山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法 第3回 敢えて自分自身で『薄暮』を分析してみる-『薄暮』 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.12.04
  • 山本寛

山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法 第3回 敢えて自分自身で『薄暮』を分析してみる-『薄暮』

アニメーション監督の山本寛さんによる、さまざまな作品の分析を通じてアニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第三回。今回取り上げるのは、なんと今年公開の山本監督の自作『薄暮』! 震災復興をテーマとする「東北三部作」でありつつ、着想としては「処女作」でもあるという本作では、いかなる表現が試みられたのか。絵コンテの自己解説など、自身の手法と衝動を容赦なく俎上に載せる、ファン必読の貴重な機会です。

今回は敢えて拙作『薄暮』(2019)を、自分の手で分析しようと試みる。
自分の作品を分析することなど滅多にないし、野暮にも見えるかも知れないが、こういう連載をしているとうっかり他人事のように批評家視点で論じてしまうため、今回は戒めとして、敢えてあまり表に出したくない、自分の恥ずかしい部分も含めて説明しようと考えているので、今後皆さんがアニメを考え、論じる上で何か新しいきっかけになれば幸いである。

まずこの作品の着想は、筆者の大学時代にまで遡る。
京都の田園地帯を何人かでドライブしていた時、あるバス停が目に飛び込んできた。
即座に、
「ああ、このバス停に少女が立っていたら、絵になるだろうな」
と、具体的なイメージまで浮かんできた。
時間はちょうど薄暮だった。

そのイメージがたちまち膨らみ、薄暮のバス停でヴァイオリンを弾く少女と絵を描く少年が出会う、というところまで、既に考え付いていたようだ。
最近になって当時の草稿が見つかった。

その後京都アニメ時代に企画書を提出し、独立してからも二度企画している。
三度目は通りかけたのだが、直前で頓挫した。
本作は「四度目の正直」なのだ。

しかし学生時代の着想がベースとなっているので、シンプルと言えば聞こえはいいが、若書きの青臭さや物足りなさは正直残っていた。
このままでは作品として出す訳にいかない。

そこで、かねてより宣言していた「東北三部作」を思い出した。
既に復興支援を大命題に岩手県が舞台の『blossom』(2012 )、宮城県が舞台の『Wake Up, Girls!』(2014~2015)を世に出していたのだが、残る一作ができていなかった。

そうか、よし、じゃあ残る福島を舞台にしよう。
ほとんど直感ではあったが、『薄暮』は舞台を関西から福島へと移すことで、自分の中でやっと腑に落ちた。

原発事故という難しい問題を抱え、被災地の中でも特に事情が複雑な福島。
そこにあてがうストーリーは、逆にシンプルでいいのではないだろうか。
今、福島には美しい情景があり、何でもない日常があり、そして恋がある。
そして世界中のどこで見ても心に染み入る「薄暮」がある。
それを訴えるには、温めてきたこの草案で十分じゃないだろうか?
そう確信した。

『薄暮』は「東北三部作」を標榜する以前に、自分の言わば「処女作」を実現するために、東北をお借りしたような形となった。
だから復興支援以前に、こちらから感謝する他ない。

早速だが、画像と共に分析してみよう。
画像は筆者直筆の絵コンテの絵を用いる。

ナレーション(モノローグ)について

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©Yutaka Yamamoto/Project Twilight

今作では主人公・小山佐智のナレーション(モノローグ)を多用した。
これは自分の仕事では初めてではなく、実写『私の優しくない先輩』(2010)で使用したのを覚えていた。
更には『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)まで遡る。

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