大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識 〜消費・要請・演技・自意識・幸福・アルゴリズム〜【不定期連載】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2016.07.12
  • 大見崇晴

大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』補論 記号と階級意識 〜消費・要請・演技・自意識・幸福・アルゴリズム〜【不定期連載】

今朝のメルマガでは大見崇晴さんの『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』の補論として、「記号と階級意識 〜消費・要請・演技・自意識・幸福・アルゴリズム〜」をお届けします。1980年、村上春樹が『1973年のピンボール』を発表した年に、田中康夫は『なんとなく、クリスタル』で鮮烈なデビューを果たします。都市生活における洗練を描いたその作品の背後には、連続ピストル射殺事件の永山則夫という陰画が貼り付いていました。大量消費社会の黎明期に何が起きていたのかを「文学」と「事件」の両面から問い直します。


 
▼プロフィール
大見崇晴(おおみ・たかはる)
1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
本メルマガで連載中の『イメージの世界へ』配信記事一覧はこちらのリンクから。
前回:『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第5回 記憶・神話・イメージ
 
■ 0.記号と消費社会
 
 村上春樹の小説は記号に溢れている。
 同世代のクリエーターにとって、それは清新なものだった。
 たとえば、1980年に発表された『1973年のピンボール』には、極めてスノビッシュな一節が数多と現れる。その一つを引用しよう。

 十二の歳に直子はこの土地にやってきた。一九六一年、西暦でいうとそういうことになる。リッキー・ネルソンが「ハロー・メリー・ルウ」を歌った年だ。その当時この平和な緑の谷間に人の目を引くものなど何ひとつ存在しなかった。
(村上春樹『1973年のピンボール』)

 
 引用した文章において、登場人物たる直子に関する情報はほとんどなく、極めて冗長なものである。直子が「平和な緑の谷間」に移り住んできたこと以外(リッキー・ネルソンや「ハロー・メリー・ルウ」)は、蛇足とも言える。もしかしたら、年頃のおしゃまな女の子がボーイフレンドを探しているという歌詞が、直子のイメージに重ね合わせられるかもしれない。しかしそれは、村上春樹と同年代(1940年代、戦後間もない生まれ)でなければ共感しづらいところだろう。今日では「ハロー・メリー・ルウ」のような穏やかな歌詞の歌も、平和な緑の谷間も探し出しにくい。
 
 仮に村上が意図した(と思われる)方向で読み解いていた読者がいたとしても、それは少数だろう。とはいえミニコミ的に、カルト的な解釈を望む作家として村上春樹は登場し、そして実際に読者が期待どおりに没入し、数えきれない程の謎本が登場したのが村上春樹という作家なのである。日本人の大多数はリッキー・ネルソンも「ハロー・メリー・ルウ」も知らなかったのだから。
 
 このようなスノビッシュな文体を採用した村上春樹について、春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(1979)を掲載した雑誌『群像』の新人賞候補として肩を並べた野崎六郎は、当時を以下のように振り返る。

 純粋に技法上の処理に限定されるにしても、「あのような文体」によって作品が可能だったという事実に、わたしは羨望に近いものを感じたのだった。七〇年代のわたしらのつたない二十代の経験が、贋金つくりのようなキッチュなスタイルで語りうるという事実にたいして、である。
(野崎六郎『世界の果てのカレイドスコープ』)

 

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