「幸福」を再定義するための覚書(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第10回) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2016.03.08
  • 石川善樹

「幸福」を再定義するための覚書(石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第10回)

本日は予防医学研究者・石川善樹さんの連載『〈思想〉としての予防医学』の最終回です。最終回のテーマは、やはり「幸福論」です。新しい学問を生み出したいと語る石川善樹氏の考える、新しい時代の「幸福」とは、一体どんなものなのでしょうか。


今回で、この連載は最終回となります。
ここまでの連載で、私は21世紀の医学としての「予防医学」の話をしてきましたが、最後となる今回は私自身が予防医学に懸けている夢を語るところから始めたいと思います。

私は、新しい「学問」を作りたいと思っています。

学問を生み出すときには三通りのやり方があります。一つは既存の学問に少しずつ「微修正」を加えていくようなやり方で、とてもオーソドックスなものです。
もう一つは、「再構成」とでもいうべき手法で、複数の学問分野をくっつけて新しいジャンルを作る方法です。最近、量子論と生物学を組み合わせた量子生物学という学問の本を読んで大変に刺激を受けましたが、これなどはその典型だと思います。他にも近年、コンピュータサイエンスとソーシャルサイエンスを組み合わせたり、脳神経科学と経済学をくっつけたり、という学問が登場してきました。「境界領域」と言われるような学問ジャンルに、まさにこのタイプのものが多いといえるでしょう。

しかし、この二つのような既存のジャンルの組み合わせではない学問の生み出し方もあります。それが三つ目の「再定義」とでも言うべき手法です。例えば、クロード・シャノンは情報理論を生み出すにあたって、「情報とは何か?」を再定義しました。そんな抽象的なことに対して、「これは間違いないだろう」と思える原理原則から一歩ずつ歩みを進め、最終的には「情報量というものはこの数式以外では表現できない」といえるものを産み出して自分の学問を練ったのです。
無論、そんな学者は学問の歴史に数えるほどしかいないのですが、私なりに少々よこしまな考えを言ってしまうと、自分もそのような物事の「再定義」をする人間の一人になりたいものだと思っています。

では、私は何を再定義したいのか? ――それは、やはり「幸福」について、です。

第三回で私は、現代の幸福を考える際に従来の「幸せ/不幸せ」の一元的な「幸福」ではない、5つの指標の組み合わせで表現される「幸福」として、「Well being」という概念が登場しているという話を少しだけしました。

予防医学が考える「幸福論」(予防医学研究者・石川善樹『〈思想〉としての予防医学』第3回)

このWell beingを構想したのは、ポジティブ心理学の開祖として有名な、ペンシルバニア大学のセリグマン教授です。

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▲マーティン・セリグマン  (著), 宇野カオリ (監修, 翻訳)『ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から“持続的幸福”へ』ディスカヴァー・トゥエンティワン

彼は元々はうつ病や無力感を研究していたのですが、あるときにポジティブな心理についての研究をするようになりました。そうして彼が見つけたのが、まずは「Pleasure」「Meaning」「Flow」の3つの指標でした。「Pleasure」は「快楽」、「Meaning」は「意味」、「Flow」は行為に対する「没頭」で、最後の「Flow=没頭」がもっとも幸せ度が強い瞬間であると言われています。
ただ、その後の彼はこの3つからさらに拡張して、指標を5つに増やしました。具体的には、「Pleasure」を「Positive Emotion(肯定的な感情)」へと呼び方を変えて、さらに「達成」と「人間関係」を付け加えました。現在の彼はこの5つのバランスをとるのが「Well Being」であると考えているそうです。

