魔法の世紀を迎えるための助走 前編(落合陽一『魔法使いの研究室』) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.12.22
  • 落合陽一,魔法使いの研究室

魔法の世紀を迎えるための助走 前編(落合陽一『魔法使いの研究室』)

魔法使いの研究室バナー
今朝のメルマガは、メディアアーティスト・落合陽一さんの連載「魔法使いの研究室」です。12月2日にブックファースト新宿店で行われた特別講演「魔法の世紀を迎えるための助走」の前編をお届けします。書籍の内容を踏まえつつ最新の動向や知見を交えながら、来るべき「魔法の世紀」のビジョンと可能性について論じます。


 

こんにちは、落合陽一です。まずは自己紹介からさせてください。私は筑波大学の落合陽一研究室・デジタルネイチャーグループを主宰しながら、メディアアーティストとして活動しています。そのほかにも、ピクシーダストテクノロジーズという、超音波スピーカーやホログラムを開発している会社の社長業と、VRコンソーシアムという組織の理事もしています。最近では電通のISID(電通国際情報サービス)のイノラボにも所属していて、広告関連のイノベーション事業でも働いています。

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世の中には「リサーチ」「プロトタイプ」「マーケット」という3種類のモノづくりの場があります。だいたいの製品はこの3つの過程を経由して世の中に出ますが、このうちのリサーチを大学研究、プロトタイプをVRコンソーシアム、最後のマーケットを会社で行っています。そして、アーティストとしては、この3つの間の立ち位置で作品を作っています。
そんな人間ですので、『魔法の世紀』は、リサーチ・プロトタイプ・マーケットの3要素すべてが含まれた言説となっています。

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先日「ワールド・テクノロジー・アワード」という大きな賞をもらいました。青色発光ダイオードを作った中村修二さんに続く日本人の受賞ということで大変恐縮しています。過去にはインテルの創設者であるゴードン・ムーアさんやGoogle創業者の方々も受賞していますね。
今年の注目すべき受賞者は生物部門のジェニファーとエマニュエルです。彼女たちはCRISPER/Cas9というシステムに関わる技術技術を発明しました。これはDNAの特異的な部位を特定のDNAの鎖で置き換え発現させるというもので、私の予想では、彼女たちはいずれノーベル賞を受賞するでしょう。いまMIT(マサチューセッツ工科大学)でバイオが流行っているのは、このCRISPER/Cas9という因子のおかげだと僕は思っています。

■ コンピュータの発展と世界を変える2つの道

今年はデジタル計算機、つまり現在のコンピュータの基礎が誕生してから78年目となります。人間でいえば、後期高齢者にさしかかったところですね。
コンピュータの歴史は、クロード・シャノンが23歳のときに提出した「継電器及び開閉回路の記号的解析」という論文から始まります。

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これは、20世紀で最も重要な修士論文だと言われています。0と1の論理値からなるブール代数を電気回路のスイッチのオン/オフで計算すると、電圧で答えが返ってくる。この論文は史上初のデジタル計算機=コンピュータを生み出します。それまで人間に限られた知的活動だった「計算」を、機械が行う時代がやってきました。
最初期のコンピュータは、第二次世界大戦の暗号や弾道の計算に使われていましたが、1960年代になると職業的な用途――コンピュータグラフィックスの描画や、医療の診断、建築物の設計に使われ始めます。

1972年になると、アラン・ケイが「A Personal Computer for Children of All Ages」という論文を発表します。この論文は、コンピュータが子供でも扱えるメディア機器として普及する未来を予見したものでした。

