芸術は誰のためのものか――「設計」される市民と芸術の距離 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.06.02
  • 橘宏樹

芸術は誰のためのものか――「設計」される市民と芸術の距離

本日は、在英官僚・橘宏樹さんの連載第9回をお届けします。今回のテーマは「文化・芸術のまちロンドン」。
大英博物館やナショナル・ギャラリーなど、世界に名だたる博物館・美術館が無料で観覧できることの意味とは? さらには大道芸やストリート・アート、パブリック・ピアノなど、ロンドンならではのボトムアップ型文化について考えていきます。

こんにちは。ロンドンの橘です。まず冒頭に、御礼を申し上げさせてください。先日、私が活動に参加しているNPO法人ZESDA http://zesda.jp/(「プロデューサーシップ」を普及したり、文化ギャップに着眼した海外ビジネスを支援したりする団体)は、宇野常寛PLANETS編集長を講演者にお招きし、ワークショップを開催させていただきました。

開催報告「第17回プロデュース・カレッジ〜2020年の東京をプロデュースする〜」

講演ではみなさまご存知の「東京5分割案」をご紹介いただきました。『PLANETS vol.9』もぼちぼち売れたようで、宇野編集長のことを全く知らなかったような新しい読者層へもアプローチするきっかけになったのではないかと思います。宇野編集長におかれましては、お忙しいなか本当にありがとうございました。

さて、ロンドンの私の方は、とにもかくにも、6月上旬の試験に備えた勉強でいっぱいいっぱいの毎日を過ごしています。とは言え、息抜きと称しては、LINEの無料漫画を読んだり、友達と寮の共有スペースにある“FIFA”(プレイステーションのサッカーゲーム。世界中でも大人気のようで、みな実家でハマリすぎていたため、危険だ!危険だ!と言います)に興じてしまったりと、本来望まれるほどには勉強に集中できない日々を送っています。よくあるパターンです。聞くところでは、寮のとある完璧主義者(!?)のルーマニア人学生が、就職や進学に必要なわけでもないのに、すべて最高得点を取らないといけないと思い込み、しかしそれがこの短期間の準備では取れないということで、来年受けなおすと言って全てを放り出し母国に帰ってしまったとの話を耳に挟みました。そんな話を聞いて、妙に不安になったり、逆に気が楽になったりする日々です。

前回、前々回は、時節柄政治・行政のトピックが続いてしまっていたのですが、今回は、文化芸術の街としてのロンドンを取り上げてみたいと思います。折しも、直近のメルマガで石岡先生からも、カルチャーとアナーキーを対比されつつUKポップカルチャーへの言及がありまして、私も大変興味深く拝読いたしました。

▼参考記事
カルチャーと「教養主義」の結びつきを考える(石岡良治の視覚文化「超」講義外伝 第4回)

ファッションや音楽といった「クール・ブリタニア」にご注目の読者の方々も多いと思います。というわけで、私からも、ロンドンの文化芸術、特に一般市民と芸術の接点を豊かにしている無料の美術館群、大道芸、ストリート・アートに着目したいと思います。また、日記という勝手な私見をつらつら書いて良いという形式を利用して、芸術は誰のためのものかということについても、少し思うところを書いてみたいと思います。

私の滞在は早いもので10ヶ月に及んで参りましたが、なかなか勉強などが忙しく、ロンドンの有名な文化・芸術的スポットへは、実は、思っていたほどには行けていません。短期間の観光でいらっしゃる人の方が、もっと訪れておられるかもしれません。それでも、美術館では、トラファルガー広場に隣接するナショナル・ギャラリー、デザイン・ミュージアム、現代アートで有名なテート・モダン、貴族が邸宅と所蔵品を寄贈して運営されている小さな美術館のいくつか行きました。映画、写真、グラフィック、広告等の業界に多彩な人材を輩出しているロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションの文化祭や、サマセット・ハウスという有名な催事場で開催された「ロンドン・ファッション・ウィーク」のイベントにも行ってみました。

