『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第3回 のび太系男子の闇・中編 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

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  • 2015.10.21
  • ドラえもん,稲田豊史

『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第3回 のび太系男子の闇・中編

本日は大好評の稲田豊史さんによるドラえもん論『ドラがたり』の第3回をお届けします! 今回は前回に続いての「のび太系男子の闇」の中編です。「のび太」というキャラクターの本質をディープに解き明かし、現在の30〜40代の「のび太系男子」に与えた影響を考察します。


 

前回(第2回)の結びでは、90年代中盤以降に発生した「のび太再評価」ムーブメントの影響によって、「のび太のように生きてもいいんだ」というマインドを持つ「のび太系男子」が生まれたことを述べた。
のび太系男子を主に構成するのは、30〜40代の“勝ち組になれなかった”男性たちだ。世代区分で言えば団塊ジュニアからポスト団塊ジュニア。日本の人口ボリュームゾーンである。学生時代は受験戦争と超偏差値社会に、就職してからは超格差・実力社会に投じられたが、一握りの勝ち組以外は辛酸を嘗めまくった世代だ。
四大を出ても貧困とは縁が切れない。新卒の就職活動は激戦を極め、やっと会社に入ったものの、歳を重ねて何かと物入りになってきたゼロ年代後半に入ると、今度は不景気で給料が上がらない。結婚は遠く、仮に結婚できたとしても、親世代のような「シングルインカム+専業主婦+子供ふたり+持ち家」なんぞ夢のまた夢。馬車馬のように働いても都内にマンションひとつ、車一台満足に買えない。ファストファッションとファストフードが命綱。団塊世代である親たちの裕福さには一生手が届かないと臍を噛む。
彼らのアイデンティティを染めているのが、自分たちは割りを食った世代だという被害者意識だ。その鬱屈はおおむね富裕層や政治権力に向けられ、「社会正義」の旗印をエクスキューズに私怨を爆発させるのが常套。押し寄せる劣等感と吐き出すルサンチマンの出納業務で、毎日が忙殺されている。

のび太系男子の特徴は、彼らの上下世代との比較で、より一層明確になる。
たとえば、のび太系男子の下の世代である20代の「さとり世代」。彼らは厳しい現実を“悟って”っているので、はなから自分の人生について過剰な期待を抱かない。「好景気」を肌で感じたことが一度もないため、「成り上がり」「一攫千金」といった経済的な成功を夢見たりもしない。他人を蹴落として序列を駆け上るよりは、出る杭として打たれないよう注意深く空気を読み、悪目立ちを避けようとする。そもそも、競争というものに参加する意義を感じていないのだ。
いっぽう、のび太系男子は競争に強制参加させられた上に負けが続き、ほとほと嫌気が差し尽くしてしまった。0点が続いてすべてにやる気をなくしたのび太の如し。ゆえに一部の勝ち組を除き、ヒエラルキー内での序列争いには極端なアレルギー反応を示す。集団内におけるハングリーな向上心にも欠ける傾向にある。
のび太系男子の上の世代であるバブル世代(40代後半〜アラフィフ)は、バブル景気(80年代末〜90年代初頭)を背景として、働けば働くほど、欲望を剥き出しにすればするほど、経済的な「結果」を手にできた最後の世代だ。彼らはヒエラルキー内での序列争いに耐性がついている。「頑張れば、上に行ける」ことが身近で実証されているからだ。
しかし、のび太系男子は先輩たちが享受したバブル世代の華やかさを目にしながらも、自分たちが会社のメインプレーヤーになった時には、時既に遅く、その恩恵には預かれなかった。同期がやたら多いため無意味に増加した「名ばかり管理職」に任命されたはいいが、給料は特に変わらず責任だけが増大。被害者意識がむくむく膨れ上がったのも無理もない。

それゆえ、のび太系男子は社会で戦うのをやめ、精神的な隠居に入った。マイペースで快適な個人であることに絶対善を置き、いい年こいてノスタルジックなサブカル趣味にすがりつく。のび太同様、“いま、この瞬間を楽に生きる”を信条としているのだ。ゼロ年代初頭に流行した「スローライフ」や、現在の「サードウェーブ男子」的なまったり感も嫌いじゃない。実際、上記2ムーブメントを主に担っているのは団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアである。
また、のび太系男子はリスクをとってチャンスをものにするトライアルスピリットに欠ける。危ない橋は渡りたくないし、できれば社会的責任も負いたくない。婚期は遅れがち、もしくは結婚願望も総じて低めだが、結婚ほど「リスク」と「責任」の産物はないので、当然である。
自分の弱さを素直にさらけ出すことに、他世代ほど躊躇がないのものび太系男子の特徴だ。彼らは自己をさらけ出すことが「誠実」だと思っている。そのため、女性にはあからさまに母性を求め、本能に基づいて甘える。
そう、のび太系男子は、いい大人のくせにみっともない。しかし、それこそが彼にとっての「誠実」だ。前回(第2回で紹介した痛エピソード――お姉さん型いたわりロボットの膝に顔をうずめるのび太(ドラえもんプラス5巻)――が思い出されよう。
さらに、のび太系男子は「普段はダメでも、いざというときには“持ち前の誠実さ”を発揮すれば、大丈夫」と自分に言い聞かせている。大長編で突然ヒーロー化するのび太の気分だ。彼らからすれば、普段のうだつの上がらない状態は「俺はまだ本気出してないだけ」なのである。

● 藤子・F・不二雄による「業の肯定」

前回(第2回)で明らかになったように、のび太は、作中で一時的にしっぺ返しを食らったり痛い目に遭ったりはしても、人格の根本的な欠陥(盗み見、結婚相手以外の女性に唾をつける、自分よりダメな人間への優位性に浸る等)については、決定的なおとがめを受けない。次回も、そのまた次回も、同じようにクソ人間ぶりを披露しているからだ。
無論、『ドラえもん』は変わらない日常を描く児童向けの短編マンガゆえ、キャラクターが成長しないのは当然ともいえる。が、それにしてものび太という男、児童向けマンガに登場する準主人公(見方によっては主人公)にしては、人としてのNG度が高すぎやしないだろうか。
藤子・F・不二雄は生前、「のび太は僕自身です」と語っている。Fはいじめられっ子で勉強や運動が苦手で怠け者だった自身の少年時代を、のび太に投影しているのだ。
ここで、ひとつの推測を試みたい。藤子・F・不二雄は、のび太の、そしてのび太に投影した自身の「成長しない欠陥人格」を、底の底では「それもまた善し」としてはいなかったか。そのヒントとなりそうなエピソードが、てんコミ16巻収録の「パパもあまえんぼ」だ。以下が大意である。

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