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右側に写っているのは、当時アラン・ケイらが開発していた「Alto」です。現在のデスクトップパソコンの原型となったコンピュータですが、価格は3000万〜4000万円程度はするでしょう。これがいずれ子供のおもちゃになるというのは、相当に突飛な発想ですよね。しかし43年後の私たちは、それがiPadによって実現したことを知っています。このエピソードは「性能の指数関数的な伸びによって用途の幅が大きく振れる」というコンピュータの特徴を、よく表しています。
ちなみに、Appleの「Macintosh」は、この「Alto」を模倣して作られました。スティーブ・ジョブズが米ゼロックス社のパロアルト研究所に遊びに行った際、この画期的な機械が産業化されていないことに目を付け、そのままパクって自社で作ったのがAppleの最初のコンピュータ「Macintosh 128K」です。

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▲Apple Macintosh 128K(1984年)出典

1991年になると、マーク・ワイザーによってユビキタスコンピューティングの論文「The Computer for the 21st Century」が発表されます。
今まさに会場の皆さんが行っているような、スクリーンに投影された説明を聞きながらiPhoneでメモを取るようなコンピュータの用途は、1990年代に想定されたものです。

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当時は、この環境を実現するためには、コンピュータはユニットとして高度に無線化され、赤外線で相互に通信する必要があると考えられていましたが、現在、私たちの社会は、Wi-Fiを始めとする無線が都市のあらゆる場所に張り巡らされ、私たちは紙を使うようにコンピュータでメモを取れる社会に生きています。
この論文が書かれた1991年から、既に24年の月日が経ちました。マルチメディアテクノロジーによるビジュアルとオーディオのコミュニケーションは成熟の域に達しています。私たちは誰もがスマホを持ち、Wi-Fiにアクセスできる。もちろん先進国に限っての話ですが、先進国においては可能性はほぼ出尽くしているといえます。

これからの我々には取るべき2つの方向性あります、ひとつは今ある技術をさらに前進させていく道。もうひとつは、発展途上国にWi-Fiなどのインフラを拡張させていく道です。
今朝、Facebookの創業者マーク・ザッカーバーグは、全財産の99パーセントの株式を、世界の隅々までインフラを行き渡らせるために使うと発表しました。これは先進国で新技術を開発するよりも、途上国のインフラ拡充に投資した方が社会に貢献できるという考え方です。
しかし私は研究者です。50年後や100年後、世界のあらゆる場所にインフラが行き渡ったときに、何が起きるのか。一足先に成熟国家になっていく日本やアメリカでどういう問題が起きるのか。そういう興味から『魔法の世紀』は書かれました。

■ 人間の感覚器の上限を超えたアートを表現する
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私の研究テーマについてお話しましょう。今までマルチメディアは、人間の聴覚や視覚に対応した入力をしていました。例えば、人間の視覚は1秒間に60Hzの動きの変化を認識できます。ハイビジョンくらいの画質があれば、充分に美しい映像を網膜に投影できます。
聴力も同様で、人間に聞こえるのは最大で22kHzくらいまでなので、そこの間をいかに埋めていくかが、従来のマルチメディア装置には求められていましたが、これは人間の感覚器の制約に囚われた発想です。目に対応してディスプレイの書き換え周波数が、耳に対応してオーディオの使える周波数が決まっている現状に対して、いかに光と音のエネルギー出力を強化するか、いかに表示を高解像度化するか、そして、いかにホログラフィーを組み上げるか。これが私の研究テーマです。つまり今まで一次元的・二次元的だった音や光をどうやって三次元的に合成するのか、という関心です。

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▲Fairy Lights in Femtoseconds: with Artist Statement
https://www.youtube.com/watch?v=ML79u9zPZu4

これは強力な光源によって、光の粒で絵を描いたりモノを動かすという研究です。どちらも使っているのは光と音です。例えば、テレビから出ているエネルギーは全体でミリワット程度ですが、より強いエネルギーをそこに込めれば、空中に絵は描けるし物体も動く。使っているエネルギーソースは一緒でも、全く違う使い方があるのではないか、ということを今のマルチメディア時代に考えているのが、私の研究者としての立ち位置です。