博物館系統ですと、国立自然史博物館、大英博物館、ビクトリア女王夫婦の名を冠したビクトリア・アルバート博物館、科学博物館には行きました。それから、ミュージカルは、ロンドンのウェストエンドはブロードウェイと並ぶ聖地なのですが、私は「ウィキッド」(「オズの魔法使い」のスピンオフ作品)を観てきました。役者の迫力満点でした。「オペラ座の怪人」はブロードウェイでは見たことがあるのですが、いずれはこちらのものにも行って、見比べてみたいと思っています。シェークスピアの地球座は夏の間だけ公演があるというので、再来月あたり、行ってみたいと思っています。音楽方面では、ロイヤル・アルバート・ホールという、格式ある場所などのクラシックコンサートや有名なバレーにはまだ行けていないのですが、通っている大学でも毎月1回以上、プロの演奏家がやってきて昼休みにクラシックのミニコンサートを開いてくれ、無料で鑑賞できます。素晴らしいです。また、路上や地下鉄の構内、トラファルガー・スクエアなどの公共空間などのいたるところで、大道芸人が腕を振るっています。バイオリン、四重奏、ドラム、オペラ歌手、サックス等、中にはミラーボールを吊り下げて回すDJまでいまして、大変バラエティに富んでいます。

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▲トラファルガー広場で和太鼓を披露する日本人らしき大道芸人。喝采を浴びており僕も嬉しい。

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▲トラファルガー広場名物の大道芸人のひとり、「DJグランパ」。夜になると頭上のミラーボールが威力を発揮します。

無料で見られる「本物」たち

よく知られていることかも知れませんが、大英博物館、ナショナル・ギャラリー、テート・モダン、ビクトリア・アルバート・ミュージアムなど、市内に300以上あると言われる美術館や博物館の多くは無料です。

しかも、どんな人でもほぼ毎日、朝から晩まで簡単に入れる状況であるにもかかわらず、モネ等の有名作品であっても、ロープ程度しかなく、間近で見られます。見張りの学芸員もちらほらとしかいません。観光客を含めた誰もが、市民全体の共有物として当たり前のように大事に扱っていることは、よく考えると少し驚くべきことであるように思えます。ちょうど日本で自動販売機を壊してお金を盗む人がいないことが、日本人には当たり前で、外国人には驚きであるように。

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▲ナショナル・ギャラリー内。クロード・モネによる睡蓮の連作のひとつ。

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▲ナショナル・ギャラリー内。模写する画学生をたくさん見かけます。

無料であるということは、大人も子供を連れて行きやすいということであり、お金のない中学生や高校生もデートで来れるということです。芸術家を志す若者達も歴史が認めた「本物」から学ぶため、毎日勉強に来れるということでもあり、そのために世界中からロンドンに芸術家の卵が集まることにも繋がります。

実際、写真撮影も自由です。館内でスケッチをしている人もたくさん見かけます。こうして、当然のように「本物」が極めて身近にあることは、まず、審美眼を養うと思います。そして、仮にそれらが西洋文化中心主義的な展示内容であろうとも、審美眼のベースが階級や人種を超えて開かれた形で共有されることで、「いろいろな芸術に無料で触れられるロンドンは良いよね」と誰もが思うことになりましょう。これは歴然とした階級差があり、多様な人種の移民が増えるロンドンに、緩やかな市民社会の統合を支えるアイデンティティを育むことにも繋がるように思います。

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▲ウォレス・コレクション。貴族の豪奢な元邸宅に彼らが蒐集した作品を展示。巨匠の作も多く含むこちらも入場無料。

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▲大英博物館。「現物」がここに……。

大道芸人が奏でる街のBGM

無料で楽しめるという点では、大道芸にも大きな社会的意味があると思います。東京でも新宿駅前など、パフォーマンスをしている人々はよく見かけますよね。インディーズのミュージシャンがCDを並べながらやっていたりします。なんとなく『ゆず』に続きたい、というようなタイプの若者が多かった印象です。

また渋谷のハチ公前ではいつもどこからか太鼓の音がしていたように記憶しています。しかし、ロンドンの演奏系の大道芸は、はっきり言って、そうした東京のパフォーマーたちよりも、圧倒的に腕前の水準が高いと思います。個人的に、足を止めたり、一度通り過ぎても振り返ったりしてしまうほどです。東京ではそういうことはあまりありませんでした。(ジャンルの好みもあるかもしれませんけれど。)

