【インタビュー】丸若裕俊 茶碗に〈宇宙〉をインストールする(後編) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.09.07
  • 丸若裕俊,宇野常寛

【インタビュー】丸若裕俊 茶碗に〈宇宙〉をインストールする(後編)

日本の伝統文化の再発見やエコロジーというテーマは、消費社会へのアンチテーゼとしてのライフスタイルの象徴となりつつが、実のところそれらは看板を変えた消費主義の一部に過ぎないという問題を抱えています。株式会社丸若屋の代表、丸若裕俊さんは日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしています。彼の独自性のある仕事はどのような発想から生まれるのでしょうか? 編集長の宇野がお話を伺いました。(構成:高橋ミレイ)
※この記事の前編はこちら

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1990年代をアップデートするツールはお茶かもしれない

宇野 要するに、20世紀末の都市というのは、たとえばこの渋谷もそうなのだけど文化左翼的な「消費社会はダイナミズムを生まずに、与えられたものを消費するだけ」という世界観をどう結果で破壊していくか、という勝負をしていたと思うんですよね。資本主義のいい意味でも暴走の結果として、誰も制御できない状況が生まれて、最適化するのではなくアナーキーなものが生まれていった。それは大資本の暴走としても生まれていったし、そんな環境下に暮らす都市生活者のコミュニティからもトップダウンではなくボトムアップでいろいろなものが生成されていく時代だったと思うんですよね。ボトムアップの生成については、今日の情報社会のほうがより活発になっているはずで、実際に数は増えているのだと思うけど、なんというか「地元のコミュニティで小さくハートフルなものづくりをしています」的な小さな「いい話」ばかりでつまらないもののほうが多いわけですよね。まあ、仕方ないことなのだけど、もう少し別の攻め方があっていいんじゃないかとも思うわけです。

丸若 多分あの時代って大人とか社会を小馬鹿にしていたと思うんですよ。だけど今は小馬鹿にしないのが普通です。90年代に生まれたカルチャーは相手をすごく観察した上で揚げ足取るのがかっこいいって文化が成熟していた時代だった。今は揚げ足取ることは情報が得られる分、安易になっています。しかも揚げ足どころではなく、本当にその人を抹消する可能性があるくらいになってしまった。90年代は人間同士の距離感がもう少し楽しかったと思いますね。だから僕が作っているものって、ちょっと小馬鹿にしているというかギャグなんですよ。見ている人が「何これ?」って言ってちょっとハッピーになるものがいいと思っている。あとは子どもに影響を与えられるもの。昔の車って小さい子どもが「これ乗りたい!」って思える車だったじゃないですか? 今のってあまりにも大人が作りこんだせいで子どもが見てもなんとも思わない。

宇野 単純に燃費とかのロジックによって全部角が丸い体型になってしまいましたよね。

丸若 数値化できすぎてしまった。僕はお茶を新たな取り組みとしました。その一連の中で渋谷の宇田川町で幻幻庵というお茶屋さんをやっていて、そこにはガチャガチャがあるんですけど、その中にはひとつずつティーバッグが入っているんです。ティーバッグはすごい気合いを入れて作ったやつなんですね。近くに小学校があるんです。そこの子どもたちがバーッと走ってきて、これを使って楽しんでくれた。「これやった?」「やったよ。水出し出たよ」「え、マジで?」「ほうじ茶超うまいよ」。そういう会話がここで繰り広げられた。そのとき超感動した。

宇野 それ、めっちゃいい話ですね。

丸若 多分先生に見つかったら怒られると思う(笑)。だけどそれを超えてガチャガチャをしてくれた。しかもそれがお茶で、飲んでくれた。アンコントロールの中で彼らはハードルを越えて来てくれたわけじゃないですか。そういうのが昔はあったじゃないですか?

宇野 あった(笑)。

丸若 小学校の帰りに小銭掴んで、駄菓子屋行って、「何買う?」みたいなものがあった。ああいう土着的なものが懐かしい。お茶って茶道とかそういうハイカルチャーのトップまで行ったもので、美意識の塊です。僕がメインで取り組んでいる「緑茶」は、茶道を千利休がやってから100年くらい経って煎茶道ってものが生まれたのが広がる始まりです。初期に煎茶を提唱したのが売茶翁っていう禅僧だったんですよ。彼はお茶の道も禅の道も愛していたけれど、時代にむかついてしまって、全部否定して本質的に禅がやりたかったこと、お茶とはどういうものかってことを説くことを当時文化の中心京都のど真ん中の道端でやりだした。言っていることは本質を突いていて、お茶もうまい。だからその当時1600年代の京都では超受けていた。その売茶翁が死んだ場所と伝えられているのが幻幻庵っていう名前だったので、お店の名前はそこからもらいました。21世紀に幻幻庵が続いていたらどういう感じなのかっていうのが裏テーマなんです。ちなみに売茶翁と仲がよかったのが伊藤若冲です。昔の日本人は五感がすごく鋭敏だったんですね。だから五感をつなげるためにお茶を使いたかったんです。お茶を飲んだあとに映画を見ると世界が違う。

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