかったりしますけど、要は「甲子園以前」の大阪府予選にあまり注目を集めたくないんでしょうか(笑)。
三田 大阪はやっぱり、ちょっと変わったこだわりがありますよね(笑)。
■ 『砂の栄冠』で描かれた、本当にいる「高校野球オタク」な人たち
――『甲子園へ行こう!』までは高校野球のドキュメントというか、選手一人ひとりの頑張りのドラマであったり、練習やそれ以外の時間を含めてチームの結束をどう固めていくかという部分に焦点が当たっていたと思うのですが、今回の『砂の栄冠』は高校野球全体の「文化論」になっていると感じました。このコンセプトはどういう経緯で生まれたんでしょうか?
三田 『甲子園へ行こう!』の後も、「ヤングマガジン」が取材のパスを毎年用意してくれていたので、高校野球のマンガを描いてなくてもちょこちょこ甲子園を見に行ったりはしてたんです。で、『砂の栄冠』でも描いたことでもありますが、甲子園のバックネットって開場時間に来て毎日観戦しているようなおじさんたちがたくさんいるんですね。
たとえばバックネット裏で試合前のシートノックを見ながらカウンターをカチャカチャやっている人がいて、プロ野球のスカウトが近くにいたんで「あの人って何やってるんですか?」って聞いたら、「ああ、あれは制限時間内に監督が何本ノックを打ったかを数えているんですよ」と言っていて。
――「制限時間内にどれだけノックを数多く打てるか」という指標で、そのノッカーの技術を測っているわけですよね。
三田 そうなんです。そういったことをたくさん目の当たりにして、自分がそれまで思っていた「高校野球」とちょっと違う一面を感じたんですね。「こういう人たちがいてこそ甲子園なんだな」と。だから高校球児そのものと、プラスそれを取り巻いてる人間模様を描いたら面白いんじゃないかと思っていました。
▲『砂の栄冠(20)』より。濃い高校野球ファンたちは、それぞれ独自の視点から試合を観戦している。
――言ってしまえば「高校野球オタク」の人たちですよね。雑誌でいうと『野球太郎』(廣済堂出版)――昔だったら『野球小僧』(白夜書房)ですが――というものがありますが、プロ野球選手ではなくまだ高校生〜中学生の注目選手の情報を集めて、他県での練習試合まで遠征して追いかけるような人たちが実はたくさんいるんですよね。あの文化って、野球をやっている人間としては存在は知ってはいたものの、身近にそういう人が全然いないので「なんだろう?」と思っていたんです。でも『砂の栄冠』を読んで「ああ、こういう人たちなんだ!」と具体的なイメージが湧きました。
三田 高校野球って、たとえば伝統校だと毎日バックネット裏とかに練習を見に来るおじいさんっているじゃないですか。「練習を見に来る」というのは、ひとつの高校野球の特徴だと思いますね。
たとえば静岡高校なんて、毎日20〜30人ぐらい、90歳近いおじいさんたちが来ていたりするんですよ。これは他の競技にはない特徴なんじゃないかと思います。他にも高校野球部ってOB会だったり、父母会だったりといろんなものがくっついている。そういう外側のことも描いたら面白いんじゃないか、と思っていました。
▲『砂の栄冠(18)』より。高校野球ファンのなかには、お気に入りの選手を追いかけるため遠方まで観戦に出向く人も。上のシーンの人物は、静岡からわざわざ埼玉まで地方予選を観戦しに来ている。
■ 無能な監督、眉毛戦争、父母会の権力争い……高校野球を取り巻くディープな人間模様
――『砂の栄冠』では父母会で(なぜか)起こる主導権争いも描かれていましたが、元高校球児からすると「あるある」とすごく共感してしまいました。選手と関係ないところで無駄にドロドロしていたりしていて……子どもの側からするとたまったもんじゃないんですけど(笑)。
三田 高校野球は父母のみなさんもすごく熱心ですから。やっぱり地域や父母と一体となって取り組むというのがひとつのポピュラーなかたちですね。
――他にも主人公の高校の監督(作中では「ガーソ」というあだ名で呼ばれている)が典型的な無能上司だったり、「眉毛戦争」と言われるチーム内での太眉派VS細眉派の対立があったり、強豪校野球エリートの嫌な感じだったりとか、ああいった綺麗事ではないリアルな側面も描かれていましたよね。
三田 高校野球漫画って「みんなで頑張ろう」という話は書き尽くされている部分があるので、なにかしら作品の特徴というか、今までにないもの描きたいとは思っていました。あと、話を聞いていると意外とガーソみたいな監督って多いんですよね。
▼プロフィール
三田紀房(みた・のりふさ)
1958年生まれ、岩手県北上市出身。明治大学政治経済学部卒業。代表作に『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』など。『ドラゴン桜』で2005年第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、「モーニング」「Dモーニング」(http://app.morningmanga.jp/)にて “投資” をテーマにした学園漫画『インベスターZ』を連載中。
三田紀房公式サイト mitanorifusa.com
公式ツイッター @mita_norifusa