驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・前編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第10回)【不定期連載】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.08.03
  • V系

驕れる者は久しからず!? 「春の夜の夢」V系バブルの後先を振り返る・前編 (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第10回)【不定期連載】

80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。ここから前後編にわたって、数々のムーヴメントを生み出した90年代後半V系シーンの功罪を総括します。今回は前編です。(構成:藤谷千明)

90年代V系の功績はCD売上ではなくライブ動員数を上げたこと?

藤谷:今回は、連載の本筋に戻って<90年代のV系ブーム>が何を残したのか? という話をしたいと思います。96年くらいから徐々に世間的にヴィジュアル系が浸透し始め、97年のSHAZNAのメジャー・デビューで完全に全国津々浦々の<お茶の間>まで届き、様々なバンドが音楽番組だけではなく、『笑っていいとも!』のようなTVバラエティ番組に出演することも少なからずありました。やはりピークは98年前後だと思うのですが、その時期はまだ市川さん、失踪はされてませんでしたよね。

市川:まだいたんだなーこれが。

藤谷:私、今ひどい質問しましたね。

市川:別に。だってV系にとどまらない90年代超CDバブルに密接に関係してたから、私の失踪は(←得意げ)。

藤谷:自慢してどうするんですか。

市川:まあ、SHAZNAはともかくMALICE MIZERなんかも一般の人たちからは充分イロモノとして扱われていたし、その一方で黒夢とかはメジャー・デビューを果たしてるにもかかわらず、マニアでコアな層にウケてて――と言いながらアルバム30万枚近く売れてたんだから、現在のスモール・マーケットっぷりが嘘みたいだよ。カルト的な存在でもそれだけ売れたんだから。でそうしたマニアなバンドたち(失笑)の上にLUNA SEAやXがいて、さらにミリオンを軽く超越してラルクやGLAYがいたわけだから。

藤谷:ちなみに98年のシングル・ランキングはGLAY「誘惑」が1位(約160万枚)、5位「SOUL LOVE」(約140万枚)、ラルクの「HONEY」(約120万枚)が7位ですね。後にも先にもヴィジュアル系がヒット・チャートを席巻したのは、この年だけだと思います。

市川:うん、ピークだよね。でもここで俯瞰してみると――我が国の歴代トリプルミリオンセラー・アルバム(300万枚以上)は全20作品、歴代ダブルミリオンセラー・シングル(200万枚以上)は全23曲を数えるんだけど、V系バンドはGLAYの97年のベスト盤『REVIEW~BEST OF GLAY』が500万枚弱でアルバム3位に入ってる以外は、全然ランクインしてなかったりする。ダブルミリオンに到達したシングルは1枚もないわけ。
つまりあのCDバブルの時代を牽引したのはV系ではなく、明らかに小室哲哉やミスチルなんだよね。だからV系が日本音楽シーンにインパクトを与えたとしたら、それはCDセールスによってではなく、ライヴの動員数だと思うんだなぁ。

藤谷:「ヴィジュアル系はCD売上と動員数が同じ」って言われていたという話を以前、業界の方から聞いたことがあります。「1万枚売れるバンドは武道館できる」みたいな。

市川:そりゃまた乱暴な(失笑)。でもたしかに、CDを買ったユーザーの<ライヴ絶対観に行くぞ>率が、他ジャンルより劇的に高いのがポイントなんだよね。だから要するに、V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、YOSHIKIによる<アーティストの独立性とビジネスシステムの確立>を別にすれば、ホール・ロックからアリーナ・ロック、そしてドーム・ロックにスタジアム・ロックへと、ロック・バンドのライヴの規模を圧倒的に拡大した点だと思う。で規模とキャパが大きくなれば、それに伴って演出のスケール感もデカくなるし、各バンドの口うるさい妄想家たちが「アレ演りたいコレ演りたい」と無理難題をオーダーしまくることで、大道具やらサウンドシステムやら照明やらコンサートに関するあらゆるノウハウが、加速度的に進化するという副産物も生んだんだから。結果的に。

クリエイティヴィティーと侠気さえあれば、冒険的な企画ができた

藤谷:明らかにそれは良い面ですけど、よく市川さんもおっしゃるのが、バンドにインタヴューしても原稿チェックとか必須になって、アーティスト側が我儘になっちゃった、と。私自身は最初からそれが当たり前だったので、そこまで抵抗はない
んですけど。

市川:それはきみらが飼い慣らされてしまったから。わははは。

藤谷:身も蓋もない。

市川:私の出身誌『ロッキング・オン・ジャパン』は、<日本唯一の国産ロック批評誌>を標榜してたからこ
その《NO原稿チェックNO写真チェック》で、その後独立して創刊した『音楽と人』も当然、同じ前提だったわけ。それまでというか『ジャパン』『音人』以外のメディアは、雑誌もTVもラジオも皆提灯と忖度が基本なわけだよ。だってプロモーション道具以外の何物でもないんだから。

藤谷:そんないよいよ身も蓋もない(呆笑)。

市川:だけどせっかくロック不毛の日本にバンド・カルチャーが芽生え始めたんだから、海外同様、ジャーナリズムとアーティストが正面から対峙して衆目の中で切磋琢磨することが、アーティストの創造力や覚悟を高める触媒になると確信してたのね我々は。口はばったいけどリスナーの少年少女だって、我々の正直なやりとりを読むことでロックの愉しみ方を無限に拡げられるだろうし。そのためには、アーティストもしくはマネジメントやレーベルが「恰好悪い」「恥ずかしい」「都合が悪い」と勝手に判断して削除や修正を求める原稿チェックなんて、論外でしょ。そもそもアーティスト・サイドの判断はあくまでも主観であって、客観的な視点が欠落してるよね。でも客観的に見た方が、相手本来の良さや個性が見えやすいのが世の常。ま、往々にして自分じゃ自分のことは見えないから。だから<他人の話を聞けよ!>ってことで、原稿チェックは論外なわけ。

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