アーティストとしての活動についても触れましょう。これまでの世界では、絵画や彫刻といった静的な表現が芸術の中心でしたが、私の活動は、メディアを機械制御したり、動く物体をコントロールしたりといった、電気・電信を使った芸術、いわゆる「メディアアート」です。

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▲ドン ペリニヨン P2-1998 エクスペリエンス開催
https://youtu.be/TEHwI4qXKYY

これは「ドンペリ」の愛称で知られる最高級シャンパン「Dom Pérignon」とコラボした作品です。シャンパンの中に泡で絵を描くために、遠隔で泡を起こす方法を考えました。炭酸は一様なポテンシャル場なので、その中に赤外光レーザーを入れると泡が出てくる。だからその泡を使って絵を描けるんですね。これはドンペリを注いでメディアにしていますが、炭酸が抜けたら終わりなので、次々と高価なドンペリを空けるという、非常にお金のかかった作品です(笑)。それでも非常に美しい出来映えになったので関係した方々には非常に感謝しています。
シャボン玉の滝を作ったり、室内に雷を落とすような作品もあります。僕がシャボン玉を好きなのは、突然出てきて消えるところにデジタル的な雰囲気を感じるからです。まるでデジタルデータみたいだと思いませんか?
こういった水・光・音・電気を利用したアートは既存の美術館には展示できませんが、いずれ時代が進めば可能になるはずで、それを楽しみにアーティスト活動をしています。

ほかのアーティストとコラボすることもあります。10月20日にZeppTokyoで行われた『SEKAI NO OWARI』のライブでは、会場の演出を担当しました。

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ここではいかにして映像装置とは違った形の映写装置を作れるかを試みました。1900年代のゾートロープ(回転のぞき絵)を今風にするなら、3Dプリンターでムービーを直接出力して作るのも面白いし、ほかにも「絵画に見えるけど実は動画」といったメディアをどうやって作るのか、それがこの時のテーマで映像の異なった解釈を行っていきました。このようにさまざまな作品を作りながら研究したりそれをまとめたりとアウトプットしています。

■ アイデンティティ・クライシスを超えて

先日、東京映画祭で富野由悠季さんと対談したときに、富野さんから「こいつ『映像の世紀』が終わるとか言ってるんですよ!」と紹介されて、記者たちが一斉に私の写真を撮るという一幕がありました。

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私は映画や映像業界の人たちから敵視されるような発言をよくしますが、本質的には、今、映像の世界で仕事をしている人たちが、どうやったら次の時代に合わせて業態を変えていけるのか、どうすればアップデートしていけるのかをいつも考えています。
『魔法の世紀』で重要なのは、アイデンティティ・クライシスを超えてどのようにモノを作っていくかということです。コンピュータが登場してからというもの、各業界にたくさんのアイデンティティ・クライシスが発生しました。
今日(2015年12月2日)、日本最大の出版取次会社である日販(日本出版販売株式会社)が赤字を発表しました。本や雑誌の取次会社は、Amazonとは違ったスタンスで動いています。出版取次が便利なのは、日本中に少ない手間暇で出版物を配分できるところで、離島の小さな書店にも新刊が並ぶのは、出版取次の流通ネットワークがあるからです。確かに、大ベストセラーが次々と生まれる時代であれば効率のよい仕組みだったでしょう。しかし、今の時代においては、Amazonのように注文に応じて商品を届ける方が、コストにおいてもマーケット配分においても効率が良い可能性はあります。
私たちは、1970年以降培ってきた高度経済成長の文化と、新しい時代のコンピュータの文化との戦いの中にいます。

