【インタビュー】丸若裕俊 茶碗に〈宇宙〉をインストールする(前編) | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.08.29
  • 丸若裕俊,宇野常寛

【インタビュー】丸若裕俊 茶碗に〈宇宙〉をインストールする(前編)

日本の伝統文化の再発見やエコロジーというテーマは、消費社会へのアンチテーゼとしてのライフスタイルの象徴となりつつありますが、実のところそれらは看板を変えた消費主義の一部に過ぎないという問題を抱えています。株式会社丸若屋の代表、丸若裕俊さんは日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしています。彼の独自性のある仕事はどのような発想から生まれるのでしょうか? 編集長の宇野がお話を伺いました。

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360年の間に変貌してしまった九谷焼との出会い

宇野 僕が丸若さんの存在を初めて知ったのは、テレビ番組に出演した時でした。事前に制作チームから「皆さんにとって一番カッコイイものを持って来てください」という宿題をもらって、そのときに一緒に出演した猪子さんが丸若さんの作った名刺入れを持ってきたんです。そして先日、その猪子さんの関係で長崎でご一緒させてもらったときに丸若さんについて調べたところ、めちゃめちゃ面白いことやっているなと思ったのがきっかけです。ぜひともお話をじっくりお聞きしたいと思っていました。まず最初に、丸若さんが何者で、なぜ今のようなお仕事をしているのか、というところから説明して頂けますか?

丸若 僕、生まれは東京なんですけど、家が横浜の中華街や元町のエリアだったんです。なので色々な人種の方が住んでいました。みんな自己主張が強くて、国籍同士の持つ歪みのようなものもありました。たとえば「お父さんは米軍の人だけど、顔を見たことがありません」という感じですね。そういうリアリティがあるところにいたので、物心ついた時からアイデンティティに関心を持っていました。そういう環境にいたこともあって、僕からは西洋文化がすごくカッコよくて自由に見えました。日本とは対極ですよね。学校とかも日本だと「あーせい、こーせい」と上から言われますが、西洋のカルチャーって「何やりたいの? 俺はこれだよ」と聞くようなフラットさや主体性があったから、圧倒的にこちらの方がカッコイイと思っていました。社会人になった時には、アパレルの世界へ行ったんです。僕がやっていたのはDIESELというイタリアのクラフトカルチャーを牽引するブランドです。デニムブランドとして日本でも成長し始めた頃に上メンバーが知り合いだった縁で参加しました。そこで面白おかしく過ごしていたんですけど、ちょうどファストファッションが日本に入って来た時期でもあったんですよ。

宇野 それっていつぐらいのことですか?

丸若 ZARAとかが広く普及してきた2006年くらいですかね。これがけっこう衝撃でした。2週間に1回新作が入ってきて、それが2週間後にはセール対象商品になっている。従来のアパレル業界から見れば常識外れもいいところで、もう訳が分からなかったんです。その中で自分の居場所を見失ってしまったというか、アパレルに強くときめかなくなっちゃったんです。もともと放浪癖がある上に、そんな状態になっちゃった。でもお金がないから、海外に行くこともできず、バックパックで日本国内をふらふらすることにしました。

その時に、ある人に「伝統工芸に興味ある?」って言われて九谷焼の職人さんに会いに行ったことが転機になりました。最初は、美術館に連れて行かれて、そこにあった360年前に作られた器を見た時に、すごくびっくりしました。カルチャー好きだった自分としては、その器のデザインが持つ土着性も相まって半端なくかっこよく見えた。それでそれが欲しいと思ったわけです。連れてきてくれた人に「買いに行きたい」と言って、その直売店に連れて行かれたんですが、お店で売っているものは、さっき見たものと全然違う。最初、ギャグだと思ったほどです。「これじゃなくて、さっきのやつが欲しい」って言ったら「いや、これが今の九谷焼です」って言われてすごくショックを受けました。

宇野 技術が360年の間にすっかり変貌しちゃったんですね。

丸若 そうなんです。もう安物っていうか劣化したクローンしかなかったわけですよ。それで、へこみながらもある窯元の所に行ったら、幸いなことに、その窯元さんは僕がイメージしていたような魅力を持っていました。

伝統文化を殺したのは、ハイカルチャーと近代以降の工業社会

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