『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第1回 作風とっちらかってる問題 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.08.04
  • ドラえもん,稲田豊史

『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第1回 作風とっちらかってる問題

PLANETSの書籍『あまちゃんメモリーズ』や『PLANETS Vol.9』の編集スタッフであり、先日刊行された初の単著『セーラムーン世代の社会論』も好調の編集者・稲田豊史さん。
今月よりPLANETSメルマガでは、その稲田さんが敬愛する藤子・F・不二雄先生の代表作『ドラえもん』を考える月イチ連載を開始します! 初回は「世代によって違う『ドラえもん』イメージ、それがなぜ生まれるのか?」について解説します。


 

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■ 前書きに代えて

1969年に連載が開始され、作者の藤子・F・不二雄が逝去する直前の1996年まで続いた『ドラえもん』は、日本を代表する国民的マンガである。これに異を唱える者はいないだろう。
1979年からテレビ朝日系で放映中のTVアニメシリーズは、2005年の声優リニューアルを挟んで2015年現在も放送中。いまだに子供たちの人気を博している。毎年春に公開される劇場版アニメは安定のドル箱作品であり、2015年3月公開の『のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)』で実に35作を数えた。もはや『ドラえもん』は多くの日本人にとって、完全に共通原体験としての役割を果たしている。親子三世代でファンになっているケースも珍しくない。
現在の日本において、そんな『ドラえもん』という作品を形容する枕言葉には、いずれも“文科省推薦”的なニュアンスが含まれがちだ。「親が子供に安心して見せられる」「子供たちの創造力を育む」「夢や希望にあふれている」「物語が平和の大切さを訴えている」「友情の大切さが描かれている」「日本が世界に誇るべきクールジャパンコンテンツの代表作にふさわしい」等々。
しかし、このような「お行儀のいい、品行方正な、おりこうさんイメージ」は、『ドラえもん』という作品を十全に説明していると言えるだろうか。

『ドラえもん』は、「教育的、倫理的、政治的に正しい」物語だけを紡いでいたか?
『ドラえもん』は、3〜40代日本人男性の価値観を、必ずしも好ましくない形で規定してしまったのではないか?
『ドラえもん』は、普遍性の高い国民的マンガではなく、「時代と寝た」作品ではなかったか?
『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄の偏った自己肯定や個人的願望の産物ではなかったか?
『ドラえもん』に登場する未来や道具には、見た目以上に皮肉や批評性が内包されてはいないか?

すでに『ドラえもん』という汎国民コンテンツの作品性は、多くの先人たちによって研究・分析し尽くされている。
だが2015年の今、『ドラえもん』を解体する意義は大いにあると感じる。その鍵は現在30〜40代の団塊ジュニアからポスト団塊ジュニア世代だ。彼らは1980年代の『ドラえもん』絶頂期に原作を読み、アニメを観て育った。社会的な発言力、経済的な影響力、人口ボリュームといったさまざまな意味で、現在の日本国家の中核を担っている彼らが、幼少期に『ドラえもん』から受け取ったもの、潜在意識に刷り込まれたものとは何か。いま改めて考察してみたい。
藤子・F・不二雄という天才マンガ家が45年というキャリアの半分以上、27年もの長期にわたって描き続けた『ドラえもん』は、20世紀後半のニッポンを市民目線で活写し、21世紀を生きる大人たち(=元読者・元視聴者)の価値観に、ある志向性を与えた。それは、西洋コンプレックスをベースにした苦悩スタイルでおなじみの夏目漱石の作品群が、近代日本人の精神性のスタンダードをある意味で規定してしまったインパクトに、勝るとも劣らないだろう。
現代の日本でメインプレーヤーとして奮闘する者たちの「心の参照先」を、国民的コンテンツである『ドラえもん』の作中に見出そうとするのが、本連載の意義である。

なお、筆者は1974年生まれ。幼稚園児の頃から原作コミックスを読み、小学生だった1980年代にはまさしく『ドラえもん』漬けだった。
中学生、高校生になっても『ドラえもん』は卒業しなかった。新刊はもちろん購入し、春の映画も毎年欠かさず観に行く。大学では「ドラえもん同好会」なる非公認団体を立ち上げ、ワープロとコンビニコピーを駆使した会報を制作。わずか10数名の会員に郵送していた。晩年、明らかに衰えた藤子・F・不二雄の筆に落胆を隠せなくなった頃、同氏逝去の報を聞く。
以降20年近くにわたり、『ドラえもん』は常に自分の近くにあり続けている。謎本や研究本の類、パートワーク(分冊百科)、ムック、未収録作の新規編集単行本などは目につく限り買い揃えた。オリジナル脚本の駄作長編に怒りを震わせ、アニメ版の声優リニューアル(2005年)にさまざまな想いを抱き、妻夫木聡らが出演するトヨタの実写版CMに心をざわつかせた。
ちなみに、筆者は新卒で映画配給会社に入社し、その後ややあって映画関連書籍を主に刊行する出版社で編集者になるという映画に縁のある仕事に就いてきたが、生まれてはじめて映画館で観た映画は、1981年公開の大長編ドラえもん2作目『のび太の宇宙開拓史』である。
また筆者は言葉を扱う職業である「編集者/ライター」を肩書としているが、幼少の頃に「日常会話」のお手本にしていたのは『ドラえもん』原作コミックスの吹き出しであった。ドラえもんやのび太のダイアローグを完コピすることで、物の言い方や相槌のボキャブラリーを習得したのだ。
自分の人生を決定づけた『ドラえもん』という作品、そして藤子・F・不二雄先生に精一杯の敬意を込め、襟を正してこの連載をはじめたい。第1回は、あなたが見ている『ドラえもん』のペルソナ(外的側面)は、別の誰かが見ているそれと必ずしも同じではない――という話である。

