思想としての予防医学を考える(予防医学研究者・石川善樹「〈思想〉としての予防医学」第1回) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.05.07
  • 石川善樹

思想としての予防医学を考える(予防医学研究者・石川善樹「〈思想〉としての予防医学」第1回)

PLANETSメルマガでは今月より新たな連載がスタートします!
テーマは、これまでPLANETSがまったく扱ってこなかった「医学」と「健康」。予防医学研究者の石川善樹さんが、今にわかに注目を浴びている「予防医学」を〈思想〉という観点から解説していきます。


 

はじめまして。予防医学という分野の研究をしている、石川善樹です。

いきなりですが、この連載のタイトルにも入っている「予防医学」という言葉ですが、馴染みのある人はどのくらいいるのでしょうか――「予防医学が21世紀の医学の主流になるだろう」なんて言われているのを、聞いたことがある人もいそうです。しかし、そういう人であっても、予防医学について具体的な話を聞いたことは少なそうです。

そこで、まずはイメージをつかむところから始めたいと思います。

■ かつて「運動は健康に悪い」と言われていた

例えば、予防医学による発見の一つが、「運動は健康に良い」ということです。

――え、それって常識じゃないの? と思う人もいそうです。

確かに、今となっては、あまりこの話を疑う人はいなさそうです。しかし、19世紀までの人類は、むしろ「運動こそが健康に悪い」と思っていたのです。ですから、例えば郵便局の内勤の人と外勤の配達員とでは、あくせく外歩きをする配達員の方が「早死するんだな、かわいそうに」というくらいに思われていたのでした。

この常識を最初に覆したのは、英国の疫学研究者ジェリー・モーリスでした。彼は1953年に発表した論文で、2階建てバスの乗務員を調べて、運転手と、1階と2階を行き来する乗務員のどちらが健康的なのかを比較したのでした。すると、1階と2階のあいだをせわしなく動きまわる仕事をしている方が健康的で、座り仕事の運転手の方こそが不健康であるというデータが出てしまったのです。
余談ですが、このモーリスは後に、ロンドンで健康のためのジョギングをした初めての人間となりました。当時の人々は、彼のことを”頭のおかしい人”を見るような目で見ていたそうです。彼の業績は長らく、予防医学の世界でのみ、ささやかに讃えられてきましたが、ついに先日のロンドン・オリンピックで彼の功績が大々的に讃えられることになりました。それは、彼がスポーツ文化に新しい価値を付け加えたことを賞賛してのものでした。

予防医学では、このような統計的手法によって、人間の健康に影響する要因が何かを調べあげてきました。他の予防医学の有名な成果としては、タバコの健康への悪影響の証明があります。今となっては驚くような話ですが、それまではタバコを「健康に良いから吸った方がいい」と主張する医者まで存在したそうです。
実は結構な数の健康についての常識を、僕たち予防医学の研究者は見つけてきたのです。

こういう手法を、予防医学の世界では「疫学」と呼んでいます。簡単にいえば、英国のモーリス博士がやったように、沢山の人を集めてきて、病気になった人と病気になっていない人を比較して、何が原因だったのかを探り当てていく手法です。
これは、いわば医学における最初の”ビッグデータ解析”だったと言えるかもしれません。その意味で、現代のIT分野で話題になっているようなトピックについても、いろいろな示唆が与えられるように思います。
この連載のタイトルになっている『〈思想〉としての予防医学』というのは、こういう話題を本誌主宰の宇野常寛さんにお話ししたときに、宇野さんから連載のタイトルとして提案されたものです。IT分野でのビッグデータ解析の成果と同様に、予防医学のこういう話題には、従来の人文的な思想に対してインパクトの強い話題が含まれているということで、こういう名前を思いついたとのことです。

■ カナダが80年代に発表した研究結果の”衝撃”

最初にも述べたように、近年は日本でも予防医学について「21世紀の医学の主流になるだろう」という意見を耳にすることが増えてきました。

そんなふうに予防医学が注目されるキッカケになったのは、アメリカが1980年代に提示した衝撃的なデータです。彼らは、当時の国家的な財政危機の中で、本当に「医療制度」が社会全体での健康維持に効果があるのかを調査したのでした。

その結果はというと――なんと、ほとんど効果がないというものでした。

ここでは具体的な算出の過程は省きますが、彼らは健康に影響を与える要因をリストアップして、医療制度・遺伝・環境・生活習慣の4つに絞り込みました。そして、それぞれの病気との相関関係を調べあげて、各々が健康な生活に寄与する度合いを算出したのです。その結果わかったのは、医療制度はなんと1割程度しか寄与しておらず、むしろ病気の大きな要因は、単なる「生活習慣」の問題であるということでした。

そこで、アメリカは「治療から予防へ」という方向に舵を切り替えて、医療制度の改善よりも生活習慣の改善に注力するようになりました。その後すぐに、他の先進国も続いていくことになります。よくアメリカについて、健康に悪いファストフードばかりを食べているというイメージが語られますが、既にそれは過去の話です。喫煙率についても、この20年ほどで米国は劇的に低下しています。

ひるがえって、日本にこの考え方が入り込んできたのは2000年に入ってからのことです。「分煙」などの言葉が、この頃から使われるようになったのを覚えている人もいるでしょう。
そんな感じの状態ですから、いまやホワイトカラー同士の比較でいえば、日本人はアメリカ人よりもずっと運動量が少なく、コレステロール摂取量も多いというのが実情です。先進国のホワイトカラーとして見ると、もう日本人は決して健康的な部類の生活をしているとは言えないのです。この差は、まさに予防医学の浸透した時期が遅かったことから来ています。

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▲男女別喫煙率の国際比較。日本は女性は8.4%なものの男性に限っては32%と、男女ともに10%台の米国よりかなり高い。(出典:社会実情データ図録▽男女別喫煙率の国際比較

■ 「心」が脚光を浴びる、予防医学の現在

さて、そんな予防医学の世界で、最近になって注目されているのが、人間の「心」にまつわる問題です。
そもそも、予防医学の歴史は、19世紀に「下水道を整備して、コレラの対策をしよう」だとか、「きちんと靴を履かせて、傷口から寄生虫が入るのを予防しよう」だとかというように、感染症対策を研究したことから始まりました。その後、感染症をめぐるアプローチが一段落すると、今度は先ほど述べたように、生活習慣からくる心臓病のような病への対策に移りました。
しかし、20世紀の人類は素晴らしい発展を遂げて、経済も医療も大きく進歩させました。その結果、平均寿命は右肩上がりになり、先進国の人々はかつてない長寿の時代を迎えています。そういう中で、健康についての予防医学的なアプローチは、ある意味で転換点を迎えているのです。

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▲石川善樹『友だちの数で寿命はきまる 人との「つながり」が最高の健康法』マガジンハウス、2014年

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