【新連載】山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法 第1回 あなたは高畑勲を理解できているのか?-『かぐや姫の物語』 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.10.08
  • 山本寛

【新連載】山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法 第1回 あなたは高畑勲を理解できているのか?-『かぐや姫の物語』

アニメーション監督として再始動した山本寛さんによる、待望の新連載です。いま大きな混迷の時を迎えている日本アニメをめぐる状況に抗して、ほんとうに「アニメを理解する/愛する」とはどういうことなのか?
現在、新作PVのクラウドファンディングも始動中で、常に愚直な実作と忌憚ない発言を通じてファンと業界にメッセージを発し続けてきたヤマカン。その新たな問いかけは、巨匠・高畑勲の再評価から始まります。

『かぐや姫の物語』(2013)の若きプロデューサー・西村義明は、もはや円熟の境地に達した高畑勲に、こう尋ねた。
「なぜ、今『かぐや姫』をやるんですか?」
高畑は途端に激昂して、
「あなた、『かぐや姫』を知ってますか? じゃあ私の質問に答えなさい。かぐや姫はどうしてこの地球を選んだのか? そして、どうして去らねばならなかったのか?」
更にこうまくしたてた。
「原作では、かぐや姫は月で罪を犯して、その罰として地球に降ろされた。じゃあ、その彼女の罪とは、罰とは一体何なのか、答えられますか?」
一気に高畑はこう締めくくった。
「この三つの疑問に答えること、これが私の仕事です。それができれば、この今の日本で作るに値する映画ができるはずです」
(『高畑勲、かぐや姫の物語の物語をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』より。一部意訳)

連載第一回目から実に不親切な始まりだが、僕はこの連載を通じて、アニメを「解りやすく」、皆さんに「啓蒙」するつもりなど毛頭ない。
そもそもアニメが「解りやすい」と思い込んでいるのが、今を生きる僕たちの「罪」だ。
それを僕なりに、「現場」の視点で、どんどん暴いて、皆さんの度肝を抜いていこうという魂胆だ。
「あなたに、果たしてアニメが解るのか?」

そう、僕はこの連載を依頼された時から、こう問いかけることを決意した。
「あなたは、本当にアニメを理解しているのか?」
そして同時に、皆さんの預かり知らぬところで、そのようなアニメの深奥にある「意志」が、僕自身の20数年間の仕事にどんな影響を与えたか、そして追従であろうが反抗であろうが、僕がそれらにどう反応してきたか、をどんどん書き連ねていきたいと思う。

「あなたに、果たしてアニメが解るのか?」
それを僕の生まれる前から、最も自覚的に思惟し、そして表現し続けた作家、それこそが、今や「日本アニメーションの父」とまで持て囃される、高畑勲である。
まず最初に取り上げるのは彼だ。そう決めていた。

実は、僕にとって高畑勲ほど評価がコロコロ変わる監督はいない。
観る度に印象が変わるからだ。
時には真逆になることもある。
高畑作品の中では最もとっつきにくかった『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)さえも、TVでの追悼放映を観て、最後泣いてしまった。
今回取り上げる『かぐや姫』もそうだ。

それは亡くなった巨匠への哀惜からなのか?
いやいや、こちらもそんな弱いメンタルではない。

ちなみに『かぐや姫』は、その現代アニメーション作品としては斬新な技術で歴史を変えたとばかり言われているが、これには異を唱えたい。
まぁ短編ではあるが、僕がその一年以上前、『blossom』という作品で、『かぐや姫』の技法を先取りしていたからだ。
まぁ偶然だが。

せっかくだから宣伝のためにURLを貼っておく。
まぁどちらが先かは置いておいて、だから技術的にこの作品を「完璧だ!」とまでは、正直言えない。
同じ手法を使って創作した者同士、ちょっと言いたいこともある。

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