『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ|徳田四
『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』の達成 アイドルの成熟から大ガールズバンド時代へ|徳田四
『ぼっち・ざ・ろっく!』『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』『ガールズバンドクライ』――2022年から毎年立て続けにヒットしている「ガールズバンド」アニメが、アニメ業界を震撼させている。2010年代以降のアイドルブームからの大転換、かつての『けいおん!』(2009)をはじめとする〈日常系〉の再解釈、「百合もの」の勃興、ロックンロール神話の再興、声優陣によるリアルライブと「2.5次元」、アニソンのグローバル化、3DCGアニメーションの現在地……ざっと思いつく限りでもこれだけの論点が提示される。いま「ガールズバンド」をどう語るべきか。アニメ視聴者にとっての最優先事項である。
表面的には「音楽アニメ」の主流が「アイドルもの」から「ガールズバンドもの」に転換しつつあると受け取れる。そして一般的には『ぼっち・ざ・ろっく!』が最大のヒット作とされているが、しかし実は『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!(It’s MyGO!!!!!)』こそがいかに革新的なのかを示すことが、この転換のメカニズムを明らかにするだろう。
『ぼっち・ざ・ろっく!』のヒットでもたらされたことは、『けいおん!』の再評価、すなわち〈日常系〉作品と、声優による生演奏ライブのポテンシャルを再解釈する機運である。この二つの遺伝子は現在どのように継承されているのか。まずは2010年代のアイドルアニメについて、〈日常系〉との比較から簡単に振り返ろう。
『けいおん!』から『ラブライブ!』へ
2010年代のアイドルアニメを象徴する『ラブライブ!』(2013)と『けいおん!』の共通点は、多くの論者が指摘してきた[1]。〈日常系〉の最高傑作の一つである『けいおん!』は、このジャンルの諸作品が描く「いまこの瞬間のゆるいつながり」の肯定性をロックミュージックに乗せて描き、音楽アニメのあり方、音楽シーンにおけるアニメ声優の扱いを一変させた。評論家の宇野常寛は、実写青春映画『リンダ リンダ リンダ』(2005)との共通性を見出しながら同作を評して「ロックの意味を書き換えた」と論じたほどである[2]。敵を見失った「反権威の象徴」から端的な「〈日常〉の肯定」へ。放課後ティータイムによってロックミュージックは更新されたのだ。
その後2010年代になるとAKBグループやももいろクローバーZが牽引した「ライブアイドルブーム」と合流し、音楽アニメもアイドルを題材にした作品が頻出するようになる。象徴的な作品が『ラブライブ!』で、『けいおん!』とのスタッフの共通性(脚本家の花田十輝)などから両作は度々比較されてきた。特に「軽音部」「スクールアイドル」といった「部活もの」の設定は「日常」「青春」の刹那性を表現するのに相性がよく、さらにアイドルライブにおけるパフォーマーとオーディエンスの一体感を高める演出[3]や、(主に10代の)アイドルが持つ「キャリア形成の不可逆性」が刹那性を高めるうえで相乗効果をもたらし、アイドルこそが「いまこの瞬間の日常」の肯定性を歌い上げるのに極めて適していた。転じて2010年代の、特に前半期においては「復興」「町おこし」のアイコンとしてアイドルが機能することもあった。
「いまこの瞬間」の肯定機能としてのアイドル像は、たとえば『ラブライブ!』作中で結成されるアイドルグループ、μ’sの楽曲のリリックにも反映されている。
〈日常系〉作品は時に〈空気系〉と呼ばれることもあり両者はほぼ同義として扱われているが、アイドルによる〈日常〉の肯定は、いわば「熱気」あふれるものとして一時代を築いたのである。
ところがSNS社会の進行とともに、アイドル産業が抱える構造的問題がやがて指摘されるようになる。たとえば香月孝史が指摘するように、アイドルの(ファンサービスとして事実上不可欠な)「プライベートの投稿」すらもコンテンツとして消費される状況は、労働上の問題があると認識されるようになっていった。香月はこの構造を「日常化するドキュメンタリー」として批判的に分析している[4]。まさに「日常」に潜む問題として、アイドルが「日常」のことを自己言及的に発信すれば、むしろその「日常」は崩壊する(「労働」として回収される)という矛盾を抱えるのである。
「アイドルによってこそ〈日常〉は肯定し得る」ということと「アイドルがアイドルであろうとし続ける限り、アイドル自身の日常は失われてしまう」という二つの言説が両立してしまうジレンマが生じたのだ。
この(もはやアイドルに限らなくなってきた)問題を「アイドルの立場」から端的に告発した作品として、乃木坂46一期生・高山一実原作によるアニメ映画『トラペジウム』(2024)がある。アイドルを夢見る女子高生の東ゆうは「日常化するドキュメンタリー」の問題に極めて自覚的で、あくまでも「演出」としてボランティア活動に参加しその様子をSNSに投稿するなどして、彼女が「アイドルとして好ましい」日常を過ごすさまが露悪的に描かれる。
しかしこの問題の「深刻さ」について本編の分量の大半が割かれる一方で、「解決」について何かを提示する試みはほとんど放棄しており、終盤は一度アイドル活動に挫折した東の再起とアイドルとしてのある程度の成功が、半ばダイジェストのような形であっさりと描かれて物語は幕を閉じる[5]。こうした脚本の展開自体が、「この問題についてはアイドル自身もファンも芸能プロダクション側も認知しているが、解決については誰も手をつけられないでいる」構造を暴露してしまっているかのようであり、ある意味でアイロニカルな悲劇として受け取れる。
『トラペジウム』がこの2020年代になって「アニメ」化したことは示唆的である。現実と同じようには「日常化するドキュメンタリー」が問題化されないアニメの世界においてもこの事態がメタ言及されるようになったことは、ジャンルとしての成熟(≒転換期)を象徴している。
それでは近年の「ガールズバンドもの」の代表作の一つ『It’s MyGO!!!!!』が、このようなアイドルを取り巻くメディア環境に対しての「カウンター」としてパンクロックを奏で、音楽アニメの新たな地平を切り開くとすれば? 本題に入ろう。
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