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先日、コンピュータグラフィクスの国際会議「SIGGRAPH Asia」のパネルセッションで「ポストピクセルズはどうなるのか」という話題が出ました。
ピクセル、つまり画面に画素を使って描画する技術はアイバン・サザランドの時代、1960年代から存在しています。この50年間、コンピュータは画面を通して扱われてきたわけで、もし「その次」を見つけられたら、これは大きなパラダイムの変化になります。
このパネルセッションには、MITの石井裕先生や、ARを作った暦本純一先生など、錚々たるメンバーが参加していたのですが、結局、明確な答えは出ませんでした。しかし、次のビジョンがみなバラバラだということは、逆に大きなチャンスでもあります。現代は、新たなコンピュータの使い方を、本気で考える価値のある時代なのです

■ コンピュータが「真理」を生み出す時代

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今、科学技術は大きな変化の中にあります。
デカルトが活躍していた時代は、いかに哲学を数式で表現するかが大きなテーマでした。哲学の一分野とされていた数式や公理系を拡張していけば、いずれ世界は理解可能になると考えられていたのです。また、デカルトと同時代人のフランシス・ベーコンは、自然界の現象をコレクションすることで、世界の真理をコレクションできると考えていました。
その後に現れたニュートンが天才だったのは、デカルトの言っていた公理系を数式で表現することで、ベーコンの言っていた真理のコレクションと一致させたことです。
例えば、卵を斜面で転がすと、数式で書いた加速度の式と実際の測定結果は一致します。公理系からの真理の探究と、現実世界における測定や実験は同じ結論を指し示す。「理論による記述」と「世界に表出する現象」は表裏一体であることが分かったのが17世紀です。
それからの400年というもの、人間は科学技術を使って様々な対象を記述してきました。そして今、私たちの時代の大きな問題点が、「理由は不明だが、結果は明らかなもの」があまりに多くなってきたことです。

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例えば、iOSに搭載されている対話プログラム「Siri」が、なぜそのように動いているのかの厳密なところは恐らく開発者自身も知りません。機械学習のパラメータをある値に設定したら上手く会話するようになった、という結果があるだけです。
同じようにビックデータの解析をしているデータアナリストは、なぜその結果に至ったのかを知りません。分かるのはSVM(Support Vector Machine)などの演算モデルを使うところまでで、その先のブラックボックスの内部で何が起きているのかは、使う側にとっても分からないままなのです。
コンピュータにしか理解できない知識が増えている現在、コンピュータと人間の間で、どうすれば知識を共有できるのかという本質的な問いが生まれています。もしかしたら100年後の科学技術の論文には、「〜の出力結果を利用する。だだし人間には理解不能」と書かれているかもしれません。今の私たちが知る「人間の頭で理解できる形に記述された科学技術」は、ニュートン以降の400年間に満たないパラダイムであり、それが今、変わろうとしているのです。

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先日、Googleが「TensorFlow」という人工知能ライブラリを公開しました。これはGoogleが使っている機械学習のライブラリで、オープンソースなのでPhytonというプログラム言語が書ければ誰でも使えます。機械学習が企業内部に秘匿されず、誰もが平等にリソースにアクセスできる時代です。こういったツールが使えない人から先端技術に適応できなくなりますが、適応できなくても、ユーザー側からすれば「なんで動いているか分からないけど最近なんか便利だよね」で済む社会になっていく。
人間が脳で展開可能な知識を真理としてコレクションしてきたのがここ数百年だったとすれば、プログラムやベクトルの形で提示されるコンピュータにしか理解できない知識も、真理たりうるのではないか――これは新しい時代のパラダイムです。もはや人間だけが真理を生み出す存在ではない。私たちは学校でニュートンの偉大さを学びましたが、これからはニュートンのような役割を果たす人工知能が出てきてもおかしくないわけです。

これまで私たちは人間をベースに物事を考えていましたが、その方向をいかに変えていくかが、これからは重要になります。
私たちはこれまで、目や耳や脳といった身体的部位を駆使して能力の限界にチャレンジしてきましたが、コンピュータが人間を超える領域が増えてきた以上、そのパラダイムは終わります。これからは、知覚を超えるような光や音を駆使したり、人工知能によるサポートを踏まえて、私たちの生活がどう豊かになるのかを考えなくてはいけないフェーズになってきています。

