【新連載】丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』第1回 伝統のアップデートには日常生活のハックが必要だ | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2018.01.17
  • 丸若裕俊

【新連載】丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』第1回 伝統のアップデートには日常生活のハックが必要だ

今回から、丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』が始まります。丸若さんは菓子壺や弁当箱、iPhoneケースや磁器ボトルなどの様々なプロダクト、そして茶畑からのものづくりを通して日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしています。今回は、丸若さんにとって伝統工芸はタイムレスな価値を体現するものであり、日常生活のハックこそがその本質であることについて宇野と語り合いました。(構成:高橋ミレイ)

伝統工芸のソフトウェアを現代にアップデートする

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▲「PUMA」と共に発表した「PUMA Around the bento box project

宇野 今回は連載の第1回目なので、まずは丸若さんが何をやっている人なのかという紹介から始めたいと思います。丸若さんは様々なプロダクトやお茶のプロデュース活動を通して日本の伝統工芸が現代の生活の中に溶け込むようにアップデートする取り組みをされていますが、その工芸といかにして出会ったのかというところからお伺いできればと思います。

丸若 僕は昔から「間」をすごく気にする子どもだったんですね。そもそも間や調和感を気にするようになったきっかけを考えてみると、実家が横浜の中華街や元町のエリアだったこともあって、海外のフラットで主体性のあるノリにすごく憧れていたことにあると思います。ヨーロッパカルチャーの影響の元、ファッションに出会ってアパレルの仕事を始め、スケートボードやヒップホップのようなサブカルチャーも好きになっていった。でも、段々と見た目よりもソフトウェアの方が重要で、別に何インチのパンツを履いているとかは関係がないことに気づいた時、「なんだ、自分は今までスタイルばかり気にして、僕のは猿真似じゃないか」と思ったんです。そんな心境や業界を取り巻く環境の変化もあってアパレルの仕事を辞め、地方をうろうろしていた時期がありました。

そんな時、たまたま知人に誘われて360年前に作られた九谷焼を美術館で見て、「なんだこれは!」と衝撃を受けたのが、日本の伝統工芸との出会いでした。ソフトウェアとハードウェアが完璧なバランス感覚で両立していると感じたんですね。それで知人に「これが欲しい」と言ったところ、連れて行かれた土産物屋で、さっき見た物とは似ても似つかぬ安っぽい器が並んでいるのを目の当たりにして、冗談かと思うくらいの落差を感じたんです。九谷焼の技術が360年の間にすっかり変貌して劣化してしまった。 もう一つ違和感を覚えたのは、美術館で九谷焼の器を見ていた人たちが、その作品の作り手の権威の話や値段の話をしていたことでした。僕にとっては、工芸品をそのような視点から評価すること自体が衝撃だったんです。

宇野 つまりその光景は、伝統文化がハイカルチャーに取り込まれたことで、上流階級のマーケットに吸収されてしまったことの象徴だったんですね。そして、先ほどの土産物屋で見たのは、逆に伝統文化が大衆化した問題から生じたことだと思います。「とりあえずこういう柄をプリントしておけば客は満足するだろう」という近代の工業社会のロジックです。この二つが伝統工芸を殺してしまった要因だと思います。

丸若 そうです。でも、それに誰も気がついていない。なので、この過去と現在とのギャップを伝えたいという衝動に駆られたのが、工芸を現代にアップデートする仕事を始めたきっかけです。

宇野 丸若さんのやっていることは本来の、正しい意味での「工芸」だと思うんですよね。何百年前に作られた物を、そのままもう一回作るんじゃなくて、ちゃんとアップデートしていかないと工芸の本質を失ってしまう。それは工芸というものが、日常の、生活の中に息づいているものだからですよね。

博物館の中に飾られてしまったり、アートとして権威化し、高額で取引されてしまっては生活の中に息づいているものとは言えない。

そして同時に工芸はその生活の、日常の中から深遠で、遠大な世界観、宇宙観を表現しているものでなければならない。日常の内部に存在する超越したものへの裂け目として機能していないといけない。だからそれを「とりあえず昔の椀にはこんなガラが描いてあったからこれをプリントしてしまえ」と安易にデザインして工場で大量生産してしまっては、その表現力を損なってしまう。やはりきちんと、現代のライフスタイルと対峙しないといけない。

だから丸若さんは、言ってみればもしかつての名匠たちがいま生きていたらどんなモノをつくっただろう、という視点から工芸を現代的にアップデートしているのだということはよく分かります。

ただ、やっぱり多くの人はなかなかその本質に行きつけないと思います。伝統工芸が好きであればあるほど、うっかり当時の名工の物を再現しようとしてしまいますから。丸若さんは工芸をどのようにして自分の血肉にしていったのでしょうか?

丸若 僕はプロデュースやアウトプットをする時に、手がけた物に宿る真実を伝えたいとは思っても、自分自身がプレイヤーになりたいと思ったことは一度もないんですよ。これが伝統工芸を手がける他の人たちとの大きな違いだと思います。九谷焼に出会って東京に帰ってから、人に会うたびにその良さを言葉で話すんですが、どうしても伝わらないんです。それは作品を体験した人にしか感知できないような微妙な差異をうまく言語化することができなくて、分かる人にしか分からないような言語でしか語れないからだと思います。だからと言って美術品である九谷焼きをその場に持っては来られない。ならばそれを体現する物を、自分の方法論で作るしかないと思ったんです。

宇野 つまり旧来の九谷焼きそのものを再現しようとは最初から思っていなかったわけですね?

丸若 そうですね。これは料理で言うと、エビが獲れないのにエビのスープを作ろうとしても仕方がないのと同じです。でも、エビのスープがめちゃくちゃ美味しかった時の感動は分かるのでそれと近い感動を他の食材で再現することはできるんじゃないかと考えたんです。

宇野 この感動を現代に再現するには何を素材にしたらいいだろうかということですよね。

丸若 そうなんです。

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