彼らは帽子やギターケースなどを置いて、投げ銭を集めています。曲の切れ目に、けっこうみな投げ込んでいます。これが寄付文化が定着している、というやつでしょうか。私はこのコインを入れる人々の気持ちのなかに、「スゴいパフォーマンスだと思うので対価を払います」といった気持ちに加えて、なんとなく、「私たちのために、わざわざその素晴らしい技芸を提供してくれてありがとう」という御礼と労いの気持ちまでも含まれているような印象を受けています。(斯く言う私も、後述しますが路上でピアノを弾くと”thank you”と言われます。日本で「ありがとう」と言われたことはないので驚きました。)少なくとも、頑張っている若いミュージシャンを応援してあげたい、という感じよりも、技芸に対する純粋なリスペクトの方を強く感じます。

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▲コベント・ガーデンのカルテット。軽くダンスしながら楽しげに演奏中。

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▲地下鉄のなかでも営業!? さすがに一駅ですぐ降りていきました。

それから、彼らの演奏は、なんというか、うるさくないのです。音量や音質、選曲はもちろん、全体として、公衆の面前で演奏をしているわけではありつつも、「どうだ!」という個性アピールや目立ちたいという自己顕示は感じられず、すっと心に入ってくるような、その場に溶け込んでいるような耳心地が良いものが多いです。その空間のBGMが生音であるというだけ、あたかも、この場所にBGMがあったらいいなと思ったから自分が提供しているというだけ――だからみんなも「ありがとう」という具合なのです。

これはきっと、「大道芸は、パフォーマー、その場所で仕事したり生活したりする人々、往来する人々の誰にとっても心地よくあるべきだ」という精神が広く共有されているからではないかと感じられてきます。

実際、大道芸人のパフォーマンス可能な場所や時間については、市役所とストリート・パフォーマー団体との間の合意に基づいたガイドラインが定められています。この3月にも、レパートリーが少ないミュージシャンは演奏が終わり次第、速やかに移動するべしとするなどの新ガイドラインが発表されています。警察が規制するか、しないか、の二元論ではなく、管理方法を一緒にみんなで考えるスタイルなわけです。

(ガイドラインはこちらで見ることができます。“make London your stage”「ロンドンを貴方のステージに」が標語の大道芸(busk)の総合ホームページです。)

ちなみに、一般的にも、イギリスはじめヨーロッパでは、政府ではなく公益法人のような団体にルール作りや管理を委託したり、逆にEUレベルで一律に決められたりと、政府ではない主体が規制行政を担うことが増えています。官僚として大変学ぶところが多いです。

落書きか?芸術か?ショーディッチのストリート・アート

ストリート・パフォーマンスがメインの大道芸ですが、ストリート・アートにも、市民と芸術の関係で特筆するべき点があると思います。ストリート・アートはロンドンのあちこちで見られますが、特に、ショーディッチ(Shorditch)という街が有名です。

ここは元々はアラブ人街で、比較的荒廃していた時期もあった地域だったのですが、10年くらい前からストリート・アーティスト達によって壁にスプレーなどに「落書アート」や彫刻が至るところに施され始め、それらのクオリティが人気を集め、今では一大観光地ともなる大変個性的な地域となりました。人気作家も輩出しています。最も有名なストリート・アーティストのひとりであるBanksyは石岡先生の論考にも言及がありましたね。

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▲ショーディッチのストリートアート。間近で見ると精緻さに驚きます。

この街の「キャンバス」にデビューして評判になることがアーティストの登竜門になっているとも聞きます。どの壁が誰の「キャンバス」であるという認識がなんとなく共有されており、作品の「更新」がなされるとInstagramなどに共有され、ファンたちはそれをフォローし拡散するなどしています。街全体がキャンバスでもありアーティストのカタログにもなっているわけです。

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▲LONDON STREET ART: SHOREDITCH, EAST LONDON ショーディッチのストリートアート(YouTube)。英語ですがいろいろな作品をご覧いただけると思います。

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