セリグマンは、この5つの中で「人間関係」だけは他の4つの基礎であり欠かせないと言うのですが、残りの4つに関しては「自分にしっくり来るものを大事にすればいい」とも言っています。私はこの「Well Being」の考え方を聞いたときに、とても納得した覚えがあります。どれか一つを最大化させるよりも、自分がどういうバランスで各々の要素が配分されていれば心地よいのかが大事なのだというわけです。
実際、調査をしてみると、日本人は「意味」を大事にするひとが多いのですが、米国人は「没頭」を大事にする人が多くなります。おそらく、アメリカ人に幼少期から「個室」の文化があることの影響ではないかと思います。
また、年代によっても、各要素の重要性が変わっていく傾向があるように見えます。若いうちは「快楽」を大事にする人が多いですが、30代のあたりになると、多くの人が刹那的な感情の「快楽」よりも「意味」を大事にするようになります。そして老年期に入ると、人生の「意味」を考えるよりはむしろ「没頭」できる趣味を持つことこそが幸せにつながります。
この年代ごとの切り替えというのはとても難しいもので、どうも私には10年ほどの移行期が各々であるように見えます。しかも、現代では「快楽」から「意味」への移行がとても厄介です。これまでは会社や国家が若者に目標を与えることで、「意味」を授けることができました。しかし、現在は各々が自ら「意味」を見つけていかざるを得ません。この作業をいかにスムーズに行えるようになるかは、まさに今後の「幸福」を考える上で大事な課題です。

■ 幸せの再定義がなぜ必要になるか

その一方で、私は現在の「幸せ」という概念の根底を、しっかりと考え直したいとも思っています。

例えば、経済学の前提には「幸福は直接に測定は出来ないが、人間はそれをマキシマイズするように行動するはずだ」という考え方があります。人々の消費行動を追いかけることで最適化できるように、市場を作ろうという考え方は、まさにここに由来していると思います。
しかし、こういう「幸福」についての考え方は、私には現代の都市文化成立以前の発想であるように思えるのです。昔のように、定期的に開かれるバザールをぐるりと回って購買するような状況では、確かに人間が合理的に自分の行動を最適化していくのは難しくありません。しかし、現代はモノやサービスが溢れかえる時代です。到底、しっかりと見比べることなど出来ません。さらに、現代ではグローバルな取引がネットで瞬時に行われるようになりました。こうなると、もはや当時の状況とは前提がだいぶ違うのだと言わざるを得ません。

そう考えると、やはり現代の都市での生活を強く前提に置いた形での「幸せ」や「豊かさ」の再定義が求められます。
学問というのは、実はその時代時代で人々が求めるものの中で発達するものです。その意味で、世界はすでに人口の半分以上が都市に住むようになっています。そのような時代に、「都市」をベースに考える学問が大きな価値を持っていく可能性は高いはずです。
しかも、その都市部に住んでいる人が100年くらい生きるようになっていくわけです。そんな昔の人から見れば「奇跡」としか言いようのない状況で、私たちは上手いロールモデルを見つけられていません。
でも、それを見つけて、多くの人が知るだけでも、色々な人が変わっていく気がしています。
かつて「Health」という言葉が日本に入ってきたとき、福沢諭吉はそれに「精神」という訳語を当てました。以前にも話したように『養生訓』が、健康の定番の一冊としてありがたがられる国ですから、その影響もあったはずです。
しかし、こと長寿を目指すとなると、「精神」のありようこそが大きく影響をおよぼすのも事実です。これは冗談に聞こえるかもしれませんが、100歳を超えて生きる日本人が増えたのは、きんさん・ぎんさんがテレビで話題になって、一種のロールモデルを提供したから、という面もあるのではないかと私は思っています。それほどに生き方のモデルを知ることは、精神にとって甚大な影響を与えることなのです。
そう思うと、「幸福」「豊かさ」「よい生き方」などをこの時代に真剣に再定義していくのは、とてもワクワクする課題ではないでしょうか。

その意味で一つ重要になるのは、セリグマンがすべてのWell beingの根底にあるとした「人間関係」の、インターネットによる変化です。これもまた、現代の都市文化同様の、とても大きな変化であると思います。
実はこの話題、私自身が『友だちの数で寿命は決まる』という本や講演で、いかに「つながり」が人間の健康に影響を及ぼすかを語ってきたこともあり、とても多くの人から聞かれます。そこで私自身も一度しっかりと調べてみたのですが、その結果は――大変に驚くべきものでした。

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