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▲Marty McFly & Doc Brown Visit Jimmy Kimmel Live
https://youtu.be/Q0VGRlEJewA

これはとても面白い動画です。2015年10月21日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』の劇中で、ドクとマーティンが未来にタイムスリップする日なんですが、この日、米国の『ジミー・キンメル・ライブ!』というトークショーに、過去からタイムスリップしてきたドクとマーティンが現れました。
彼らはスマートフォンを目の当たりにして驚きます。「この小さいスーパーコンピュータを使えば、宇宙物理学の複雑な数式を解けるに違いない!」。しかし、司会者はこう返します。「それにも使えるけど、私たちが普段しているのは笑顔を送り合うことぐらいだよ」。
設定上のドクは1910〜20年代生まれで、コンピュータによって難解な計算が解けることを学んだ最初に世代です。アイバン・サザーランドがコンピュータ文化のトップにいた時代ですね。
しかし、マルチメディア時代を経た私たちは、この複雑な計算機を「笑顔を送り合う」という、まったく違った作業に使っているわけです。昔の人からすればバカバカしく見えるかもしれませんが、私たちの生活を豊かにしているのは、宇宙物理の解明よりも、Facebookの方かもしれない。

■ 工学化するメディア

ここからはメディアについて考えてみます。
メディアとは、簡単に言えば入れ物・媒体のことです。学生に説明するときは、いつも牛丼をイメージしてもらうのですが、丼(どんぶり)がメディアで中身がコンテンツです。吉野家の場合は、コンテンツは牛丼もしくは豚丼ですね。並盛りか大盛りかでメディアは変わりますが、中身のコンテンツはほぼ一緒です。
ここである学生から「すき家は牛丼までがメディアですよね?」という質問がきました。キムチを乗せるかネギを乗せるかで商品名を変えているすき家では、牛丼までがメディアで、上に乗せるキムチやネギがコンテンツなんですね。
このようにメディアとコンテンツは、どこまでが入れ物か中身かによって変わっていきます。

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例えば石文。これはヒエログラフと楔形文字が一緒に書いてあるロゼッタストーンですが、耐久性は抜群です。隕石が衝突した場合、データセンターに保存されている情報よりも助かる可能性は高い。しかし、このメディアの弱点は書くことが面倒臭いところです。

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メディアの柔らかさと私たちの創造性はセットになっています。土偶は手でこねた粘土を焼き上げて作るので、人間が考えながら製作するフェーズと、モノとして完成されるフェーズが分かれている。それだけで表現の幅が広がります。
これ、当時の製作者は、明らかに真面目に考えて作っていませんね。テンションの高い人が「頭とか尖ってた方がいいんじゃないかなー」とか、そういうノリで作られたとしか思えない(笑)。
最近の3Dプリンターも、表現の自由度においては、実は土偶と似たようなものです。完成物が出てくるまでに時間がかかりすぎる。手で動かす傍から組み上がる速度の製品が出てくれば、紙のように自由に表現できるようになると思います。

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その点、パピルスや日本でいうところの「紙すき」(和紙)の発明はすごいですよね。パピルスは紀元前3000年頃からありますし、日本では「紙すき」を西暦600年頃から国策で推進しています。そのおかげで平安時代の人々が残した文章、源氏物語のような官能小説から当時の女性の愚痴が記された日記まで、今の我々は読むことができるわけです。ちなみに、西洋への紙の伝来は西暦1100年頃と遅かったため、日本より500年分、貴重な情報を失っています。
大昔の一般人の考えていたことが現代に残っているのは、紙の発明のおかげです。人間はある程度、自由に記録できる記録メディアを持つことによって、図書館を発明し文化を再定義できるようになりました。
このように、15世紀までのメディアは人の手で作られる職人芸でした。しかし、グーテンベルグの活版印刷以降、メディアは工学に接近していきます。

