スポーツを「文化」として捉えるために必要な3つの概念|中野慧 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2020.12.03

スポーツを「文化」として捉えるために必要な3つの概念|中野慧

本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第2回です。
かつて「国民の娯楽」であった野球の人気低下が懸念されていますが、一方で、プロ野球や高校野球の動員数は増加傾向にあります。
では、人気低下といわれる理由と、その原因はどこにあるのでしょうか。「する」「みる」「ささえる」という3つのスポーツ概念から考察します。

中野慧 文化系のための野球入門
第2回 スポーツを「文化」として捉えるために必要な3つの概念

「野球人気低下」の諸相

前回、この連載を再開することになった動機について記していくなかで、「野球の人気が低下している」ということが近年のスポーツジャーナリズムで問題になっていることに触れました。
しかし一口に「野球人気の低下」といっても、様々なレイヤーがあります。たとえばプロ野球の観客動員数は、2005年になって実数が発表されるようになって以降、過去最多を更新し続けています。甲子園球場で行われる高校野球の全国大会に関しても、過去最高の動員数を記録したのは一昨年2018年でした。つまり野球は、リアルの球場に足を運んで観戦する「ライブエンターテイメント」としての人気が近年、非常に高まっているといえます。

その一方で、様々なスポーツジャーナリストから指摘されているのは、「子どもの野球人口が減少している」ということです。高校野球の部員数は、それまでずっと増加していましたが、史上最高だった2014年を最後に減少に転じました。さらには、足元の中学野球、小学生の野球人口はもっと減ってきています。少子化の影響を考慮したとしても、それを上回るペースで急速に、子どもの野球人口がシュリンクしているのです。
こういった状況を受けて、近年は様々な論者から「野球改革案」が出されるようになりました。代表的なものとして、広尾晃『野球崩壊』(イースト・プレス、2016年)、氏原秀明『甲子園という病』(新潮新書、2018年)、中島大輔『野球消滅』(新潮新書、2019年)などが挙げられます。タイトルに、強い危機感が表明されていることが、これらの著作の共通点といえます。
これらの著作では丹念な取材をもとに、野球の人気低下を食い止めるための方策が論じられています。しかしそれがゆえにどうしても、たとえば私のような「熱心なスポーツジャーナリズム読者」にしか読まれないものに留まってしまっているようです。
それはなぜかというと、これまでのスポーツジャーナリズムが「みる」のみに偏重してきたからではないかと私は考えています。

スポーツ文化を考えるために必要な3つの概念

そして結論から言ってしまえば、スポーツというものを、①する(Do)スポーツ、②みる(Watch)スポーツ、③ささえる(Support)スポーツ、の3つの概念で切り分けて考えることが、我々がスポーツを「文化」として豊かに享受するために必要なことになってきます。
なお、スポーツの「する、みる、ささえる」の三側面の重視というのは、文部科学省の出している指針「スポーツ立国戦略」にも出てくる表現です。政府がこのような指針を出した背景には、東京五輪をきっかけにスポーツの励行による国民の健康増進や、スポーツを通じたコミュニティの育成を図ろうという思惑があるのでしょう。
「する」「みる」「ささえる」という3つのスポーツ概念を野球に置き換えると、①の「する」は、プロ野球選手、高校・大学・実業団などの野球選手、週末に市民グラウンドでプレイするいわゆる「草野球」やクラブチームのプレイヤー、そして小学校・中学校段階で地域の野球チームでプレイする子どもたちのことを指しています。
そして②の「みる」は、プロ野球や高校野球、MLB、その他のカテゴリーの野球を球場やテレビ・インターネットなどで観戦する観客たちのことです。
一番なじみが薄いのは、③の「ささえる」ではないでしょうか。これは、さきほど挙げた文部科学省の「スポーツ立国戦略」のなかでは、おもに「指導者」「スポーツボランティア」のこととされています。①②以外のスポーツへの関わり方として、この③「ささえる」というあり方は注目に値します。
たとえば高校野球を例にして考えると、①②ではない関わり方として、試合出場や練習は行わないけれども野球部の活動を支えるマネージャー、保護者、顧問の先生、監督やコーチ、OB・OGなどの存在が考えられます。また、部活動全体をバックアップする存在として、学校全体や、各都道府県の高校野球連盟の職員、審判員なども、「ささえる」主体のひとつとして数えられるでしょう。さらには、吹奏楽やチアリーダーなど、他部の生徒でよりコミットメントの度合いの高い人達も、「ささえる」に当たると言えそうです。
プロスポーツでは、サッカーでとりわけ顕著ですが文字通り「サポーター」という言葉があります。これは観客として入場料やグッズ、ファンクラブなどを通じて資金支援をするだけではなく、チームの理念や歴史などを知り、よいチームにしていくためのより主体的なファン活動をする人々のことです。こうしたサポーターたちはときにチームの在り方への批判を、スタジアムの現場や、ブログやSNSを活用して行っています。
また近年では4番目として「知る」という要素も加えられるようになりました。スポーツやゲームの成り立ち、歴史、文化を知り、またスポーツをよりよく行うためのスポーツ科学やコーチング、スポーツマネジメントなどにも、注目が集まりつつあります。[1]

翻って「野球の人気低下」とはなにか

野球を含む日本のスポーツジャーナリズムは、長年「みる」に偏重してきました。戦後すぐに生まれた文化である「スポーツ新聞」には、「するスポーツ」の記事はいまだにほとんどありません。また、日本におけるスポーツ誌の代表格である「Sports Graphic Number」(文藝春秋)も、誌面の内容の大半が「みるスポーツ」です。

そう──本連載では、旧来の野球の語りが、「みる」に偏重してきたことを問題として考えています。
近年ようやく、ランニングや筋トレなど主に心身の健康に着目した「ライフスタイルスポーツ」が注目されるようになり、「Tarzan」(マガジンハウス)や「Number Do」(文藝春秋)など、「するスポーツ」を扱うメディアにも、以前よりも注目が集まるようになっています。
そしてスポーツジャーナリズムの世界でも、これまでの「みるスポーツ」への偏重に対する潜在的な危機感から、たとえばプレイヤーズ・ファースト(アスリート・ファースト)という概念が盛んに取り上げられるようになってきました。たしかに、「みる」だけでなく「する」への注目はたしかに高まってはきてはいます。しかし、三番目の「ささえる」に対する関心は依然としてまだまだ低いままです。

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