■ どこまでを『ドラえもん』と認めるか

あなたがガンダム好きなら、「どこまでをガンダムと認めるか」という議論に覚えがあるだろう。「『ZZ』まで」「ファーストのみ」「宇宙世紀のみ」「富野由悠季の直接監督作のみ」等々。これらの自分勝手な線引きには、各人各様の熱いガンダム観がほとばしっている。
同じように、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』好きなら、「バイオレンス劇画調だった初期のみ」「ホビー色が強かった40巻台まで」「麻里愛(まりあ)登場(67巻)まで」「擬宝珠纏(ぎぼしまとい)登場(118巻)まで」となるし、『トムとジェリー』なら「ハンナ=バーベラ制作の第一期(1940〜58年)しか認めない」「MGM製作分はすべて認める」「MGM製作分のなかでもチャック・ジョーンズ制作の第三期(1963〜67年)はだけは認めない」といった百家争鳴が繰り広げられる。
長期連載作品、長期シリーズ作品は、時期・作品シリーズによって作風が異なるため、「これぞガンダム」「これぞこち亀」「これぞトムジェリ」の認識が人によって異なる。これは無論、各人の嗜好性によるものだが、もうひとつ大きいのは世代の違いである。『こち亀』を1980年代に「週刊少年ジャンプ」で読んでいた世代と、ゼロ年代初頭にアニメ版で触れた世代では、「こち亀観」がまったく異なる。ファーストガンダム世代・オーバー40歳のガノタが『ガンダムSEED』(2002〜03年)以降しか知らない若手に「ガンダムってのはなあ」と説教するのは、至極当然というわけだ。

1969年から27年間連載され、作者逝去後から19年間も途切れることなくアニメ新作が供給され続けている『ドラえもん』も、「どこまでが『ドラえもん』か」議論の対象だ。「てんコミ収録分だけが真の『ドラえもん』」「てんコミ未収録話もアリ」「大山ドラしか認めない」「水田ドラも認める」「『ドラベース』もOK」といった具合に。……とまくしたてたが、なんのこっちゃと言うかたも多いと思うので、少し解説しよう。
「てんコミ」とは小学館が刊行するレーベル「てんとう虫コミックス」のことで、もっともポピュラーな原作単行本だ。全45巻、総収録話数821話、1974年から1996年にかけて刊行された。藤子・F・不二雄が自選した作品だけが収録されているので、一定のクオリティ以上が担保されたベスト盤のようなものである。世の「『ドラえもん』は全部読んだ」という主張の9割がたは「てんコミ版を完読した」と同義。ドラえもんファンにとって最も基本的な経典にして聖典、バイブルである。
しかし、実はてんコミに収録されていない作品も500話以上存在する。それらは藤子・F・不二雄氏が逝去後に刊行された「ドラえもん カラー作品集」(全6巻)、「ドラえもん プラス」(全6巻)、2009年〜2012年に刊行された「藤子・F・不二雄大全集」などに収録されている。てんコミに比べて読者数が少ないため、エピソードや道具の知名度は低い。「共通原体験」としてのドラえもんを語る際には、微妙な存在であると言えるだろう。正直、てんコミ収録作ほどの完成度に達していない作品が多いことからも、幼少期にてんコミを読み込んだ読者が大人になってからこれらを読んでも、大した感銘を受けないで肩透かしを食らう……とは「ドラえもんファンあるある」のひとつである。
「大山ドラ」とは大山のぶ代が演じたアニメ版ドラえもん(1979〜2005年)のこと。「水田ドラ」とは水田わさびが演じたアニメ版ドラえもん(2005年〜放映中)を指す。2005年のスタッフ・声優交代はドラファン界隈では大事件であった。当時は反発の声も多く、筆者の周囲でも大山ドラ固執派と水田ドラ容認派が真っ二つに割れ、議論を戦わせた(なお、筆者は水田ドラ積極容認派である)。


 

▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)

編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。http://inadatoyoshi.com

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