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決定的だったのが映画の発明です。トーマス・エジソンが最初に発明したキネトスコープは一人で観るための動画でしたが、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフは、複数人がひとつの画面を観るというメディアで、これが映画の始まりとされています。

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映像の優れているところは、一人が発信したメッセージを、観ている全員が共有できるところです。アイドルが歌うとファンが盛り上がる、政治家が演説すると大衆に主張が広まる。オリンピックが今のような世界的なコンテンツになったのも、テレビが世界中に普及した影響が大きいでしょう。

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映画の発明から40年後に現れたコンピュータは、最初は動画を扱えませんでしたが、やがてマルチメディア化し、さらにインタラクティブな反応を得られるようになりました。この10年間で、コンピュータは既存の映像メディアの特徴をすべて飲み込み、映像の枠組みを超えた新たな再定義を求め始めている。それが2015年現在の状況だと思います。

■ ハードウェアではなく「場」を開発する

コンピュータの内部的な表現技術が飽和状態になったのは、ここ10年くらいのことです。

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▲ SIGGRAPH 2015 – Computer Animation Festival Trailer
https://youtu.be/UH-mdAdT1BI

これは世界最大のコンピュータグラフィックスの祭典「SIGGRAPH」のトレーラームービーです。ここにはあらゆる映像表現があります。例えば、実写映像のような世界なのに、歩いているのはアニメキャラクターですし、この中では時間を止めることも進めることも自由自在です。今や画面上で描けないものは、微妙な水のきらめきや炎の揺らめきぐらいで、それ以外のたいていのものは、時間さえかければ作れるようになっています。
この映像の質が、2000年代の『ファイナルファンタジー』の頃とあまり変わっていないことに気付かれた方もいるはずです。近年のコンピュータ研究者は、1秒間の計算量をいかに増やすかという方向に力を注いでいて、こういった3DCGで映画を撮るようなやり方で生み出される映像のクオリティは、炎や肌の質感といった計算の難しい部分以外は、ここ数年間、ほとんど変化がなくなっています。
製作にかかる時間が大幅に短縮され、さっきの土偶の話のように、作った傍から中身を変えられるようになれば、新しい創造性が生まれるのかもしれませんが。

そうなってくると、今度は画面の外側に、どうやって同じようなものを作るかに興味が移ります。僕の研究分野がまさにそれで、画面の外にCGを三次元的に置いてみたり、そのCGに触覚を加えることで実在する物体のように表現するーーといった研究をしています。

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▲ Fairy Lights in Femtoseconds: with Artist Statement
https://youtu.be/ML79u9zPZu4

例えばこれは、カイワレ大根にプラズマの芽を生やしてみた様子です。
こういった表現を可能にする道具、三次元世界を操作するための紙とペンのようなものを作ることか、私の研究テーマです。

そのために、ここ数年は「空気の構造化」に興味があります。
光を使った作品では、空気をプラズマ化させる方法を実験しています。音を使った作品では、空気に編み目を張る方法を試みています。いずれも、我々の周囲にある空気をどうやってメディア化するのか。酸素や窒素をいかにコントロールするかについての研究です。

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なんでこんなことに興味を持つかというと、従来のようなハードウェアを開発する「モノづくり」よりも、これからは「環境」や「場」を創造する方が重要になると考えているからです。
どうすれば対象の「光」や「音」を編めるようになるのか―――「編む」というのは編み物のように、何重にも重ね合わせて領域を形成するということです。それができるようになると、「モノづくり」は「コトづくり」に変わってくる。そうなると重要なのは、ハードウェアとしての電気回路よりも、内部のアルゴリズムと数式とアイディアになります。
それを実現するためには、どのような物理の実験を進めたらいいのか。その方向にシフトして行こうというのが、僕の長年の研究スタイルです。

(後編へ続く)

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