『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2016.09.06
  • ドラがたり,稲田豊史

『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)最終回 人生はチョコレートの箱

今朝は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』の最終回をお届けします。藤子・F・不二雄が生涯をかけて追い求めたテーマ「世界の創造」と「運命の改変」。そこには、思い通りの世界を創造する「箱庭作り」と、配偶者を再選択する「人生のやり直し」という、作者の直裁的な願望が見え隠れします。大人になった私たちは、Fが残した物語から何を学べるのか。不本意な「チョコレートの箱」のフタを開けてしまった、かつての「のび太」たちへの、Fからのメッセージとは――?


▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』(構成/原田曜平・著)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
http://inadatoyoshi.com

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前回:『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第13回 『ドラえもん』のルーツ/偉大なる縮小再生産
●藤子・F・不二雄と村上春樹

前回【第13回】で、『ドラえもん』は藤子・F・不二雄による偉大な縮小再生産の産物である、と結論づけた。
その『ドラえもん』を、Fより16歳下で、Fと同じく“国民作家”と呼ばれている村上春樹の著作に例えるなら、『1Q84』(2009〜10年刊行)が近いだろう。同作は、79年にデビューした村上が作家としての円熟期に発表した単行本3巻分の長編。キャリアの集大成、かつ過去の自作で扱ったモチーフの巧みな“再利用”が施されているという意味で、『ドラえもん』に極めて酷似した作品的立ち位置にある。

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村上春樹『1Q84 BOOK 1』(出典

古参ハルキストのなかには、「春樹の近作は、すべて鼠三部作(初期の長編三作である『風の歌を聴け』79年、『1973年のピンボール』80年、『羊をめぐる冒険』82年)の縮小再生産だ」と主張してはばからない、ラディカルな御仁が一定数いる。この主張に乗っかるなら、鼠三部作はさながら、F作品における『てぶくろてっちゃん』『すすめロボケット』(連載【第13回】参照)に当たるだろうか。両作には、後に多くの葉を茂らせる作家性の種が、高密度に凝縮されていた。
ただ一方で、村上に“国民作家”の称号を実際にもたらしたのは、やはり歴史的ベストセラーとなった『ノルウェイの森』(87)や『ねじまき鳥クロニクル』(94〜95)に違いない。Fの著作でいえば、商業的にも大成功を収めた『オバケのQ太郎』(連載【第13回】参照)に当たるだろう。

ちなみに村上は「ニューヨーク・タイムズ」2011年10月23日号のインタビューで、『1Q84』は自身が81年に発表した短編『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』と基本的には同じ構造の物語だと発言している。曰く「少年と少女が出会い、離れ離れになり、お互いを探し始める。それを長くしただけ」とのことだ。
●70年代のマイナー子供マンガ

『1Q84』は(結局受賞しなかった)ノーベル文学賞騒動もあって、発売前から大変な話題となったが、69年12月から学年誌でスタートした『ドラえもん』に、当初そのような気配はまったくなかった。

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ドラえもん初登場シーン/てんコミ1巻「未来の国からはるばると」(「小学四年生」70年1月号掲載)

米沢嘉博・著『藤子不二雄論 FとAの方程式』(河出書房新社、2002年)には、「(連載開始当初の)『ドラえもん』は限定された学年の子供たちに向けられたマイナーな子供マンガ」だったという記述がある。『オバケのQ太郎』以降、目立ったヒットに恵まれなかった当時のF(およびコンビとしての藤子不二雄)は、米沢の表現を借りるなら、「忘れ去られようとしていた子供マンガ家」だったのだ。

『ドラえもん』は73年に一度、日本テレビ系で不遇のTVアニメ化がなされている。
これは、79年〜05年放映の「大山(のぶ代)ドラ」、05年から現在も放映中の「水田(わさび)ドラ」と区別する形で、「日テレ版ドラ」「旧ドラ」などと呼ばれているシリーズだ。ドラえもん役の声優は、1クール目が富田耕生、2クール目は野沢雅子だった。
学年誌での連載開始から3年あまり経過した頃に放映を開始したこの日テレ版ドラは、たった半年で終了の憂き目に遭う。もともと2クールで終了する予定の番組だったため、「打ち切り」という表現が適当かどうか定かではない。しかし人気爆発中の作品であれば、そもそも2クールで終える理由もまた、ないはずだ。要は「コケたアニメ化」だったのだ。
連載継続中にTVアニメシリーズが「終わる」ことが、世間に対してあまり良い印象を与えなかったであろうことは、容易に想像がつく。アニメが終わった途端に原作にオワコンイメージがついてしまうのは、40年前も今も変わらない。
このまま行けば、『ドラえもん』は「マイナー作品」のまま終わってしまうところだった。

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